杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

茶禅一味の京都課外授業・秋編(その1)

2014-10-29 20:28:29 | 駿河茶禅の会

 10月25~26日、静岡県ニュービジネス協議会の有志勉強会『茶道に学ぶ経営哲学研究会』の仲間10人で京都をまわりました。

 京都課外授業は今年6月に続いて2回目です。6月の記事でも紹介したとおり、研究会は3年前の発足以来、裏千家インターナショナルアソシエーション運営理事を務める望月静雄(宗雄)先生を師に、茶道の基本的な所作はもちろん、茶の歴史を禅宗とのかかわりの中で学んできました。

 6月はたまたま私が坐禅に通う京都・堀川寺之内の興聖寺で古田織部400年忌の記念行事があったことから、同行事に参加がてら、大徳寺、万福寺、一休寺といった禅の名刹をまわりました。

 今回は興聖寺の達磨忌法要に参加し、織部流茶席を体験することを第一目的に、紅葉には少し早い京都を歩きました。

 

 25日は10時前に京都駅に集合し、山陰本線で花園駅まで移動し、まずは臨済宗妙心寺派の総本山・妙心寺~龍安寺を歩きました。

 妙心寺は時間の都合で境内を散策するだけでしたが、10万坪ともいわれる広大な敷地に46も塔頭が点在し、そのほとんどが非公開。有名観光寺のように修学旅行生や外国人客が押し寄せることもなく、修行寺らしい静寂さを保っていました。

 

 創建は1337年。花園法皇が無相国師(関山慧元)を開山に迎えたのが始まりです。6月にも書きましたが、静岡の井宮出身の大応国師と、その弟子で大徳寺を開いた大燈国師、さらにその弟子で妙心寺を開いた関山慧元の3人が、禅宗(臨済宗)を確立させた法系“応燈関(おうとうかん)”と称されています。

 望月先生の講座で教えていただき、印象的だったのが、「算盤面(そろばんづら)の妙心寺」との異名があったこと。全国で3400ヶ寺を束ねる臨済宗最大宗派として地方の末寺をしっかり支え、経済的な基盤が磐石であるという意味です。臨済宗にはほかに相国寺派、南禅寺派、天龍寺派、大徳寺派、建仁寺派、東福寺派があり、一休禅師や千利休と縁の深い大徳寺は「お茶面(おちゃづら)」といわれ、建造物が美しい東福寺は「伽藍面(がらんづら)」といわれているそうです。誰がネーミングしたのかわかりませんが、面白いですね!

 

 妙心寺から北へ数分歩いたところに、石庭で有名な龍安寺があります。1450年、細川勝元が妙心寺の義天玄承を開山として創建。今は妙心寺よりも(観光寺として)有名ですが、もともとは妙心寺の塔頭の一つでした。現在の方丈は、龍安寺境内の塔頭・西源院の方丈を移築したものだそうです。

 

 ここでは石庭よりも、禅の格言【吾唯足知】のつくばいを観るのが目的でした。方丈をはさんで石庭とは反対側の北東の庭にある銭形のつくばい。中央の「口」を共用すれば、【吾】【唯】【足】【知】の文字になるという凄いデザインです。現在、設置されているのはレプリカだそうで、遠目から撮った写真では見づらいと思いますが、ホンモノはかの水戸光圀公が寄進したそうです。

 千利休は茶道の心得として「家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにて足る事也」と述べました。必要な分を必要なだけ用意し、茶を点ててまず仏に供え、人に差しあげ、施し、最後に自分もいただく「利他」の精神がそのまま自分の幸せであるということ。現代人には耳の痛い格言です・・・。

 実はこの日、不思議なことがありました。20年近く前、【静岡アウトドアガイド】という雑誌で初めて地酒の連載を持っていたとき、レイアウトを担当してくれたデザイナーのクツマヒロミさんが、現在、京都で茶の湯関係の出版で有名な淡交社の仕事をしていることを、昨年、フェイスブックで偶然知りました。何度か京都で食事をしたり、6月の興聖寺織部忌にもお誘いしたりと交流が復活し、今回もお誘いしたのですが、あいにく都合が合わず。

 

 ところがこの日、【吾唯足知】のつくばいを観ていたら、目の前にクツマヒロミさんがいるではありませんか! ビックリして声をかけたら、ヒロミさん曰く「今朝、起きるときになぜかこのつくばいのビジョンが眼に浮かび、仕事が急に空いたので観に来たの」とのこと。・・・そんな偶然があるんだなあと、ホント、不思議な気持ちになりました。

 

 お昼は龍安寺塔頭・西源院で湯豆腐&精進料理をいただきました。料理屋さんが出店しているのではなく、西源院というれっきとしたお寺が、修行僧が自炊する食事を体験していただこうと営業しているもの。坐禅体験、写経体験など禅寺にさまざまある体験メニューの一つ、というわけです。

 西源院は1489年、細川政元が特芳禅傑を請じて創建し、大休宗休(だいきゅうそうきゅう、1468-1549)が中興したとされます。宗休は静岡の臨済寺の開山でもあります。静岡市民には親近感が湧きますね!

 

 西源院とも不思議なご縁があります。私が今、バイトに通っている静岡市内のお寺の奥様が、ここの娘さんなんですね。さらに不思議なことに、龍安寺境内にあるもう一つの塔頭・大珠院で、興聖寺の和尚さんが若かりし頃、修行していて、西源院の娘さん(件の奥様)を子守したことがあるとのこと。日本には何万というお寺があって、臨済宗妙心寺派にも3400ヶ寺あるというのに、こういう偶然ってあるんだなあと、空恐ろしくなりました(笑)。

 

 湯豆腐料理を出すようになったのは50年ほど前からだそうです。その頃、龍安寺の和尚さんたちが海外を視察し、禅の教えを国内外に伝える一助として観光客を受け入れる方法を模索されたとか。それ以前は静かな修行寺で「鏡容池で水遊びしていたのよ」と件の奥様。育った環境のせいか、奥様は何事にも動じないさばけた性格の方で、この日もわざわざ我々の昼食にお付き合いし、お土産までご用意くださいました。

 

 

 午後は東山に移動し、茶器コレクションで有名な野村美術館、秀吉の正室北政所の菩提寺として知られる高台寺、臨済宗建仁寺派総本山の建仁寺を回りました。

 野村美術館はその名のとおり、野村證券・旧大和銀行・旧東京生命等を興した野村財閥の祖・野村徳七のコレクションを展示しています。12月7日まで【秋季特別展・大名道具の世界―茶の湯と能楽】を開催中で、加賀前田家、雲州松平家、尾張・紀州・水戸の各徳川家のお宝をじっくり拝見できました。

 地階では「淡斎茶花研究会」という華道会が個展を開いていて、現代作家の花器プラス17~18世紀の朝鮮から伝わった伝統花器を使っていました。美術館の展示会場で、展示物の花器に直接生花をいけて見せるというのは珍しいなと思いましたが、考えてみれば花器なんだから、花が挿さった姿で観るのが正しいんですよね。花だけでなく、花器もなんだか生き生きと見えました。

 

 高台寺は夜間ライトアップ等ですっかり観光人気スポットになっていますが、今回は境内にある茶室「遺芳庵」「傘亭」「時雨亭」を観るのが目的でした。

 「遺芳庵」は江戸初期の豪商・灰屋紹益が妻の吉野太夫を偲んで建てた茶室で、写真ではちょっと判りにくいですが、「吉野窓」と呼ばれる丸い窓が印象的です。茶室全体もどことなくほっこり可愛らしい感じがしました。

 一方、「傘亭」は竹が放射状に組まれ、唐傘を開いたように見せる千利休の意匠だそうです。当代随一のクリエーターによる洗練されたデザイン、というのでしょうか。茶室というのは空間デザインからパーツ選びまで隅々まで創作者の感性が発揮される総合芸術なんだと思い知らされました。(つづく)