杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

信念の恋人

2014-12-28 17:14:56 | 地酒

 27日のNHK朝ドラ【マッサン】では、職人と経営者のガチンコ対決が描かれました。本場スコッチの長期熟成やスモーキーフレーバーにこだわって「わかる人だけに飲んでもらえればいい」と言い切ったマッサンと、「それでは売れない、大衆向けの味にしろ」と跳ね返し、マッサンに製造から営業への異動を命じた大将。信念と信念とがぶつかりあうモノづくり、しかも日本初の商品を生み出す苦労は、酒造業に限ったことではないと思いますが、「美味しい酒とはなんぞや? 酒の美味しさを伝えるとはどういうことか?」を考え続けてきた自分にとっては心揺さぶられる回でした。

 

 私が酒蔵取材を始めたのは、昭和から平成に代わったばかりの平成元年2月でした。以来26年。52年の人生の半分、酒蔵と縁をいただいてきましたが、白隠禅の勉強を始めて「知ったかぶりの罪」について考え、酒の取材者としての己の眼力には、かなりの垢や錆がこびり付いているのではないか…との反省から、今冬は県内酒蔵の仕込みを新鮮な気持ちで見つめ直しています。

 26年の取材歴で誇れるものがあるとしたら、静岡の酒質を飛躍的に向上させた職人=杜氏さんたちとのご縁。それこそマッサンみたいなこだわり職人さんばかりで、当然ながら最初のころはどこの素人の小娘か・・・という眼でみられ、距離感を縮めるのにずいぶん時間がかかりました。それでもこの冬は、杜氏さんのほうから「ここだけの話・・・」と耳打ちをしてくれるまでになった。取材者、いや、ひとりの人間として、縁ある人の職業人としての誇りある人生を、“知ったかぶり”で通り過ぎずに済むかも…という安堵感を覚えました。

 耳打ちしてくれたのは表立っては書けない苦労話ですから、表立って書く文章からは伝わらないだろうけど、「わかる人だけに伝わる」―そんな二重構造のような文章表現ができたら・・・なんて密かに願っています。

 

 

 思えばこのブログも、直接いただくのは「ダラダラ長すぎる」「難解」「勝手に実名を上げるな」と批判やクレームばかりで、中にはご丁寧に「こういうブログを参考にしなさい」と著名ブロガーさんを紹介してくれる人までいました。gooブログに引っ越してからは訪問者数がグッと減り、「個人ブログとはいえ公に発信する以上、読んでもらえなければただの独り善がりだな」と落ち込みましたが、しばらくして閲覧ページ数が逆に増えていることがわかり、「少数でもちゃんと読んでくれる人がいるんだ…」と凹まずにきています。

 

 26日、『正雪』の純米大吟醸の袋吊るし搾りを取材に行き、搾りたてを試飲させてもらったところ、初めて静岡吟醸に感動したころの香味が脳裏に甦り、「自分には懐かしく感じる味です」と杜氏の山影純悦さんに話したら、「実はこういう酒が、今、東京のお客さんから求められているんだよ」とのことでした。

 昨年、現代の名工に選出され、今年は黄綬褒章を受けた御年83歳の山影さん。名誉職で悠々自適に過ごしていると思ったら、現場で率先して動いておられ、「静岡吟醸らしさへのこだわりが再評価されている」と噛み締めるようにおっしゃる。静岡県の杜氏を代表する立場としてさまざまな試行錯誤を重ねてこられ、静岡らしさを醸し出すという信念をこの年齢で貫き通そうとする山影さんの言葉だけに、大変重いものを感じました。

 

 

 その足で『萩錦』にいる南部杜氏の小田島健次さんを訪ね、搾り終わった誉富士純米酒を3種試飲させてもらいました。2品は香りがふんわり、味ものっていて、誰にもその美味しさが伝わるであろう素晴らしい出来栄え。残り1品は香味ひかえめでおだやかな味わい。先の2品に比べたら地味でしたが、「私個人はこれが一番好き」と言ったら、「ははぁマユミさんらしいなあ」と杜氏さん。味ののった2品は静岡酵母NEW-5で、私が選んだ1品はHD-1で仕込んだものだそう。杜氏さん曰く「この酒は秋口になってグッとよくなると思うよ」。そういう酒を選んだことを、「マユミさんらしい」とおっしゃってくれた。私が単にHD-1の酒が好きだと知ってのことか、ひかえめな酒が好きなのが私らしいと思ってのことかは分かりませんが、杜氏さんとの距離感が限りなくゼロになったような気がして無性に嬉しくなりました。

 

 

 リアルマッサンこと竹鶴政孝さんは「ウイスキーの仕事は私にとって恋人のようなものである。 恋している相手のためなら、どんな苦労でも苦労とは感じない」と言っていたそうです。 遠く岩手の花巻から仕込みにやってきて正月返上で酒造りに勤しむ83歳の山影さん。同じく正月休みなく、『富士錦』『萩錦』の2蔵をかけもちする宮城の石巻出身63歳の小田島さん。「静岡で酒造り人生を全うするだろう」と語るこの2人も、静岡の酒にトコトン恋しているのだと思いました。

 

 私も、書くという仕事に恋をし、この仕事で出合った人々に恋をし、恋した人たちの生き様を記録することが自分の使命だと思って無我夢中で書き続けています。一流作家や学者先生のように執筆の場に恵まれているわけではなく、ローカルでささやかながら必死になって表現の場を探す中、2007年12月末、このブログをスタートさせました。放任主義で育てた粗雑でやんちゃな子どもみたいな存在ですが、この子の成長を見守ってくれている人が一人でもいるのなら、信念を曲げず、来年も引き続き、大切に育てていこうと思います。

 

 『杯が乾くまで』、8年目の来年もどうぞよろしくお願いいたします。