杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

亡き酒徒に伝えたかったこと

2017-08-21 13:36:33 | 本と雑誌

 腰・顎・指の三重苦に苛まれるこの夏は、ときたま外呑みに出る以外、家で大人しくしています。お盆の期間は冷房の下で読み散らかしている本を整理してみました。

 Kindleに溜めたブックリストを見ると、娯楽小説は『村上海賊の娘』のみ。ほかは、とても女子の本棚とは思えない色気のないものばかりで、どうりで自分は情緒的な文章やコピーが書けないライターだと自己嫌悪に陥ります(苦笑)。

 

 一番最近購入したのは神谷恵美子さんの『生きがいについて』。8月9日に聴講した静岡県ボランティア協会の講演会「大切な人に…あなたは誰を看取り、誰に看取られますか」で、在宅医療に取り組む講師の遠藤博之氏(たんぽぽ診療所院長)が人生の指針となる名著だと紹介されました。神谷恵美子さんは美智子皇后のカウンセラーとして知られる精神科医。タイトルからして解りやすい生き方指南本かと思いきや、とんでもなく深くて重い精神分析論で、ハンセン病患者との交わりを通し、世界の人間論・精神医学・文学を引用しながら人間にとっての生きがいとは何かを考察します。

 

 この本に触手したのは、先月末、地酒の会で時折顔を合わせていた一回り年下のJさんが自死したこともきっかけになりました。

 Jさんは趣味で酒のブログを書き、「自分も真弓さんのようなライターになりたい」と積極的に声を掛けてくれる人懐っこい青年でした。こまめに酒の会に顔を出し、熱心に試飲をしてはブログに記録をし、昨年は結婚&念願の酒蔵への転職も果たして、酒の世界でセカンドキャリアを開花させようと意気揚々だったのです。個人的なパーソナリティをよく知っていたわけではないので、彼の心の内を推し量ることは不可能ですが、40歳過ぎてのキャリアチェンジにはそれなりの苦労もあっただろうと想像しました。

 

 神谷さんのこの言葉を知っていたら彼に伝えたかったな、と思います。

『人間はべつに誰かからたのまれなくても、いわば自分の好きで、いろいろな目標を立てるが、ほんとうをいうと、その目標が到達されるかどうかは真の問題ではないのではないか。ただそういう生の構造のなかで歩いているそのことが必要なのではないか』

 神谷さんによると、心臓神経症に悩んでいたハンセン病患者の青年が、あるとき施設内で仕事を得て神経症の症状が消えた。その後、障害者年金制度ができて年金受給者は就労してはいけないことになったため、仕事をやめたとたん神経症が再発したという。生きがいとは何か本書では多くの解釈がされていますが、私はこの、『ただそういう生の構造のなかで歩いていることが必要』という一節が、禅の教えにも通じるようで、なんとなく腑に落ちました。結果はもちろん大事ですが、自分が望んで始めたことならば、うまくいくときもいかないときも己事究明しながら一心に取り組む・・・その過程に意味があるんですね。

 

 神谷さんはまた、自殺をふみとどませるものとして①純粋な好奇心、②憎しみや攻撃心、③自尊心を挙げています。①は生きる意欲を全く失った人でも明日の新聞に何が載るか、次の郵便で何が来るかを知るためだけでも自殺を24時間引き延ばせる。たとえ1日でも待つという心を持つことが出来ればそれはすでに前向きな姿勢ということ。③は自分という人間が存在するために、たとえばどれだけの動物がされてきたかを考えて自分も自分の分を果たせよということ。

 最も効果的なのは②で、恨みや復讐の念は、適当な方向と吐け口さえ与えられれば、足場を失って倒れた人間を再び起き上がらせるバネの役割を果たしうる―と。

 私自身、死んだら楽になるかなあと思った経験がないわけではありませんが、そのとき我を取り戻したきっかけは「怒り」だったと思います。怒りという感情を持つにはそれなりのエネルギーが必要で、心が弱っているときには怒りや恨みを掘り起こす具体的なきっかけも必要でしょう。自分の場合、何がきっかけで「こんなことで死んでたまるか」という心境になれたのかは忘れてしまいましたが、その後は①のように、めくられていないカレンダーのページに好奇心を託すことができた。・・・時間には、ストップウォッチみたいに限界を決めておくことの効能と、ただただ流れ去らせることの効能があるんだなと思いました。

 

 歴史は、自分が未来に託した好奇心の一つです。毎年、8月の原爆の日や終戦記念日の前後になると、新しい戦争歴史関連本を読むようにしており、毎年のように「知らなかった」ことの発見に、「こういうことを知らずに死ぬのはもったいない」「自分を生かしてくれたご先祖に申し訳ない」と、③のような心境に至ります。

 今年読んだのは半藤一利さんと保坂正康さんの対談集『賊軍の昭和史』。鈴木貫太郎(関宿)、石原莞爾(庄内)、米内光政(盛岡)、山本五十六(盛岡)、井上成美(仙台)等など、幕末維新で賊軍とされた藩の出身者が、昭和の戦争を終わらせたという新しい論点でつづられています。

 そこから歴史をさかのぼるように、幕末維新史(『維新革命への道』)、近世の統治機構(『逃げる農民、追う大名』)、日本唯一の“革命”だった鎌倉承久の変(『日本史のなぞ』)、新しい日本史解釈(『げんきな日本論』)と読み進め、歴史=先人の生きた証しを学び理解することは、今の自分の立脚点=自分がなぜ今、生かされているかを知ることだとしみじみ実感しています。

 

 無理に歴史好きになれというつもりはありませんが、歴史は、常識や定説にとらわれずさまざまな角度から光を当てると人間の行動心理がよくわかります。とりわけライターという職業人にとっては知識の蓄積のみならず、物事の思考の糧になり、やりがい・生きがいにもつながります。そういう話をJさんにする機会があったなら・・・と思うと残念でなりません。

 先日参加した酒宴で設けられた彼への献杯時間に、そんなことをつらつら考え、とりあえずKindleのストック消費に没頭する晩夏。今朝は久しぶりの純文学、今年の芥川賞受賞の『影裏』を読破したところです。岩手が舞台で主人公は日本酒好きで「南部美人」「田酒」が登場。明るくはないけれど、酒飲みと一緒に物語のその後が語り合いたくなるような話です。