杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

選挙と倭城と炭手前

2012-12-10 10:27:01 | 駿河茶禅の会

 坐禅修行から帰って来た先週は、寒さが一気に強まりましたが、やっぱり何でも経験してみるものですね、いつもの自分なら喉や気管支系統をやられるのに体調はすこぶる順調です。多少なりとも耐寒体質になれたのかな?

 

 

 

 

 

 

 総選挙公示直前まで上川陽子さんの事務所に日参してHPやブログの更新をし、4日朝の出陣式に参加。早朝に激しい雷と雨で、荒れる選挙戦を予想させましたDsc_0034。出陣式もあいにくの天気でしたが、陽子さんが『坂の上の雲』の話をされたとき、一瞬、会場の常磐公園の上空に陽が射しました。

 坂の上の雲、という言葉が、心にストンと入り込んだ美しい光景でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 5日は夜、『茶道に学ぶ経営哲学研究会』の例会。駿府公園紅葉山庭園茶室で、望月静雄先生が、冬季の伝統の作法・炭手前の実演を披露してくださいました。

 

 茶室でお茶を点てる湯を沸かすために、炉に炭をくべる。炭一本一本に役割があり、くべ方があり、練ったお香まで添える。湯を沸かすためだけに、これだけの配慮をするという茶道のもてなしの精神の奥深さに驚き、感動しました。

 

 

 

 

 

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 お茶を習っている人でも、炭手前の手順をじっくり観る機会はそうそうないそうです。私みたいな門外漢が贅沢をさせてもらって申し訳ない気もしましたが、「効率の良さ」とか「スマートさ」を由とする現代のライフスタイルとは対極的な茶の伝統作法の存在理由を、今一度、じっくり噛み締めるべきだと実感します。

 

 

 今のお茶の消費拡大策の多くは、カンタン・ベンリ・カワイイ・オシャレといった新しい価値をアピールしています。ペットボトルドリンクや人気のカフェチェーンのスタイルに倣おうとしているのかもしれませんが、お茶の場合は、日本人のアイデンティティを形成した伝統文化を持っていることを見失ってはいけないような気がする。炭手前のようなきめ細やかな作法があることを知った上で、現代らしいスマートさを享受する分にはいいと思いますが、これはやっぱり、子どもからの躾や教育に負うDsc01192_2_1280x851_1280x851ところが大きいかなあ。

 

 

 

 それにしても、炭が赤々と燃える炉の暖かさ、茶室を暗くして見ると、よけいに染み入ります。利休の時代の日本人の感性がいかに鋭く細やかだったかが想像できます・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 お茶会が終わった後、会員の平野斗紀子さん&海野尚史さんと会食。敬愛する2人の名編集者と久しぶりにおしゃべりできて、夜の寒さを忘れました。平野さんは海野さんが運営するeしずおかのコラムサイトで、この夏のアリゾナ旅行のことを書いてくれました。私が気づかなかった深い視野に感動します。こちらをぜひ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7日夜は静岡県朝鮮通信使研究会総会で、望月茂さん(静岡歴史民俗研究会会長)が『海を渡った日本の城―倭城の築城とその後―』というタイトルでお話くださいました。内容はこちらで紹介したものとほぼ同じでしたが、石垣の積み方の変遷や、現地で建てられた倭城は、「連郭」といって山の峰に沿って築かれた細長い城だったとか、朝鮮流の切り込み接ぎ(ハギ)を高く積み上げた石垣が、江戸時代の日本の築城に影響を与えたなど等、朝鮮通信使研究に新たな切り口を与えてくれた興味深い講演でした。

 

 石垣は、それまで自然石を積み上げた野面(のづら)積み、石と石の間をきめ細かく埋めた打ち込み接ぎという方法が主流でしたが、朝鮮流の切り込み接ぎというのは石をきれいに切り出してレンガのように整然と積み上げる方法。これだと強度は若干落ちるものの、高く積み上げることが可能で、鉄砲攻めの備えにメリットありとのこと。

 以前、皇居東御門の江戸城Dsc00231址を見学したとき、その違いを一目瞭然で目撃しました。

 

 

 

 

 

 

 加藤清正は朝鮮の蔚山(ウルサン)に築いた倭城で籠城戦に追い込まれ、真冬に兵糧攻めに遭って人肉まで食らう悲劇を経験。帰国後に熊本城の大改修をするとき、城の隣に“蔚山町”を作って現地から拉致してきた朝鮮の大工職人たちを住まわせ、急勾配の切り込み接ぎの高石垣を作り、兵糧攻めに遭ったとき食糧にできるよう、畳や土塀の中にカンピョウや芋ガラを混ぜたり、井戸を120箇所も造ったり、周りに銀杏や栗など食用の実が成る樹をたくさん植えたそうです。よっぽど朝鮮での経験が堪えたんですね・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9日(日)は青葉イベント広場で陽子さんの選対総決起大会。陽子さんが議員立法で作り上げた犯罪被害者等基本法の関係者として、山口県光市母子殺害事件の遺族・本村洋さんが応援に駆けつけてくれました。本村さんと取材記者との“共闘”を描き、文化庁芸術祭大賞を受賞したWOWOWドラマ『なぜ君は絶望と闘えたのか』をとても興味深く視ていたので、ご本人の生声を聞けてちょっと感動しました・・・。

 「運動を始めたとき、被害者家族の権利が法律で保障されるまで20~30年はかかると言われたが、上川さんはこの問題に取り組んでわずか6ヶ月で法律を作り上げた。政治家がきちんと仕事をし、政治がまともに機能すると、社会は変わると実感した」と力強いエールを送ってくれました。

 

 

 

  陽子さんと私は、以前、FM-Hiの『かみかわ陽子ラジオシェイク』でこの問題について語ったことがあります。こちらにUPしてありますので、ぜひご参照ください。

 

 

 

 

 

 

 さあ、今週はアメリカから妹夫婦が年末年始休暇で帰ってきます。どんな珍報告が出来ますやら。英会話に自信のある方もない方も、よかったら妹夫婦と一緒に遊んであげてください。とくに外国人が楽しめる静岡の面白スポットをご存知の方、ご連絡お待ちしています!

 

 

 

 

 

 

 


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1 コメント

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 日本の武将が文禄・慶長の役で見た朝鮮式の石垣... (H口K弐(仮名))
2013-01-14 00:28:53
 日本の武将が文禄・慶長の役で見た朝鮮式の石垣を真似て、日本の「切り込みハギ」石垣を築いたという話は昔からありますが、これは完全な俗説で歴史的事実ではありません。日本の城郭石垣は、あくまでも日本国内の発展上に位置付けられるものです。 自称“城郭石垣研究者”より
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