瀬戸内沿岸のほぼ中央に位置する港町・福山市鞆町は、万葉集で大伴旅人が『吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき』と詠んだように、古来、潮待ち・風待ちの港として栄えました。
中世以降、内海の要衝地として政治・経済の舞台となり、全国の廻船が出入りする商家の町として発展し、幕末には坂本龍馬や三條実美ら七卿が足跡を残しています。往時の様子を伝える港の雁木や常夜燈、古い商家が軒を連ねる通りの数々は、映画のセットのように情緒豊かで、町内に仕事場を持つ宮崎駿監督の次回作は、まさにこの町がモチーフになっているそうです。
映像作品『朝鮮通信使』のロケでは、当初、通信使が「日東第一形勝(日本で一番美しい)」と絶賛した福禅寺客殿がお目当てでしたが、現地を何度も取材し、通信使と日本人のカルチャーギャップや人間的なふれあいを拾い集め、町内をロケハンするうちに、この町の魅力にすっかりハマってしまいました。
小さな町なのに、お寺や酒蔵がたくさんあり、町の名産品といえば保命酒という薬草酒。養命酒のようなクセのある味で、通信使の口にはよく合ったそうで、江戸時代は色絵の徳利に通信使が詠んだ漢詩を染付け、これがプレミア土産になったとか。今、酒のラベルに有名人の書や絵を使うのとおんなじ感覚ですね。
去年はほとんど観る時間のなかった寺院の数々も、今回はゆっくり訪ねることができました。中でも安国寺の阿弥陀三尊像(国重要文化財)は、『朝鮮通信使』の映像に残さなかったのが悔やまれるほど素晴らしい、鎌倉期の流麗な仏さまでした。
6年前からは、2~3月にかけて、『鞆・町並みひな祭』が開催されています。古い商家の多い鞆では、各家で伝統的なひな祭りを行う風習が残っています。由緒ある立派なお雛さまを、せっかくなら多くの人に見てもらおうと、鞆の浦歴史民俗資料館を中心に、商店や各施設をはじめ、一般住宅でも表通りに見えるように雛人形を飾るイベントに発展しました。雛人形を呼び水に、鞆という町の魅力を、多くの人に実際に足を運んで触れてもらうというまちおこし運動にもなっています。今年は3月23日まで開催中です。
去年、ちょうどこのお祭りの時期に鞆を3度訪ねたのですが、雛人形をゆっくり眺める余裕はなかったため、今回は時間の許す限り、あちこちの店や家を訪ねました。
『鞆の津の商家』では、福山市役所のスタッフが商家の旦那衆に扮して甘酒をふるまいます。
国重要文化財になっている、元・保命酒の醸造元『太田家住宅』では、公家様式の貴重な有職雛。『朝鮮通信使』の取材でお世話になった郷土史家・池田一彦先生のお宅では、ミニチュアの台所セットにホンモノの料理を盛り付けて飾ります。
9日夜は、この先生のお宅で、ひな祭実行委員会の皆さんたちの懇親会に混ぜてもらい、熱燗片手に、皮剥きにテクニックが要る茹でシャコや、丸ごとボリボリかじれるサヨリの干物、舌平目の干物、奥様お手製のおいなりさんを腹一杯ご馳走になりました。
懇親会では、港湾埋め立ての賛成派と反対派が入り乱れ、漁師町らしい威勢のよさと酒の勢いも手伝って、喧々諤々の議論合戦。聞けば、幼なじみや漁師仲間同士でも賛成反対に分かれていて、言いたいことは腹に溜めずにガンガン言い合っています。途中で鼻歌を唄いだす人や、私にさかんに「鞆の男と結婚してここへ住みつけ」と勧めるおじさんやらで、4~5時間があっという間でした。
翌10日は、通信使の漢詩の短冊を撮影させてもらった石井六郎さんのお宅へ、撮影のお礼と、昨年暮れにいただいた映画の感想文のお礼に。石井家も、かつて『高鞆』という日本酒を醸造していた酒造家。古くて由緒ある酒瓶がたくさんあり、映像の中でも、さりげなくディスプレイさせてもらいました。
『朝鮮通信使』の中で、私と山本起也監督は、林隆三さんの最後の台詞として、家康公に向かって、「あなたが招いた朝鮮通信使がその後200年にもわたって、日本の民衆と平和な交流を続けたことを、あなたはご存知ないでしょう」と語りかける一文を書き加えました。
朝鮮通信使をきっかけに出会った400年後の私たちが、こんなふうに杯を交わして町の未来を熱く語り合うなんてことも、家康公は、もちろん、ご存知ないでしょうね。
*映像作品『朝鮮通信使』(監督・山本起也、主演・林隆三、脚本・鈴木真弓&山本起也)鑑賞とゆかりの地酒賞味/3月25日(火)18時30分から、静岡市産学交流センターB-nest 6階プレゼンテーションルームにて。酒代&おつまみ代2000円。
申込み・問合せは18日までに、シズオカ文化クラブ事務局 TEL 054-271-3111(財団法人満井就職支援財団内、担当・内田)まで。