5月26日 NHK海外ネットワーク
沖縄で開かれた「太平洋・島サミット」。
議長国の日本と
太平洋の16国の国と地域の首脳らが出席し
津波に備える対策や
安全保障などの面で協力を強化することをもりこんだ首脳宣言を採択した。
2日間のサミットで焦点となったのは
太平洋の島国への影響力を拡大する中国の存在である。
アジア・太平洋重視の戦略を打ち出したアメリカの代表も初めて参加し
中国をけん制する姿勢を示した。
太平洋には14の国と地域がある。
パラオ、ミクロネシア、マーシャル諸島、パプアニューギニア
ナウル、キリバス、ソロモン諸島、ツバル、サモア、
バヌアツ、フィジー、トンガ、ニウエ、クック諸島
豊か資源と地政学上の重要性からいまこの地域に世界の熱い視線が注がれている。
なかでも積極的なのが中国である。
日本から約7,000km離れたフィジー。
香港からの直行便が3年前に就航し中国人観光客が急増している。
美しい海とゆったり流れる時間が人気を呼んでいる。
地元特産の黒真珠や珊瑚などの装飾品も中国人観光客に人気である。
習いたての中国語で応じるギアン・シンさん(35)。
以前この店の客は多くは日本人でシンさんも日本語で商売をしていた。
「日本からの直行便が週3便飛んでいたがそれもなくなった。
今では香港からの直行便が出来て
たくさんの中国人が訪れるようになった。」
鉄道がないフィジーで人々の主な移動手段はバス。
常夏のこの国では窓の部分を開放した日本製の中古のバスが一般的だった。
ところが最近中国製の新車のバスが増えている。
座り心地の良いシートにエアコンも完備して料金は他のバスと同じ。
中国製のバスに乗ろうと1時間待つ女性もいる。
フィジーで増す中国の存在感。
きっかけは2006年の軍事クーデターだった。
日本など主な支援国は軍事政権に反対し援助を大幅に縮小する措置をとった。
しかし中国は関係を深めていったのである。
中国は豊富な資金でインフラ整備や軍事までさまざまな支援を行なってきた。
大統領府の正門の脇には
中国から援助を受けていることを示す大きなプレートが掲げられている。
度重なる洪水で被害を受けた橋や道路の改修工事が
中国の援助によって進められている。
中国政府は援助額の詳細は明らかにしていない。
シンクタンクの推計では
2005年には1億円に満たなかった中国の援助は
クーデター後の2007年には150倍に激増している。
フィジー司法長官(兼投資担当)
「中国政府はここ数年
フィジーに強い関心を持っている。
特にインフラ整備で中国から多くを協力してもらっている。
フィジーは中国に感謝している。」
支援をする一方で中国は資源確保にも乗り出している。
北部の島にある採掘場では
アルミニウムの原料となるボーキサイトの採掘が今年1月から始まった。
推定埋蔵量は100万t。
中国企業が採掘にあたりボーキサイトは全て中国に輸出される予定である。
中国による援助はフィジー以外にも周辺の島国に対しても行なわれている。
2009年までの5年間に
パプアニューギニア、バヌアツ、フィジー、トンガ、サモア、クック諸島
の国と地域に対する援助は合わせて約500億円に上るとみられている。
支援を受けている国のひとつバヌアツ。
人口約24万人。
フィジーの3分の1以下である。
農業や観光を中心とした国の財政基盤はきわめて脆弱で
中国からの援助に依存している。
首都ポートビラの病院でも中国の存在感が際立っている。
慢性的な医師不足が課題となっているこの国に
中国から医師が派遣され無償で診療にあたっている。
この病院では8人の中国人医師が外科や産科など全ての診療科に派遣され
現地の医師への指導も行なっている。
首都の中心部では中国人の経営する店が年々増えている。
その数は100店舗に達し
今ではバヌアツのチャイナタウンと呼ばれている。
バヌアツに移住した親類を頼ってやってきた人たちが
衣料品や雑貨などの商売を始めたということである。
しかし地元の住院の中には
中国への依存度増すことへの警戒感を示す人もいる。
「中国人はたくさんやってきて
地元の商売をだめにしてしまう。」
さまざまな形の援助を通じ
太平洋の小さな国への影響力を強めようとする中国。
勢いは増すばかりである。
太平洋は漁業だけでなく
鉱物資源の宝庫でもある。
最近は海底の鉱物資源も注目されている。
この地域は
資源の豊かな南アメリカと中国の輸送路シーレーンが通っている。
中国の援助は2000年以降の10年間だけでも数十倍に増えた。
アメリカがテロとのたたきで中東に目を向けているあいだに
一気に中国がこの地域の影響力を高めた。
これに危機感を抱いたアメリカが
アジア・太平洋重視の姿勢に切り換えた。
ミクロネシアは日本の移民統治領だったこともあり親日的である。
日本は技術支援や人材育成などと言った地道な支援を行なってきた。
今回のサミットの開催地沖縄からの支援に力を入れている。
沖縄は太平洋の島々との共通点も多く
環境エネルギーの分野で協力して
日本ならではの支援をしていく。
5月26日 NHK海外ネットワーク
828m ブルジュ・ハリーファ(ドバイ)
508m 台北101(台北)
492m 上海環球金融センター(上海)
こうしたビルは建物の半分以上がオフィスや住宅など居住空間である。
電波塔では
634m 東京スカイツリー
600m 広州タワー(中国広東省)
中東の経済の中心地に成長したアラブ首長国連邦のドバイ。
ブルジュ・ハリーファは160階建てで高さは828mの世界一高い建物である。
秒速18mの超高速エレベーターで展望台へ。
地上452mで東京スカイツリーの展望回廊より2m高い。
窓のデザインを重視したため
強化ガラスには隙間が設けられており
そこから砂漠の乾燥した熱風が音を立てて吹き込んでくる。
ブルジュ・ハリーファは2年前に開業。
ドバイの観光の象徴になることが期待されている。
125F~154F オフィス
124F 展望台
123F レストラン
111F~122F オフィス
40F~108F マンション
38F~ 39F ホテル
9F~ 37F マンション
1F~ 8F ホテル
地上から113m 32階に住むデビット・クックさん。
アメリカの大手保険会社に務めている。
窓から見えるのは巨大な人工池や世界最大急のショッピングモール。
家賃は年間650万円。
ショッピングモールなどの建物とつながっているため
夏には摂氏50度をこえるドバイで
外に出ることなく快適な日々を過ごせると言う。
「ここはすべての活動の中心地。
だからこそドバイを代表する建物なんだ。
そこに住んでいるというのは気分がいいね。」
世界一の建物の建設には6年がかかった。
インドやバングラデシュなど海外から集められた作業員は約1万3千人。
地上800mの建設作業では強風で体が吹き飛ばされそうになることもあった。
ブルジュ・ハリーファの電気系統の作業を担当した
韓国企業のキム・ホジョンさん。
「建設現場にいかにして電力を安定的に供給し続けるのか
これが最大の難関でした。」
資材を運ぶエレベーターや
炎天下で働く作業員のための冷房設備には電力は欠かせない。
当初 地上から数百メートルの長さの電気ケーブルを延ばして電力を送ろうとしたが
ドバイ当局から危険だという理由で許可がおりなかった。
そこでキムさんは
重さ21tもある大型の発電機を
クレーンで高さ500mの現場に吊り上げて設置したのである。
高層階の作業環境は良くなり建設も順調にすすんだ。
ドバイのシンボルとなったブルジュ・ハリーファ
砂漠の都市で圧倒的な存在感を示している。
国の発展の象徴とも言える高層建築。
いま世界で最も建設が盛んなのが中国である。
高さ120mをこえる超高層ビルは400棟以上にのぼる。
上海環球金融センターは日本の企業が建設した。
展望台の高さは世界一で地上474m。
この展望台で働く安頴さん(23)は上海で生まれ育った。
上海を代表する高層建築に誇りを感じるという。
「ここではたくさんの観光客に出会えるし
見えてくる風景も違います。
一番高い観光スポットにいると特別な気持ちになります。」
上海環球金融センターのすぐ隣にいま建設されているのが
中国企業が手がける超高層ビルの上海センター。
3年後 121階建て 高さ632mのビルが完成予定である。
建物の64階まで建設がすすんでいる。
大型クレーンを操る王徳紅さん(33)。
作業員の多くは地方からの出稼ぎ労働者で王さんもそのひとりである。
10年前から各地の高層建築の現場をまわって
ふるさとで待つ家族に仕送りを続けている。
息子はもうすぐ1歳。
クレーンを自在に操る王さんの月給は
約7万8千円とこの作業現場ではトップクラスである。
「上海で一番高い建物を建てているので誇りに思っています。」
高層建築に魅せられ
各地を訪ねて写真撮影をする愛好間グループも誕生した。
この日歩いたのは広州には広州タワーがそびえている。
悩みは
高層ビルが次々に建つので上手に撮影できるポイントを見つけるのが大変なこと。
仕事もすむ場所も違うメンバー同士はインターネットで知り合った。
共通しているのは高い建物への憧れである。
「高いビルがずらりと並んでいて
目の前に高層ビル群しか見えないと興奮します。
超高層ビルを建てることが出来るというのはすごいことです。」
世界各地で増え続ける高層建築。
高さへの憧れを掻き立てる豊かさの象徴として
その勢いは止まらない。
5月27日 おはよう日本
高血圧の原因のひとつは塩分の摂り過ぎ。
日本人は世界の中でも多く
平均で1日に11g摂取している。
専門医で作る学会で薦めているのは1日6g未満。
“減塩メニュー”。
広島県呉市で日本高血圧学会が主催の減塩サミットが行なわれた。
地元の飲食店が塩の量を抑えた料理をふるまった。
ラーメンは
スープにだしや唐辛子などを入れメリハリを付けている。
チャーシューを火で炙って香ばしさを出した。
香りで味を補う工夫である。
スープを飲み干しても塩は通常の半分程度の約3g。
会場では各地の取り組みも発表された。
注目が集まったのは国立循環器病研究センターの入院食だった。
6品のメニューは会席料理のように小鉢に盛り付け
見た目にも気を配っている。
「薄味だけどしっかり味がついている。
ここの食事はおいしい。」
味付けのヒントは“京料理”。
病院の調理師長 竹田博幸さんはかつて京都の日本料理店などで腕を振るっていた。
最もこだわっているのはだしを最大限に生かすこと。
メニューのすき焼き風の牛肉は
たっぷりのかつおのだしに生の牛肉を漬け込みしょうがを加える。
塩としょうゆは少しだけでも肉には味がしっかりしみ込む。
「この状態で下味がついているので
ちょうどいい加減の味になっている。
(塩分が)少ないなかで料理をつくるときは
このやり方が一番いい。」
さらに出来るだけ素材の味を生かす。
野菜は焼くと味が濃くなりドレッシングの量が減らせる。
こうした工夫で1色の塩分は2g未満。
専門医が薦める1日の塩分摂取量6g未満を達成した。
国立循環器病研究センター 栄養管理室 村井一人室長
「(国民が)今食べている塩分より2g程度減らすだけで
数万人規模で
(心臓病などの)循環器疾患の抑制が可能というデータも出ている。
料理が元々おいしくて
結果的に減塩であれば一番いい。」
病院は情報サービス会社と共同で
料理のレシピを有料で提供するサービスを始めている。
今月からサービスを利用している藪文章さんは
20代の頃から血圧が高く20年前には心筋梗塞で倒れたことがある。
藪さんは塩分を減らすよう医師からいわれたが
味に満足できずメニューが偏ることも多かった。
レシピはインターネットで見ることが出来る。
随時更新されるレシピは150種類以上。
料理の手順のなかで塩分の量を細かく示している。
塩分を減らすための料理の工夫も。
焼き魚は焼く前に魚を塩水に浸して味を付ければしょうゆをかけずにすみ
全体の塩分量を減らすことが出来る。
「塩はすごく馴染んでいるし存在感が大きい。
存在感はあるけどそんなにいろんな場面で出てこなくていいと
このレシピでわかった。
続けられる。
我が家は十分続けられる。」
5月13日 サンデーモーニング
電力を取り巻くさまざまな問題の根本は
60年以上前に生まれていた。
戦時下の日本
アメリカ軍の空襲が激しさがますなか“灯火管制”が布かれ
電力の使用も厳しく制限された。
戦時中の1939年から戦後の混乱が続く1951年まで
日本の電力は国有化され
停電や使用制限がたびたび繰り返された。
それから60年余
今再び電力の国有化の動きが人々の大きな関心事となっている。
5月11日、東京電力は家庭向け電気料金の7月1日からの値上げを申請。
値上げ幅は平均で10,28%に達した。
政府が認定した東京電力再建のための総合特別事業計画は
1兆円の公的資金を注入し事実上の国有化を行なうほか
電気料金値上げが盛り込まれ
柏崎刈羽原発再稼動もその前提をされた。
納得できないという町の声の背景にあるのは
原発事故の対応のまずさを含めた会社の体質そのものへの不信感である。
なぜこうした企業体質が生まれたのか
話は戦前にまでさかのぼる。
戦前 日本の電力業界は数多くの事業者が群雄割拠し
激しい市場競争を繰り広げていた。
しかし戦時統制が本格化するなか
電力の国家管理が画策される。
これに猛反対したのが
当時民間電力会社を経営していた実業家 松永安左ヱ門だった。
国有化されれば自由な企業化精神は死ぬ
それは国を誤らせる
社会の根本を支える電力。
それを国家が管理することは自由な経済活動を妨げ
ひいては戦争に利用される。
そう考えた松永は徹底して反対を叫ぶが
政府は国家管理を断行。
1939年 国有化された電力会社は挙国一致の掛け声の下
戦時体制に組み込まれ
松永は電力業界から事実上追放されたのである。
やがて迎えた戦後
電力業界に戻った松永は電力会社の民営化を主張し
周囲の抵抗にあいながらもその路線を押し通す。
1951年 結果として民間主体の世界にも稀な電力態勢が生まれた。
そして各電力会社は民間企業としての経営努力を重ねながら
安価で安定した電力を供給し
戦後復興、高度経済成長を支えた。
しかしその体質を大きく変えるきっかけとなったのが
国策としての原子力発電だった。
立地や最終処分を国に頼る原発事業は
否が応でも国への依存を深めざるを得ない。
国が進める原発を請け負うことで
電力会社からは自由な企業家精神が失われていったのである。
一橋大学大学院 経営史・エネルギー産業論 橘川武郎教授
「国策民営で行なわれるから
いろんな意味で原子力をやりやすくする保護政策が入る。
その結果として『原子力村』という言葉があるが
国と電力会社がもたれ合いになる。
責任を持てない仕組みになっている。」
そして去年3月11日
情報公開の遅れやあまりにずさんな対応。
民間企業でありながら“親方日の丸”的な企業体質が露呈し
東京電力は世間の批判を浴びた。
そして今 事実上の国有化。
一橋大学大学院 経営し・エネルギー産業論 橘川武郎教授
「元々原子力という事業を民間がやるのは無理。
原子力の部分は切り離して国が責任を持つ形にする。
もう原子力で稼ぐ時代は終わった。
原発のたたみ方を考えないといけない。
たたみやすくするためにも国が関わっていた方が良い。」
今後 原発をどうするにしろまずその責任を国が担うべきと語る橘川教授。
しかしその一方で責任を担うべき国について
今は不安の念が隠せないと言う。
「東電に責任があることは間違いないが
国策民営でやってきた国にも責任がある。
そこを明確にすることに対して今でも躊躇している。
両方が責任を擦り付け合う仕組みが国策民営方式。
そういう意味では国が明確な責任を取るべきだと思う。」
この夏も電力不足が懸念される中
暮らしに欠かせない電力は一体どうなってしまうのか。
5月24日 おはよう日本
オバマ大統領が選挙活動のツールとして最近始めたのが
ピンタレストという交流サイト。
演説の様子から
ペットと遊ぶ様子まで
さまざまな画像をアップしてPRに使っている。
この交流サイトわずか2年で利用者が1,800万人にまで拡大。
先月アメリカで行なわれたソーシャルメディアの人気ランキングで
フェイスブック、ツイッターに続く3位になった、
いま最もアツいサイトである。
ピンタレストは日本でも話題になっていて
楽天が80億円の出資をした。
一番の特徴は文章が要らないこと。
画像だけで伝える。
手軽さが受けてアメリカでは女性に非常に人気で
日本ではまだ日本語版サイトがないにもかかわらず利用者が増えている。
都内に住んでいる山崎史さん。
今年に入って知人に薦められてこの交流サイトを始めた。
着物を着るのが趣味の山崎さんは
気に入っている着物や帯などを撮影して自分のページに載せている。
この交流サイトでは
同じ趣味を持つ友人のサイトと見比べて
お互いを新たな情報源とすることが出来る。
スクラップブックをお互いに見せ合うという感覚。
友人のページから自分の着物に合いそうな傘を発見し
さっそく自分のページに載せて今後の買い物の参考にすることにした。
「自分が興味のあるボードに行くと素材が集まっていていっぺんに見られる。
一瞬で『これいいな これ欲しいな』
集めてくるモノや人のとこに彼女(友人)が共感したり
きれいだと思っているのか見るのが楽しい。」
集めた画像を見せることで自分らしさを表現できるというのがポイント。
都内にある調理器具のメーカーは
色やデザインに凝った鍋などを製造販売している。
先月ページを立ち上げた。
画像に特化しているという点に着目しておいしそうな料理を載せた。
写真を選ぶと
このメーカーの調理器具を使った調理法が紹介されているサイトいける。
おいしそうな料理の画像を入り口にして製品をアピールする。
調理器具メーカー 交流サイト担当
「料理は好きだけど弊社のブランドを知らないという人に対して
まず画像から入っていただいて友達まで広げていける。
非常にソーシャルネットワークサービスは有効。
今後も活用したい。」
福岡市役所は先月 全国に自治体で初めてこの交流サイトを導入した。
外国からの観光客を呼び込むというねらいである、
日本語がわからなくても
画像だったら福岡の魅力がわかりやすく外国の人に伝わると考えた。
祭りなどひと目で雰囲気がわかる写真を選んで載せている。
福岡市役所広報か 真名子美穂さん
「まだ運用したばかりで試行錯誤の状態。
今後はコンテンツを拡充して
画像を使ってわかりやすく情報を発信していきたい。」