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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

1917 命をかけた伝令

2020-03-03 17:13:45 | 映画(あ)
評価点:69点/2019年/イギリス・アメリカ/119分

監督:サム・メンデス

作品世界に没頭できない、何か。

1917年、第一次世界大戦が長期化し、フランスとドイツの国境で戦争が起こっていた。
上等兵のトム・ブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)と、コスフィールド(ジョージ・マッケイ)は上官から呼び出され、秘密の伝令を別部隊に渡すように伝えられる。
それは、撤退したドイツ軍を追って領地を挽回するという作戦が、実はドイツの罠であり、1600人の兵隊が惨殺される恐れがあるというものだった。
だから、明朝に行われる軍事作戦を中止せよ、というものだった。
ブレイクの兄は、その部隊に派兵されていた。
地図を読めるブレイクは、コスフィールドとともに、直ちに敵陣に乗り込み、伝令を届けるのだが……。

アメリカン・ビューティー」のサム・メンデスの監督作品である。
オスカーでも少し話題になった。
何を見に行くか迷って、眠気が強かったので、眠くならなさそうなものを選んだ。
ワンカットで取られている、ということが話題になって、あまりそれ以上の情報を得ずに見に行った。

ストーリーは、トレーラーを見ていればほぼ読める展開で、まったく驚きはないだろう。
戦争映画なので、当然そういうのが苦手な人は全く向かない。
だが、私としてはワンカットとはいえ、「プライベート・ライアン」の絶望感よりも見やすかった。
逆に言えば、それほど映像的な衝撃は大きくないということでもある。

他に見るべき映画があるなら、こちらは優先順位は低くてもよいかもしれない。

▼以下はネタバレあり▼

ワンカットで話題になっているが、ワンカットではない。
ワンカットにしか見えない映画、というのが本当のところだ。
バードマン」と同じだ。

大切なことは、ワンカットか、ワンカットに見せようとしているのか、ワンカットではないのか、という点ではない。
撮り方が映画の完成度を決めるわけではない。
当然そこにある、どんな意図でそれを撮っているか、あるいはそれが成功しているかどうか、が重要なことだろう。

そういう観点で見ると、この映画の撮り方は、それほど有効だったとは思えない。
いや、厳密に言うと、撮り方で狙ったことは成功しているのかも知れないが、それほどおもしろい(完成度の高い)映画ではない。

物語は非常にわかりやすい。
いわゆる往還の物語である。
戦地に赴き、戦地から帰ってくる。
あるいはコスフィールドの視点に立てば、故郷から飛び出した青年が、故郷に帰る物語だ。

1917年に起こった出来事(フィクションだが)をなぜ今描こうとしたのか。
それは、戦争に向かおうとしている私たちを、止めるのは誰か、というメッセージが込められているからだろう。
第一次世界大戦に起こった、ドイツとフランスの領土争いは、欧州と中東、アメリカと中国など様々な国同士が覇権を争っている状況を比喩している。
この映画のモティーフは、戦争の残忍さと愚かさ、それを止めることの勇気である。
だから、ある意味で非常に現代的である。

ではなぜワンカットにこだわったのか。
それは、二人の伝令係の、三人目として私たちが登場するためだろう。
切れ目がない、カメラというのは、要するに、その場にいる人間と同じ目線で物語を体験するということに他ならない。
こちら側からみていたものが、あちら側からみるというような映画にありがちなカメラの切り換えは、現実にはあり得ない。
ワンカットで撮られることで、私は、ブレイクとコスフィールドとともに街と森を抜けて伝令をもたらす登場人物の一人となることができる。

戦場に放り込まれる、その緊張感を意図したものだろう。

こういうことをわかりながらも、私はこの映画がそれほどおもしろいとは思えなかった。
ありていにいえば、この映画にはもっとも大切な「魂」が感じられなかった。
退屈だとはいわない。
臨場感がないとはいわない。
説得力がないわけでもない。
けれども、圧倒的に「魂」を感じられなかった。
ちょうどそれは、「ロード・トゥ・パーディション」を見たときと同じような印象だ。

あまりに圧倒的な映像であることで、むしろ、「作り手」の意図が全面に顔を出している。
だから、「作りもの」の印象を拭えない。
このあとどうなるのか、という没頭感よりも、「どうやってこれを撮ったのだろう」というほうに関心が向いてしまう。
絵画でいうなら、あまりに圧倒的な作品なので、その世界観に没入するより前に、制作過程が気になるようなものだ。

あまりに意図通りに進みすぎて、「生きた実感」が欠如してしまっているといえばいいだろうか。

私は偉そうなことを書いてみたが、実際その「魂」なるものがどこにあるのか、わからない。
どう撮り直せば、この映画が良くなるのかなんていうことはわからない。
けれども、ワンカットであるがゆえに、どこからどこまでも「作り手」が顔を出しているように感じられてならない。

荒廃した街で、名も知らない赤ん坊を育てる女性に出会ったり、そこでたまたま拾った牛乳をわたしたり。
緩急を出すためには、こういう抜きどころが大事なのは映画として当然だが、それが逆に「作られた世界」を演出する。

展開は村上龍の「五分後の世界」のような、スリリングで焦燥感を生み出すようなものであるはずなのに、そうは思えない。
私に残っているのは、この映画がそれほどおもしろくなかった、という印象だけなのだ。

だから、見終わって、感じたのは「これがオスカー(の主要賞)を受賞するはずがない」ということだ。

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