本屋に行けばきっとすぐに手に入るだろう。
緑色の表紙が目印だ。
ビジネス書のあたりにきっとある。
帯には五郎丸歩選手という文字が踊るはずだ。
私も朝日新聞の書評を見て、買おうと思って購入した。
この手の本を時折手に取る私にとって、それほど期待せずに読み始めた。
で、読み終わってこの本がすごいということに、気がついたわけだ。
本の最後に忠告されるように、「箱」の意味や、本の内容を詳しく書くことは出来ない。
ネタバレすることができない種類の本だ。
誰かにこの本の良さを伝えろと言われても無理なのだ。
内容を伝えることもできない。
読むしかない。
読んだ人にしか、その意味がわからないようになっている。
難しいが、端的に言えば、「この本を読む前から内容をかいつまんで知ってしまうと、「箱」に入ってしまうから」である。
だから、騙されたと思って読むしかない。
大丈夫、薬になったとしても、特に毒になることはないから。
▼以下はネタバレあり▼
この本がすごいのは、伝え方が伝えたい内容とぴたりと合っているということだ。
ビジネス書なのに、この本はかいつまんで書くことが出来ない。
要約することを許さない内容になっている。
書いていることはたいしたことじゃないのかもしれない。
いや、ありふれているといってもいい。
けれども、その書き方は非凡であるし、書きたいことを100%伝えるにはこのような物語調の構成を取らざるを得なかったのだと思う。
人は自分の箱を持っている。
その箱を取り除くには、「あなたは箱に入っているから出てきなさい」と言われても無理だ。
箱に入っていることを、自ら気づくしかない。
私も入っている。
あなたも入っている。
だから、出てきなさい、と言われても出てこられない。
自分の箱がいかに強固であるかを自らが感じるしか方法はない。
だから、(多くのビジネス書がそうであるように)筆者だけが知っている「秘訣」として披露するような類の本にはできない。
なぜなら、そう諭されてしまうと、余計に箱に入るしかなくなるからだ。
人を箱から出すことは出来ない。
自分が意識的に箱から出ることもできない。
ジャン・ピエール・ポルナレフ風に言えば、「俺は箱から出たとおもったら、いつの間にか箱に入っていた」ということになる。
超常現象でもちゃちなトリックでもない。
意識的に出入りできるものではない。
だから、物語としていっしょに体験する以外に、その箱なる概念を伝える方法はない。
伝え方を誤ると、その人はずっと箱のままなのだ。
例えば、私が何かのリーダーで、外から見ていて「あいつは箱に入っているな、いっちょ箱から出してやるか」と思っても、出すことが出来ない。
禅問答みたいな文章になっているが、その矛盾を見抜き、文章という形にしたことがすごい。
私は、今直面している私の壁に対して、この本がなんらかのブレイクスルーをもたらすような気がしている。
緑色の表紙が目印だ。
ビジネス書のあたりにきっとある。
帯には五郎丸歩選手という文字が踊るはずだ。
私も朝日新聞の書評を見て、買おうと思って購入した。
この手の本を時折手に取る私にとって、それほど期待せずに読み始めた。
で、読み終わってこの本がすごいということに、気がついたわけだ。
本の最後に忠告されるように、「箱」の意味や、本の内容を詳しく書くことは出来ない。
ネタバレすることができない種類の本だ。
誰かにこの本の良さを伝えろと言われても無理なのだ。
内容を伝えることもできない。
読むしかない。
読んだ人にしか、その意味がわからないようになっている。
難しいが、端的に言えば、「この本を読む前から内容をかいつまんで知ってしまうと、「箱」に入ってしまうから」である。
だから、騙されたと思って読むしかない。
大丈夫、薬になったとしても、特に毒になることはないから。
▼以下はネタバレあり▼
この本がすごいのは、伝え方が伝えたい内容とぴたりと合っているということだ。
ビジネス書なのに、この本はかいつまんで書くことが出来ない。
要約することを許さない内容になっている。
書いていることはたいしたことじゃないのかもしれない。
いや、ありふれているといってもいい。
けれども、その書き方は非凡であるし、書きたいことを100%伝えるにはこのような物語調の構成を取らざるを得なかったのだと思う。
人は自分の箱を持っている。
その箱を取り除くには、「あなたは箱に入っているから出てきなさい」と言われても無理だ。
箱に入っていることを、自ら気づくしかない。
私も入っている。
あなたも入っている。
だから、出てきなさい、と言われても出てこられない。
自分の箱がいかに強固であるかを自らが感じるしか方法はない。
だから、(多くのビジネス書がそうであるように)筆者だけが知っている「秘訣」として披露するような類の本にはできない。
なぜなら、そう諭されてしまうと、余計に箱に入るしかなくなるからだ。
人を箱から出すことは出来ない。
自分が意識的に箱から出ることもできない。
ジャン・ピエール・ポルナレフ風に言えば、「俺は箱から出たとおもったら、いつの間にか箱に入っていた」ということになる。
超常現象でもちゃちなトリックでもない。
意識的に出入りできるものではない。
だから、物語としていっしょに体験する以外に、その箱なる概念を伝える方法はない。
伝え方を誤ると、その人はずっと箱のままなのだ。
例えば、私が何かのリーダーで、外から見ていて「あいつは箱に入っているな、いっちょ箱から出してやるか」と思っても、出すことが出来ない。
禅問答みたいな文章になっているが、その矛盾を見抜き、文章という形にしたことがすごい。
私は、今直面している私の壁に対して、この本がなんらかのブレイクスルーをもたらすような気がしている。
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