評価点:83点/年2014/アメリカ/114分
監督:スコット・フランク
タイトル以外、秀逸。
1991年、マット(リーアム・ニーソン)は非番の日酒を飲んでいたところを、バーの店主が3人組によって射殺された。
すぐに追跡し2人を射殺し、1人も足を狙撃した。
その日以来、マットは酒を断ち、警察官を辞めてしまう。
それから8年後、レストランで食事をしていたマットに、飲酒の会で知り合った男が話しかけてきた。
弟の話を聞いて欲しい、頼みがあると。
促されるままにその男の話を聞くと、妻が誘拐されて殺された、その犯人を見つけて欲しい、というものだった。
リーアム・ニーソンといえば、誘拐。
誘拐といえば、リーアム・ニーソン。
それくらい「誘拐もの」の代名詞となったリーアム・ニーソンのサスペンスだ。
ほとんど期待せずに借りたが、これがどうしたことか、めっちゃおもしろい。
タイトルがよく分からないので、敬遠されてしまいそうなのが残念だ。
「羊たちの沈黙」や「ボーン・コレクター」、「プリズナーズ」などの猟奇殺人系の流れをくむ作品である。
だから、好き嫌いや取っつきにくさもある。
さくさく進んでいく気持ち衣作品ではない。
じとっとして暗い、そして緊迫感のある作品に仕上がっている。
是非、見て欲しい作品だ。
▼以下はネタバレあり▼
ほとんど予備知識なしで借りた。
映画館で見るチャンスを窺っていたが、結局時間があわなかったのでレンタルになってしまったのが惜しいくらいだ。
リーアム・ニーソンは「96時間」のイメージからシリアスというよりもちょっとやりすぎておもしろいおっさん程度の印象だった。
この映画はどこまでもシリアスで、そして重たい。
繰り返し口にするトラウマの真相が明らかにされたとき、この映画のテーマが見えてくる。
マットは8年前非番だったときに酒を飲み、その店で事件が起こる。
店主が射殺され、すぐに対応した彼は、犯人達を射殺する。
そのことをきっかけとして彼は警察官を辞め、私立探偵で生計を立て始める。
繰り返し「禁酒の会」で告白される。
だが、見ている我々はなぜそのことが禁酒につながるのか見えてこない。
彼は禁酒の会でありのままの自分をさらしているようで、実は最も大切なところを話していない。
いや、話せずにいたのだ。
それは彼が放った銃弾が少女の目を射貫き、即死させてしまったということだ。
なぜ彼はそれを告白できないのか。
それは彼がその点についてずっと向き合うことができなかったからだ。
この映画のテーマは、そこにある。
自分の過去と向き合えるかどうか。
自分の罪に対してどのように次の一歩を踏み出すのか。
それはすなわち、子どもを守れるかどうかという点にある。
そのことが明かされるとき、ちょうど14歳の少女が犯人達にさらわれる。
物語は一気に加速していく。
つまり、その14歳の少女を守ることが、彼の贖罪になるからだ。
しかし、その贖罪は果たされない。
取引の時、彼女はすでに左指を切断されていた。
マットはまた、子どもを守ることができなかったのだ。
そのカットを見た瞬間、この映画落としどころが決まる。
守るべきは、その誘拐された少女ではなく、相棒のTJであることがわかるのだ。
だから、物語終盤犯人とふたりきりになったケニーをそのままにしておくことはできない。
導かれるように、再び犯人の家に戻り、犯人を射殺する。
そこにはさまざまな選択肢があった。
許すべき相手と許すべからざる相手を見抜いたマットは何のためらいもなく犯人を射殺する。
自宅にもどってきたマットが目にするのは、ヒーローを描いたTJの落書きだった。
それまで毒々しい絵ばかり描いていたTJの目には、しっかりとヒーローが描かれている。
マットが救ったのは、TJなのだ。
この映画のカタルシスが大きいのはここにある。
主人公のマットの課題が解決することと、事件が解決することがほぼ同時に起こる。
よって、観客はそれまでの鬱積した思いを晴らすことができるのだ。
非常に上手い展開だ。
映画の雰囲気は全体として暗く、重い。
だれもが闇を抱えており、清廉潔白のような清い存在はいない。
誘拐する犯人も、被害者も、被害者の遺族(家族)も、闇を抱えている。
そして、主人公も救済を求めて事件に引き寄せられていく。
おぞましい犯罪を題材にしながら、そのおぞましい事件に巻き込まれていく自分たちが、また闇を抱えているという暗さがこの映画のカタルシスを増大させていく。
繰り出したパンチは見事に自分たちに返ってくる。
麻薬で築いた富は、誘拐犯にもっていかれる。
恋心を抱いていた弟の妻は、無残な姿で帰ってくる。
それも、自分が招いた嫉妬心によって。
一発の銃弾が少女の左目を貫き、贖罪を求めて私立探偵になったマットも、自分自身への傲慢さや奢りが自分へ返ってきたことを痛いほど知っている。
犯人は裁かれずに、殺害されてしまう。
彼らの傲慢さや残忍さは法ではない何かによって裁かれるしかない。
この事件に関わった人間すべてが、法ではない何かによって確実に裁かれている。
そのヒントは何か。
終盤くどいほど引用される聖書によって導き出される。
まさに現代的なテーマをもった、因果応報の物語である。
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