secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ファイヤーウォール(V)

2009-09-06 23:08:17 | 映画(は)
評価点:46点/2006年/アメリカ

監督:リチャード・ロンクレイン

あの予告編に対して、そんな結末はありえない。

銀行のセキュリティシステムの管理者であるジャック(ハリソン・フォード)は、会社の大きな合併を控えてイライラしていた。
いつも通り帰宅した彼は、突然妻子が人質に取られていると知らされる。
要求は「100人の銀行口座から1万ドルずつ犯人の口座に移動させる」というものだった。
ジャックは、合併に伴ってシステムサーバーがすでにないことを犯人に知らせるがそれでも何か案を考えろと言われ……。

インターネットが全盛の時代にあって、いまや口座が電子化されているのは辺りまである。
だとすれば、実際に銀行まで赴いて、現金のお金を盗もうとするのはナンセンスなのかも知れない。
そのように感じさせる映画だ。

ただし、この映画の予告編をみて、興味をもった人は要注意だ。
おそらくあなたが期待している内容の映画ではない。
がっかりすることになるので、僕はおすすめしない。
ハリソン君が好きな人は、観てもいいとは思うが。
もうひとつは、「24」シリーズのクロエさんが出ていることくらいだろう。
 
▼以下はネタバレあり▼

予告編が映画やDVDの前にあり、それでこの映画を観ることになった。
映画の予告編の効果というのは計り知れない。

予告編のおおよその内容はこうである。
銀行のシステム管理の男(ハリソン・フォード)の妻子が誘拐され、犯人の要求は、銀行口座に侵入し100万ドルを振り込むこと。
そしてハリソン君はそれに対抗して、犯人の口座に逆に侵入し取引しようとする……。

というものだった。
しかし、この内容が実は物語の7割ほどを紹介しているとは思わなかった。
しかも、その後に待っている展開が、それまでの流れを完全に無視したものだった。
故にこの映画駄目だと判断するに至ったのである。

そもそも、それまでの展開のテンポが悪すぎた。
銀行強盗ではなく、銀行のソフトのシステムを破るという設定は面白い。
だが、序盤から中盤まで、ハリソン君が少々頑張りすぎなのだ。
犯人が要求する内容を実行するための計画を話し、実際に計画に移すまでの時間があまりに長い。
たしかにその間のやりとりというのはスリリングで面白い。
秘書の女と抱き合うフリをしてカメラ付きのボールペンをこっそり付け替えたり、深夜に逃げ出そうとしたり、知的で大胆な抵抗は緊迫感がある。

しかし、問題はそれらが事件解決の糸口にすらなっていないということだ。
抵抗しては潰され、抵抗しては潰される。
ハリソン君は自分が人質を取られている人間だということを全然知らないようなのだ。
抵抗することによって犯人への手がかりを知ったり、犯人の弱点を発見したりということがない。
だから、余計にテンポが悪く感じてしまう。
しかも、それだけ抵抗されているにも関わらず、犯人は脅すだけしかしない。
ハリソン・フォードが主人公というだけで「なんとなる」感があるのに、犯人がふぬけではどうしようもない。

そしてたいへん長らくお待たせしましたと言わんばかりに終盤にやっと犯行の実行。
そのあとどのように抵抗するか知っている僕にとっては、はっきり言ってそれまでのダラダラした展開は眠気と怒気を誘うばかりだ。
犯行が成功し、ようやく反撃に出るが、そこからの展開が恐ろしいほど速い。
むしろハリソン君が犯罪をしたほうが良いのでは? と思えるくらいの手際の良さである。

そして犯人に伝えるのだ。
「お前の口座から今一千万ドルが消えたぞ」
対する犯人は「なんだと?」
それを観ていた僕は「やっとか」

ここから本格的に犯人とのやりとりが起こるのだろうと期待する僕。

ここまでの犯人の計画により、主人公は地位も名誉も、それどころか犯罪者として扱われるという窮地に立たされているのである。
これをどのように挽回するのか、どのように妻子を奪回するのか、いよいよ前置きが終わった、というような期待が膨らんだのである。

しかし、ここから理不尽な展開が待っている。
結局このやりとりは全く効果を発揮せずに、そのまま武力で解決してしまう。
敵のアジトをGPSで検索し、発見するとさっそく妻子を助けに向かう。
「え? そういう映画だったっけ?」
「口座を押さえたことによるかけひきは??」
いきなりアクション映画になってしまい、それまでの雰囲気がぶちこわしになってしまう。
いよいよ、というところから映画の趣旨が変わってしまうのだ。
そんなウルトラCみたいな解決方法があるなら、もっと前の時点で解決できたのではないか。
それまでのスローテンポがウソのようだ。

脚本家がこれ以上どうにもこうにも進めようがないので、仕方なく「ハリソン・フォードの映画」にしてしまったかのような展開だ。

それでメデタシ、メデタシと言われても、死んだ同僚も可愛そうだし、あれだけ引っかき回したのにそれで解決、というのはいかがなものだろうか。
それで何もかもが許され、しかも犯人が全員死に、内実を直接知る証人が、家族くらいしかいない状態で、それで解決できたとしたら、アメリカはなんという「自由」な国なのだろう。
後半の大味な展開に辟易してしまう。

しかし、僕はこの映画から密かな声が聞こえた気がする。
「だってハリソン・フォード主演じゃん。
みんなもそういうのを期待しているんでしょ?」と。
これくらいの役者になると全ては同じキャラクターで構わないのだろうか。

僕としては、史上最悪な悪役を彼に演じてほしいとさえ思うのに。

とにかく、あまりの期待はずれで、逆に楽しめたくらいだ。
予告編の恐ろしさを改めて知った。
日本の配給会社が作っているのか、ほんと犯罪に近いね。

(2007/2/5執筆)

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