評価点:67点/2010年/アメリカ
監督:ポール・グリーングラス
監督、頼むから手ぶれ補正のあるカメラで撮影してくれ。
2003年、イラクではアメリカ軍が大量破壊兵器を探すために、躍起になっていた。
そのチームのチーフを務めていたミラー(マット・デイモン)は、もたらされる情報がいつも的外れであることにいらだちを覚えていた。
また、地下で大量破壊兵器の化学兵器があるという情報が入る。
けれどもどこかおかしい。
そう感じたミラーは、会議で発言するが、即却下される。
その姿をみたCAIのマーティン・ブラウン(ブレンダン・グリーソン)は、ミラーが感じている疑問を見抜き、連絡するように名刺を渡す。
地下にあるという情報のもと、付近を捜索していると、突然イラク人が「近くで要人の会合があるようだ」という情報を伝えてくる。
ミラーは兵器の捜索よりも、その情報を確認しにその民家に向かうが。
あの大ヒットの「ボーン」シリーズを手がけた主演と監督が、再びタッグを組んだという話題作。
どうしてもボーンがマット・デイモンのコスプレに見えて仕方がない僕としては、彼がアメリカ軍兵士を演じると言うだけで笑えてしまう。
他の作品とも迷ったが、間違いなくそれなりには楽しめるだろうという安定さからこの映画をチョイスした。
この映画があえて、このタイミングで制作されるということ自体が、ちょっと考えさせられる。
「ユナイテッド93」でも、スリリングなドキュメンタリーを撮った監督であることも、その鋭さに拍車をかけているだろう。
ボーン・シリーズが好きな人は、そこそこ楽しめるだろう。
イラク戦争のことを知らなくても、知っていても十分おもしろい。
その裏にある事柄まで読むことができれば、よりいっそう興味深く感じるかも知れない。
まあ、どうしても時間を割いて見たいほどでもないことも、確かだが。
▼以下はネタバレあり▼
おもしろいとは思う。
だが、それ以上の印象は持てない。
予想以上におもしろかったが、スマッシュヒットというほどではない。
いかにもお手軽なエンターテイメント、という印象を受ける。
狙いはそこにあるのだろうから、仕方がない。
映画を観ている途中で、ふと、この主人公はジェイソン・ボーンだったか、と勘違いを起こすほど、ボーンの人物像を引きずっている。
ボーンのその後です、といわれても、特に違和感はないかも知れない。
まるで木村拓哉がどの役を演じても木村拓哉なのと同じだ。
あるいはサンドラ・ブロックがいつまでもサンドラ・ブロックであるのと同じだ。
いや、それを言うなら、スティーブン・セガールやミラ・ジョヴォビッチのほうが好例か。
話がそれた。
残念ながら、ほとんど誰でも良いくらい、彼の中身がない。
正義感に溢れる人物以上に、彼の人物像を描くことができない。
決断力にすぐれたアメリカ兵という人物造形は感情移入しやすいが、彼がなぜそこまで上官の命令に背いてまでイラクで大量破壊兵器を探そうとするのか、いまいち見えてこない。
もちろん、アメリカハリウッドのお決まりヒーローとしては当然の行動だが、それはミラーというアメリカ兵ではなくハリウッドスターの「マット・デイモン」として観た場合だ。
常識的に考えて、そんな突っ込んだ独りよがりの作戦は、たとえ結果が伴っていたとしても、御法度だ。
彼のトラウマなり、使命感なりをもっと具体的に描いてくれれば、よりおもしろくなっただろう。
〈個人〉的な動機で単独行動に走るのに、その〈個〉がいないのであれば、おもしろさは半減してしまう。
もちろん、イラク軍の将軍アル・ラウィも、フレディについても、同様だ。
彼らの叫びを垣間見ても、結局彼らの中身はない。
フレディが将軍を殺す動機も、いまいちはっきりしない。
彼はミラーの考えそのものが嫌だったのか、それともアル・ラウィにかつて遺恨があるのか。
その当たりを少しでも見せれば、それだけで二人ともの人物の裏側を見せられたと思うのだが。
だが、それもそのはずだ。
ドキュメンタリーのような要素を持ちながら、社会的な視座はまるでない。
ありていに言うならば、ワイドショウニュースで知り得る情報以上の、事実を暴き出そうという野心は見えてこない。
だから、わかりきったレールをそのままただ安心して進むジェットコースターのような映画だ。
大量破壊兵器がイラクで見つからなかったことも、それを知りながら見切り発車でイラク侵攻を進めたことも、その裏にアメリカの武器商売が見え隠れすることも、もはや誰もが知っている。
それ以上に鋭くイラク侵攻の責任やイラク侵攻を進めていったアメリカのエゴイズムなどを描こうとする態度は見えない。
だから、ミラーという人物造形の甘さも、仕方がないのだ。
ドキュメンタリーのような、きわめて現実的な設定を持ちながら、結局中身は「定説」にすぎない物語が展開される。
しかも、その大量破壊兵器が無かったという責任をたった一人の人間のせいにしてしまっている。
政府高官のパウンドストーン(グレッグ・キニア)一人に責任を押しつけて、終幕するというのはいかにもご都合主義だ。
それに荷担した政府も、もはや退いている。
結局、アメリカ人たちは「私たちは間違っていない、悪いのはブッシュだ」と自己肯定するために、この映画を鑑賞するのだろうか。
一人の高官にすべてを押しつけるあり方は、「ボーン・アルティメイタム」でやってしまったことと同じだ。
主人公がジェイソン・ボーンに見えてしまうのも無理はない。
同監督で、同主演で、同工異曲と言われても、無理はない。
結局この映画を支えているのは「アメリカ軍ってかっこいい」と言った寒々しい正義だ。
「ボーン」シリーズだけでなく、「ハート・ロッカー」と同じにおいを感じるのも必然だろう。
だが、そうわかっていても、話はスリリングに進むし、アクションはおもしろい。
その意味では、かなりの安定感だ。
僕はマット・デイモンが格好をつけるたびに、ちょっとにやけてしまうが、それでも二時間弱を集中させる映像力はさすがだ。
ただ残念なのは、いい加減に手ぶれ補正のカメラを導入してほしいということだ。
「ユナイテッド93」にしても、大丈夫かな、と思うほど手ぶれがひどい。
緊張感をそんな方法で演出せずに、もうちょっと映像技術を学んでほしい。
さすがにつらい。
監督:ポール・グリーングラス
監督、頼むから手ぶれ補正のあるカメラで撮影してくれ。
2003年、イラクではアメリカ軍が大量破壊兵器を探すために、躍起になっていた。
そのチームのチーフを務めていたミラー(マット・デイモン)は、もたらされる情報がいつも的外れであることにいらだちを覚えていた。
また、地下で大量破壊兵器の化学兵器があるという情報が入る。
けれどもどこかおかしい。
そう感じたミラーは、会議で発言するが、即却下される。
その姿をみたCAIのマーティン・ブラウン(ブレンダン・グリーソン)は、ミラーが感じている疑問を見抜き、連絡するように名刺を渡す。
地下にあるという情報のもと、付近を捜索していると、突然イラク人が「近くで要人の会合があるようだ」という情報を伝えてくる。
ミラーは兵器の捜索よりも、その情報を確認しにその民家に向かうが。
あの大ヒットの「ボーン」シリーズを手がけた主演と監督が、再びタッグを組んだという話題作。
どうしてもボーンがマット・デイモンのコスプレに見えて仕方がない僕としては、彼がアメリカ軍兵士を演じると言うだけで笑えてしまう。
他の作品とも迷ったが、間違いなくそれなりには楽しめるだろうという安定さからこの映画をチョイスした。
この映画があえて、このタイミングで制作されるということ自体が、ちょっと考えさせられる。
「ユナイテッド93」でも、スリリングなドキュメンタリーを撮った監督であることも、その鋭さに拍車をかけているだろう。
ボーン・シリーズが好きな人は、そこそこ楽しめるだろう。
イラク戦争のことを知らなくても、知っていても十分おもしろい。
その裏にある事柄まで読むことができれば、よりいっそう興味深く感じるかも知れない。
まあ、どうしても時間を割いて見たいほどでもないことも、確かだが。
▼以下はネタバレあり▼
おもしろいとは思う。
だが、それ以上の印象は持てない。
予想以上におもしろかったが、スマッシュヒットというほどではない。
いかにもお手軽なエンターテイメント、という印象を受ける。
狙いはそこにあるのだろうから、仕方がない。
映画を観ている途中で、ふと、この主人公はジェイソン・ボーンだったか、と勘違いを起こすほど、ボーンの人物像を引きずっている。
ボーンのその後です、といわれても、特に違和感はないかも知れない。
まるで木村拓哉がどの役を演じても木村拓哉なのと同じだ。
あるいはサンドラ・ブロックがいつまでもサンドラ・ブロックであるのと同じだ。
いや、それを言うなら、スティーブン・セガールやミラ・ジョヴォビッチのほうが好例か。
話がそれた。
残念ながら、ほとんど誰でも良いくらい、彼の中身がない。
正義感に溢れる人物以上に、彼の人物像を描くことができない。
決断力にすぐれたアメリカ兵という人物造形は感情移入しやすいが、彼がなぜそこまで上官の命令に背いてまでイラクで大量破壊兵器を探そうとするのか、いまいち見えてこない。
もちろん、アメリカハリウッドのお決まりヒーローとしては当然の行動だが、それはミラーというアメリカ兵ではなくハリウッドスターの「マット・デイモン」として観た場合だ。
常識的に考えて、そんな突っ込んだ独りよがりの作戦は、たとえ結果が伴っていたとしても、御法度だ。
彼のトラウマなり、使命感なりをもっと具体的に描いてくれれば、よりおもしろくなっただろう。
〈個人〉的な動機で単独行動に走るのに、その〈個〉がいないのであれば、おもしろさは半減してしまう。
もちろん、イラク軍の将軍アル・ラウィも、フレディについても、同様だ。
彼らの叫びを垣間見ても、結局彼らの中身はない。
フレディが将軍を殺す動機も、いまいちはっきりしない。
彼はミラーの考えそのものが嫌だったのか、それともアル・ラウィにかつて遺恨があるのか。
その当たりを少しでも見せれば、それだけで二人ともの人物の裏側を見せられたと思うのだが。
だが、それもそのはずだ。
ドキュメンタリーのような要素を持ちながら、社会的な視座はまるでない。
ありていに言うならば、ワイドショウニュースで知り得る情報以上の、事実を暴き出そうという野心は見えてこない。
だから、わかりきったレールをそのままただ安心して進むジェットコースターのような映画だ。
大量破壊兵器がイラクで見つからなかったことも、それを知りながら見切り発車でイラク侵攻を進めたことも、その裏にアメリカの武器商売が見え隠れすることも、もはや誰もが知っている。
それ以上に鋭くイラク侵攻の責任やイラク侵攻を進めていったアメリカのエゴイズムなどを描こうとする態度は見えない。
だから、ミラーという人物造形の甘さも、仕方がないのだ。
ドキュメンタリーのような、きわめて現実的な設定を持ちながら、結局中身は「定説」にすぎない物語が展開される。
しかも、その大量破壊兵器が無かったという責任をたった一人の人間のせいにしてしまっている。
政府高官のパウンドストーン(グレッグ・キニア)一人に責任を押しつけて、終幕するというのはいかにもご都合主義だ。
それに荷担した政府も、もはや退いている。
結局、アメリカ人たちは「私たちは間違っていない、悪いのはブッシュだ」と自己肯定するために、この映画を鑑賞するのだろうか。
一人の高官にすべてを押しつけるあり方は、「ボーン・アルティメイタム」でやってしまったことと同じだ。
主人公がジェイソン・ボーンに見えてしまうのも無理はない。
同監督で、同主演で、同工異曲と言われても、無理はない。
結局この映画を支えているのは「アメリカ軍ってかっこいい」と言った寒々しい正義だ。
「ボーン」シリーズだけでなく、「ハート・ロッカー」と同じにおいを感じるのも必然だろう。
だが、そうわかっていても、話はスリリングに進むし、アクションはおもしろい。
その意味では、かなりの安定感だ。
僕はマット・デイモンが格好をつけるたびに、ちょっとにやけてしまうが、それでも二時間弱を集中させる映像力はさすがだ。
ただ残念なのは、いい加減に手ぶれ補正のカメラを導入してほしいということだ。
「ユナイテッド93」にしても、大丈夫かな、と思うほど手ぶれがひどい。
緊張感をそんな方法で演出せずに、もうちょっと映像技術を学んでほしい。
さすがにつらい。
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