評価点:83点/2009年/アメリカ
監督:ニール・ブロムカンプ
恐ろしくリアルで真っ赤な嘘を、平気で映画にしてしまうセンスに脱帽だ。
近未来、南アフリカ、ヨハネスブルクに突如として現れた飛行物体に人類は驚愕した。
全くアクションを起こさないその物体に人類は内部に進入することに成功したが、内部では宇宙人たちが疲弊しきっていた。
難民として扱われた宇宙人につけられたあだ名は、その醜い容姿から「エビ」。
エビに難民保護地域として与えられたのは「第9地区」と呼ばれる地域だった。
第9地区は設置後20年が経ち、スラム化し、地域住民としばしトラブルになっていた。
そこで、多角的大企業であるMNUは、彼らを別の第10地区へ移動させる計画を立てる。
その地区は第9地区よりも劣悪な地域だった。
その署名を取り付けるのはエイリアン課のヴィカス(シャルト・コプリー)。
彼は一軒一軒バラック小屋のエイリアンの住まいを尋ね、交渉していくが…。
なんだ、このストーリーは。
誰もが思う、その奇抜な話を、大まじめで撮ってしまった問題作が、この「第9地区」である。
公開されておそらくネタバレが横行しそうな問題作なので、とにかく早めに鑑賞することをおすすめする。
はっきり言って、上のストーリーも読まない方がおもしろい。
一切の予備知識が「大きなお世話」になりかねない本作は、観るものの感性を問う。
南アフリカが今年ワールドカップを迎え、しかもそのチケットが「治安が不安」という理由で売れていないということを、時事問題として知っておけば、十分予備知識として通用する。
この世界観、本当によくできている。
なぜオスカー候補になったのか、そしてなぜ受賞できなかったのか。
それは観れば十分理解できるだろう。
「今年1本の映画」ということは言えそうだ。
▼以下はネタバレあり▼
インターネット上での評価が気になって少し覗いてみたけれども、僕の感性がおかしいのか、多くの人の意見とはだいぶ違う印象を受けた。
それは、「これってコメディですよね?」ということ。
僕にはラストへ向かうアクションシーン(?)なんて、爆笑するべきところではないかと思いながら、にやにやしながら観ていた。
迫力というよりも、エイリアンの武器によって気持ちよく(あるいは気持ち悪く)人間を吹き飛ばしてしまう残虐性は、もはやアイロニーどころか出来の良いギャグだ。
ちょっと名作ホラーの「スペル」を思い出してしまった。
以下の批評はすべてその印象で語ることにしよう。
誰もが圧倒されるのは、その世界観だろう。
UFOが飛来する、のではなく、飛来した後、すでに共存の道を歩んでいるという点がこの映画のすべてだ。。
「難民」とされるエイリアンたちが、これまた難民を大量に出している危険地域ヨハネスブルクに滞在する。
するとどうなるか。
これまで被害者(?)であったはずの黒人たちが、今度はエイリアンたちを蹂躙するという皮肉な状況に陥る。
これが多くの人には「リアル」だと感じられるのだから、この監督のセンスはすばらしい。
人権問題のすれすれを、肩で風を切って歩くようなものだが、弱者がさらに弱者から奪うという構図は、アフリカでは珍しくない。
もちろん、その構図に追いやった白人たちは諸悪の根源であったとしても、やはり黒人たちが利権をむさぼっていることには変わりはない。
それを鋭くえぐっている。
しかも、この黒人たちは、エイリアンのDNAにしか反応しない兵器を使いこなすために、必死になってエイリアンを食す。
このあたりの考え方も、祖国をよく知る南アフリカ人の監督であるからこそ、と言えるかもしれない。
あり得ない設定を、いかにもありそうに感じさせるそのバランスがよいのである。
細部をリアリティあるように描けば、大きなフィクションは妙に説得力を帯びてくる。
SFとしての真骨頂をみせてもらった感じだ。
この映画はほとんど、この世界観を楽しむためにある。
だが、世界観だけの映画であれば、オスカー候補には選ばれなかっただろう。
この映画は、このアイロニーを通り越した世界観に、さらにおもしろいシナリオを載っけてしまった。
他の人の記事でも言及されていたことだが、やはり主人公のキャラクター設定が巧みだった。
彼は単なる人の良い普通のデスクワーカー。
人当たりはよいが、それは人間の中での話だ。
彼がバラック小屋を訪れる際に見せる言動は、いかにエビたちをいい加減に考えているかを如実に示している。
彼が人がよい雰囲気を出せば出すほど、世界がエビに対してどのように扱っているかがわかる、そういう人物である。
だが、エビが集めていた液体を浴びることで世界が一変する。
エビ化しはじめたことに気づいた周りは、これ以上ない研究対象として、人間たちから追われることになる。
この映画の物語軸には、変身譚がある。
つまり、ごく一般的な感性の持ち主であるヴィカスがエイリアンに変身する物語、である。
一方で、それは、人間であるヴィカスがエイリアン側へと移っていく物語でもある。
それまで蔑視していたエビの存在を、一個の生命体として捉えるようになるその変身は見事である。
それまでモザイクを入れてもおかしくなかった気持ち悪いエイリアンが、ラストヴィカスと約束する姿はなぜかかっこいい英雄にさえ映る。
そのためには、平凡で人のよいヴィカスという主人公を設定しておく必要があったのだ。
ふざけた映画であることは間違いないが、恐ろしく頭の良い監督である。
恐ろしくリアルな世界観で、これだけ見事に転倒(変化よりもよりドラスティックな「転倒」が正しいだろう)されると、今まで差別・被差別の価値観さえも一変する。
異文化交流どころか、関わりたくもないはずのエビが三年後に迎えにくるという話を、なぜか純粋に信じたくなる。
エイリアンと交わるふざけた写真を見せられたほんの1時間後に、そういう気持ちになっているから不思議である。
残酷だが、コミカル。
アリエンティだが、信じ込む。
真摯な姿なのに、吹き出しそうになる。
僕はこの映画は非常によくできたB級映画であると信じる。
現実と虚構との、切り取り方のセンスの良さやバランス感覚、計算されたシナリオ。
どれをとってもオスカーに値する映画だが、これにオスカーをやってしまうともはやアカデミー賞じたいがコメディになってしまう。
非常におもしろいが、B級。
いや、これは最大の褒め言葉だ。
監督:ニール・ブロムカンプ
恐ろしくリアルで真っ赤な嘘を、平気で映画にしてしまうセンスに脱帽だ。
近未来、南アフリカ、ヨハネスブルクに突如として現れた飛行物体に人類は驚愕した。
全くアクションを起こさないその物体に人類は内部に進入することに成功したが、内部では宇宙人たちが疲弊しきっていた。
難民として扱われた宇宙人につけられたあだ名は、その醜い容姿から「エビ」。
エビに難民保護地域として与えられたのは「第9地区」と呼ばれる地域だった。
第9地区は設置後20年が経ち、スラム化し、地域住民としばしトラブルになっていた。
そこで、多角的大企業であるMNUは、彼らを別の第10地区へ移動させる計画を立てる。
その地区は第9地区よりも劣悪な地域だった。
その署名を取り付けるのはエイリアン課のヴィカス(シャルト・コプリー)。
彼は一軒一軒バラック小屋のエイリアンの住まいを尋ね、交渉していくが…。
なんだ、このストーリーは。
誰もが思う、その奇抜な話を、大まじめで撮ってしまった問題作が、この「第9地区」である。
公開されておそらくネタバレが横行しそうな問題作なので、とにかく早めに鑑賞することをおすすめする。
はっきり言って、上のストーリーも読まない方がおもしろい。
一切の予備知識が「大きなお世話」になりかねない本作は、観るものの感性を問う。
南アフリカが今年ワールドカップを迎え、しかもそのチケットが「治安が不安」という理由で売れていないということを、時事問題として知っておけば、十分予備知識として通用する。
この世界観、本当によくできている。
なぜオスカー候補になったのか、そしてなぜ受賞できなかったのか。
それは観れば十分理解できるだろう。
「今年1本の映画」ということは言えそうだ。
▼以下はネタバレあり▼
インターネット上での評価が気になって少し覗いてみたけれども、僕の感性がおかしいのか、多くの人の意見とはだいぶ違う印象を受けた。
それは、「これってコメディですよね?」ということ。
僕にはラストへ向かうアクションシーン(?)なんて、爆笑するべきところではないかと思いながら、にやにやしながら観ていた。
迫力というよりも、エイリアンの武器によって気持ちよく(あるいは気持ち悪く)人間を吹き飛ばしてしまう残虐性は、もはやアイロニーどころか出来の良いギャグだ。
ちょっと名作ホラーの「スペル」を思い出してしまった。
以下の批評はすべてその印象で語ることにしよう。
誰もが圧倒されるのは、その世界観だろう。
UFOが飛来する、のではなく、飛来した後、すでに共存の道を歩んでいるという点がこの映画のすべてだ。。
「難民」とされるエイリアンたちが、これまた難民を大量に出している危険地域ヨハネスブルクに滞在する。
するとどうなるか。
これまで被害者(?)であったはずの黒人たちが、今度はエイリアンたちを蹂躙するという皮肉な状況に陥る。
これが多くの人には「リアル」だと感じられるのだから、この監督のセンスはすばらしい。
人権問題のすれすれを、肩で風を切って歩くようなものだが、弱者がさらに弱者から奪うという構図は、アフリカでは珍しくない。
もちろん、その構図に追いやった白人たちは諸悪の根源であったとしても、やはり黒人たちが利権をむさぼっていることには変わりはない。
それを鋭くえぐっている。
しかも、この黒人たちは、エイリアンのDNAにしか反応しない兵器を使いこなすために、必死になってエイリアンを食す。
このあたりの考え方も、祖国をよく知る南アフリカ人の監督であるからこそ、と言えるかもしれない。
あり得ない設定を、いかにもありそうに感じさせるそのバランスがよいのである。
細部をリアリティあるように描けば、大きなフィクションは妙に説得力を帯びてくる。
SFとしての真骨頂をみせてもらった感じだ。
この映画はほとんど、この世界観を楽しむためにある。
だが、世界観だけの映画であれば、オスカー候補には選ばれなかっただろう。
この映画は、このアイロニーを通り越した世界観に、さらにおもしろいシナリオを載っけてしまった。
他の人の記事でも言及されていたことだが、やはり主人公のキャラクター設定が巧みだった。
彼は単なる人の良い普通のデスクワーカー。
人当たりはよいが、それは人間の中での話だ。
彼がバラック小屋を訪れる際に見せる言動は、いかにエビたちをいい加減に考えているかを如実に示している。
彼が人がよい雰囲気を出せば出すほど、世界がエビに対してどのように扱っているかがわかる、そういう人物である。
だが、エビが集めていた液体を浴びることで世界が一変する。
エビ化しはじめたことに気づいた周りは、これ以上ない研究対象として、人間たちから追われることになる。
この映画の物語軸には、変身譚がある。
つまり、ごく一般的な感性の持ち主であるヴィカスがエイリアンに変身する物語、である。
一方で、それは、人間であるヴィカスがエイリアン側へと移っていく物語でもある。
それまで蔑視していたエビの存在を、一個の生命体として捉えるようになるその変身は見事である。
それまでモザイクを入れてもおかしくなかった気持ち悪いエイリアンが、ラストヴィカスと約束する姿はなぜかかっこいい英雄にさえ映る。
そのためには、平凡で人のよいヴィカスという主人公を設定しておく必要があったのだ。
ふざけた映画であることは間違いないが、恐ろしく頭の良い監督である。
恐ろしくリアルな世界観で、これだけ見事に転倒(変化よりもよりドラスティックな「転倒」が正しいだろう)されると、今まで差別・被差別の価値観さえも一変する。
異文化交流どころか、関わりたくもないはずのエビが三年後に迎えにくるという話を、なぜか純粋に信じたくなる。
エイリアンと交わるふざけた写真を見せられたほんの1時間後に、そういう気持ちになっているから不思議である。
残酷だが、コミカル。
アリエンティだが、信じ込む。
真摯な姿なのに、吹き出しそうになる。
僕はこの映画は非常によくできたB級映画であると信じる。
現実と虚構との、切り取り方のセンスの良さやバランス感覚、計算されたシナリオ。
どれをとってもオスカーに値する映画だが、これにオスカーをやってしまうともはやアカデミー賞じたいがコメディになってしまう。
非常におもしろいが、B級。
いや、これは最大の褒め言葉だ。
B級要素は無視できない感じで
でも、なんというか浅くなくて。
最後のヴィカスの表情に泣けました。
ほんと いい顔してたー◎
褒めちぎりたくなりますよねー。
でも、どうちぎれば最大の誉め言葉になるか
迷うっていう笑
映画史に残る名作B級映画でしたー◎
今日は以前働いていた職場に遊びに行きました。
ちょっと時間が経っただけなのに別世界に行ったようでした。
また刺激をもらって、明日から頑張らないと……。
英国王のスピーチがオスカーでしたね。
ノミネートの感じからそんな予感はありましたが…。
「ソーシャル」よりすばらしいのなら、それはそれで楽しみです。
>nさん
この作品はいいですね。
もうこれ以上ないと思っていてももっとおもしろい作品、もっと違う角度からの作品が発表されて嬉しい限りです。
「第10地区」に期待ですね。
(制作されなくてもそれはそれでいいですが。)