評価点:82点/2008年/アメリカ
監督:ピート・トラヴィス
あまりにも見事な結末に誰もが舌を巻く。
スペイン・サラマンカではテロ撲滅についての中東と西欧の合意文書の調印がなされようとしていた。
テレビ局のチーフであるレックス(シガニー・ウィバー)はカメラを巧みに切り替えながら、現地の熱気と歴史的な瞬間を伝えようとしていた。
アメリカ大統領のアシュトン(ウィリアム・ハート)は、演説のために聴衆のまえに現れた。
数万人の人々が見守る中、壇上に上がったそのとき、大統領が射殺される。
何が起こったのかわからないままレックスはカメラマンたちに指示を出していたところ、突然演説の舞台が爆発、現地レポーターが死んでしまう。
途方に暮れるレックスは呆然とするばかりだった……。
大統領暗殺という衝撃的な事件を、様々な視点から描き出す。
同じ出来事を違う人間の目から何度も繰り返し描くというスタイルをとっている。
古くは黒澤監督の「羅生門」や「HERO」なども同じ系列だろう。
(その二つの作品に大きな格差があるけれど。)
映画の予備知識がないととまどうかもしれない。
だが、全体としてはよくできた作品なので、きっと楽しめることだろう。
現時点では、「今年の一本」は間違いなくこれだ。
▼以下はネタバレあり▼
僕は予告編しか見なかったので、どのような手法で描かれるのか予備知識なしで観た。
冒頭で、爆破されるというクライマックスから始まってびっくりした。
しかも、一度や二度の「繰り返し」ではなく何度も同じ出来事を違う視点から描くという展開は、予想外だった。
この展開は実によくできている。
全く何もわからずに次に視点が移るテレビディレクターのレックスから、何度も描くことによって、次第に事件の全貌が明らかになっていく。
サスペンスやミステリーは、積み重ねていた謎が次第につながっていき、一つの真相として完結するとき、大きなカタルシスを得る。
だが、たいていの場合、それは時系列順に明かされていくわけで、物語の中での時間が経過するとともに全貌も見えてくるように仕組む。
この映画は一つの事件を様々な角度から描くことによって、それらの「事実」が一つ一つつながり、最終的に事件の収束へと向かう。
一般的なミステリーが時間を「手がかり」にするのに対して、この「バンテージポイント」は空間を「手がかり」にする物語なのだ。
ミステリーと同じく映画が進むに比例して、事実が明るみに出て、事件の全体像も見えてくる。
一枚一枚服を脱ぎ捨てるようにして、大統領暗殺の計画がわかるのだ。
90分程度の短い上映時間の中で、これほどすっきりと、これほど効果的に見せた映画は少ないだろう。
もちろん、それを可能にしたのは、優れた脚本のためだ。
僕が一度観たかぎりでは整合性がとれないところはなかったように思う。
計画段階での場面が描かれていないため、偶然の要素が強い計画にも映るかもしれないが、少なくとも成功するに足るだけの完璧な計画だったとすれば、劇中の矛盾は生まれない。
服を着替えたり、時間的な整合性(あの人はあんなに短い間であれだけのことをしていたのに、この人ではすぐに次の展開にいく)は、微妙だと思わせるとこもあったにせよ、「物語」としての矛盾はないようにおもう。
これをみながら「24」の映画化はこんな展開になるのかなぁと想像していた。
この脚本のすばらしさは、整合性がとれているというだけではい。
キャラクターをそれぞれしっかりと立てていたことが、何よりもうまい。
主要となる人物が8人以上いるこの映画では、各人物の違いを明確に、しかも十数分でつかまさなければならない。
そのキャラクターの設定と見せ方が揺るぎない。
キャラクターが立っているため、ほかの視点で登場してくることで、事件が立体的に、きちんとつながっていく感覚を味わうことができる。
それが非常にうまい。
例えばアメリカ人観光客のハワード(フォレスト・ウィティカー)。
彼は妻子と別居状態にあり、子どもと会えない寂しさを抱えながら旅をしている。
だから事件に巻き込まれた女の子を放っておけないのだ。
しかし、アメリカ人ということもあり、大統領に対する敬意の念も持ち合わせている。
アメリカ人特有(?)の社会的貢献も忘れない。
彼には彼なりの行動原理があるのだ。
だから短いシーンでも彼に感情移入できる。
バーンズも「過去」を背負っている。
大統領がおそわれた際、体を張って守ったという経歴を持ち、その後、今回再びシークレットサービスとして復帰する。
復帰してはじめての仕事ということ、それに一度撃たれてしまったという過去を
持つために、仕事にどうしても力が入り、焦りと不安を感じている。
些細な点も見逃してはならないと、気負うあまり、逆に敵の術中にはまっていく。
市警であるエンリケもまた複雑ないきさつをもっている。
恋人であるヴェロニカに頼まれて、荷物を会場に届ける。
彼女には違う恋人がいるのではないかと彼は疑っていた。
だが、実は彼女に恋人がいるのではなく、彼女はテロリストだったのだ。
彼のパートだけでは見えないが、他の者たちのパートとあわせると、彼は本当に恋人だと思って、頼まれたことをしただけなのだろう。
そしてテロリストである女の不穏な行動を、浮気だと勘違いしていたのだ。
彼は完全な蚊帳の外だったわけだ。
だが、彼の必死の思いは空回りしつつも、悲しみをたたえている。
狙撃犯として雇われた男のハビエルは「ボーン・アルティメイタム」にも出ていた人だ。
彼は、当然つかってくるだろう替え玉の大統領を狙撃する混乱に乗じて、本物の大統領を拉致するという役割だった。
だが、彼もまた、喜んで暗殺をしようとしたのではなく、弟を人質に取られ、仕方がなく言いなりになっていた人間だった。
その複雑な男の状況が彼のキャラクター性を確固たるものにする。
最後に、黒幕であるスアレスについても説明しておこう。
スアレスは用意周到にアメリカ大統領がどのように対処するのかを熟知していた。
多くの手下を配置し、大統領が替え玉を使うことも読んでいた。
替え玉が撃たれると、本物が誘拐されても安易に公表できない。
よって、大統領という強力なカードを人知れず手に入れることができる。
そうなると、単なる誘拐ではなく陰からの支配が可能になる。
テロはより泥沼化することは必至だ。
テロリストにとって国内が混乱にある状況がまさに勝利なのだ。
権力では抑えきれないことを世界に示すことが、相手の主義を無効化する唯一の勝利だ。
よって、今回の調印はテロリストにとっては負けに等しい。
アメリカを再びひっくりかえすなら、より衝撃的なことをするしかないのだ。
そのあたりの意図が明確であるが故に、テロリスト・スアレスのキャラも理解しやすく、そしてその意志の強さやリアリティが観客の緊迫感にもつながっていく。
このように、しっかりとキャラを立てていることで、繰り返されるシーンでも、初めて見るように臨場感・緊張感を失わない。
これは本当に見事と言う他無い。
(どうでもいいことなんですけど、予告編などで八回繰り返す、と言われていますが、どの八人ですか? 八回でなく七回ではないですか?
しかもその八人がパンフレットの表紙、パンフレットの中身などいつもメンバーが違うのですが。
八人や八回という数にあまり意味を見いだせないのは僕だけでしょうか。)
これらの登場人物を丁寧に描く一方、ラストでそれを見事に収束させてしまう。
なぜ、救急車を運転していたスアレスは、少女を轢き殺さずにハンドルを切ったのだろうか。
テロリストで、しかも多くの無関係(彼らにとっては無関係ではないのだろうが)
市民を巻き込むテロを起こしながら、それでもなおかつ、彼はハンドルを切ったのだ。
ハンドルを切れば、少女を助けられたとしても、事故を起こしてしまうリスクが発生するにもかかわらずに、だ。
もちろん、冷静な思考があの瞬間に巡ったとは考えにくいが、少なくとも、スアレスには、ハンドルを切る理由がほとんどなかったはずだ。
だが、ハンドルを切った。いや、思わず切ってしまった。
これにももちろん意味がある。
大統領演説の会場で、少女にスアレスは出会っている。
だから轢けなかったのだ。
何も知らない人間ならば、何の感情もなく殺せるかもしれないが、名前を知り顔を知っている少女は、殺すときに躊躇したのだ。
それは轢かないでおこうとか、助けてあげようというような、積極的な感情ではないだろう。
むしろ、轢くことに消極的になり、躊躇ってしまったのだ。
それが人間の感情であり、人間の「性善説」ということだろう。
そもそも、この映画にはそういった「性善説」を至る所で示している。
たとえば、自爆テロをしようとしているホテルマンに扮したテロリストは、リーダーであるスアレスからのメールを見て、意を決する。
そのときの表情(かお)は何ともせっぱ詰まった表情をしている。
これは、死をおそれ、できれば死にたくないが、信仰のためには仕方がない、というような恐怖とためらいを示している。
現実のテロリストたちは、喜んで死ぬのか、それとも劇中のように恐れながらスイッチに手をやるのか、それはわからない。
だが、少なくとも、テロリストをそのように「人間性(アメリカや欧米、日本人たちからみた人間性)」をもった、血の通った人間なのだということを表しているということはいえるはずだ。
また、アメリカ社会を鋭くえぐりながらも、それでもアメリカを信じようとする思想性も見える。
たとえば、「ドルのための戦争」といったプラカードを掲げるデモ隊や、大統領の意図をほとんど無視したような替え玉策など、アメリカ社会全体の建前ではなく、本当のところを描こうとしている。
舞台が、テロ撲滅に調印するという歴史的快挙を壊そうとするテロであることも、タイミング的に鋭いだろう。
その後の報復しようという参謀の反応も、かなりリアルだ。
報復しあうことが、お互いの利益になってしまっている負の競合が働いているのだと、揶揄しているようだ。
その一方で、お節介すぎるウィティカーや、大統領が意識をもうろうとさせながら反撃する、暗殺者が実は弟を人質に捕らわれてのことだったなど、見方によれば、アメリカ人が喜びそうなフィルターがかかっている。
アメリカ人のための映画なので、致し方ないが、このあたりが気になる人は多いだろう。
だが、それも含めて、エンターテイメント作品として優秀な作品だといえる。
そういった理想論や理想主義は観ていて「気持ちいい」。
だからこそ、問題があるのだが、エンターテイメントという枠内では十分に健闘している方だろう。
視点を複数用意し、なおかつ、それを数分の間に収束させてしまう手腕は見事だ。
ラストの数分で何事もなかったかのようにすべてが丸く収まる。
その収め方に僕は鳥肌が立った。
女の子とテロリストの邂逅と、シークレットサービスの動き、アメリカ人観光客の活躍など、すべてが神によって導かれているのではないか、と思わせるほど完璧なラストだ。
余談だが、「24」の映画化計画が進められている。
どのような構成になるのかまだ未定だが、この映画を観ていると、「24」を観ているような感覚を覚えた。
この制作陣は「24」から影響を受けたに違いない。
こちらのほうも楽しみだ。(全く関係ないですけど。)
監督:ピート・トラヴィス
あまりにも見事な結末に誰もが舌を巻く。
スペイン・サラマンカではテロ撲滅についての中東と西欧の合意文書の調印がなされようとしていた。
テレビ局のチーフであるレックス(シガニー・ウィバー)はカメラを巧みに切り替えながら、現地の熱気と歴史的な瞬間を伝えようとしていた。
アメリカ大統領のアシュトン(ウィリアム・ハート)は、演説のために聴衆のまえに現れた。
数万人の人々が見守る中、壇上に上がったそのとき、大統領が射殺される。
何が起こったのかわからないままレックスはカメラマンたちに指示を出していたところ、突然演説の舞台が爆発、現地レポーターが死んでしまう。
途方に暮れるレックスは呆然とするばかりだった……。
大統領暗殺という衝撃的な事件を、様々な視点から描き出す。
同じ出来事を違う人間の目から何度も繰り返し描くというスタイルをとっている。
古くは黒澤監督の「羅生門」や「HERO」なども同じ系列だろう。
(その二つの作品に大きな格差があるけれど。)
映画の予備知識がないととまどうかもしれない。
だが、全体としてはよくできた作品なので、きっと楽しめることだろう。
現時点では、「今年の一本」は間違いなくこれだ。
▼以下はネタバレあり▼
僕は予告編しか見なかったので、どのような手法で描かれるのか予備知識なしで観た。
冒頭で、爆破されるというクライマックスから始まってびっくりした。
しかも、一度や二度の「繰り返し」ではなく何度も同じ出来事を違う視点から描くという展開は、予想外だった。
この展開は実によくできている。
全く何もわからずに次に視点が移るテレビディレクターのレックスから、何度も描くことによって、次第に事件の全貌が明らかになっていく。
サスペンスやミステリーは、積み重ねていた謎が次第につながっていき、一つの真相として完結するとき、大きなカタルシスを得る。
だが、たいていの場合、それは時系列順に明かされていくわけで、物語の中での時間が経過するとともに全貌も見えてくるように仕組む。
この映画は一つの事件を様々な角度から描くことによって、それらの「事実」が一つ一つつながり、最終的に事件の収束へと向かう。
一般的なミステリーが時間を「手がかり」にするのに対して、この「バンテージポイント」は空間を「手がかり」にする物語なのだ。
ミステリーと同じく映画が進むに比例して、事実が明るみに出て、事件の全体像も見えてくる。
一枚一枚服を脱ぎ捨てるようにして、大統領暗殺の計画がわかるのだ。
90分程度の短い上映時間の中で、これほどすっきりと、これほど効果的に見せた映画は少ないだろう。
もちろん、それを可能にしたのは、優れた脚本のためだ。
僕が一度観たかぎりでは整合性がとれないところはなかったように思う。
計画段階での場面が描かれていないため、偶然の要素が強い計画にも映るかもしれないが、少なくとも成功するに足るだけの完璧な計画だったとすれば、劇中の矛盾は生まれない。
服を着替えたり、時間的な整合性(あの人はあんなに短い間であれだけのことをしていたのに、この人ではすぐに次の展開にいく)は、微妙だと思わせるとこもあったにせよ、「物語」としての矛盾はないようにおもう。
これをみながら「24」の映画化はこんな展開になるのかなぁと想像していた。
この脚本のすばらしさは、整合性がとれているというだけではい。
キャラクターをそれぞれしっかりと立てていたことが、何よりもうまい。
主要となる人物が8人以上いるこの映画では、各人物の違いを明確に、しかも十数分でつかまさなければならない。
そのキャラクターの設定と見せ方が揺るぎない。
キャラクターが立っているため、ほかの視点で登場してくることで、事件が立体的に、きちんとつながっていく感覚を味わうことができる。
それが非常にうまい。
例えばアメリカ人観光客のハワード(フォレスト・ウィティカー)。
彼は妻子と別居状態にあり、子どもと会えない寂しさを抱えながら旅をしている。
だから事件に巻き込まれた女の子を放っておけないのだ。
しかし、アメリカ人ということもあり、大統領に対する敬意の念も持ち合わせている。
アメリカ人特有(?)の社会的貢献も忘れない。
彼には彼なりの行動原理があるのだ。
だから短いシーンでも彼に感情移入できる。
バーンズも「過去」を背負っている。
大統領がおそわれた際、体を張って守ったという経歴を持ち、その後、今回再びシークレットサービスとして復帰する。
復帰してはじめての仕事ということ、それに一度撃たれてしまったという過去を
持つために、仕事にどうしても力が入り、焦りと不安を感じている。
些細な点も見逃してはならないと、気負うあまり、逆に敵の術中にはまっていく。
市警であるエンリケもまた複雑ないきさつをもっている。
恋人であるヴェロニカに頼まれて、荷物を会場に届ける。
彼女には違う恋人がいるのではないかと彼は疑っていた。
だが、実は彼女に恋人がいるのではなく、彼女はテロリストだったのだ。
彼のパートだけでは見えないが、他の者たちのパートとあわせると、彼は本当に恋人だと思って、頼まれたことをしただけなのだろう。
そしてテロリストである女の不穏な行動を、浮気だと勘違いしていたのだ。
彼は完全な蚊帳の外だったわけだ。
だが、彼の必死の思いは空回りしつつも、悲しみをたたえている。
狙撃犯として雇われた男のハビエルは「ボーン・アルティメイタム」にも出ていた人だ。
彼は、当然つかってくるだろう替え玉の大統領を狙撃する混乱に乗じて、本物の大統領を拉致するという役割だった。
だが、彼もまた、喜んで暗殺をしようとしたのではなく、弟を人質に取られ、仕方がなく言いなりになっていた人間だった。
その複雑な男の状況が彼のキャラクター性を確固たるものにする。
最後に、黒幕であるスアレスについても説明しておこう。
スアレスは用意周到にアメリカ大統領がどのように対処するのかを熟知していた。
多くの手下を配置し、大統領が替え玉を使うことも読んでいた。
替え玉が撃たれると、本物が誘拐されても安易に公表できない。
よって、大統領という強力なカードを人知れず手に入れることができる。
そうなると、単なる誘拐ではなく陰からの支配が可能になる。
テロはより泥沼化することは必至だ。
テロリストにとって国内が混乱にある状況がまさに勝利なのだ。
権力では抑えきれないことを世界に示すことが、相手の主義を無効化する唯一の勝利だ。
よって、今回の調印はテロリストにとっては負けに等しい。
アメリカを再びひっくりかえすなら、より衝撃的なことをするしかないのだ。
そのあたりの意図が明確であるが故に、テロリスト・スアレスのキャラも理解しやすく、そしてその意志の強さやリアリティが観客の緊迫感にもつながっていく。
このように、しっかりとキャラを立てていることで、繰り返されるシーンでも、初めて見るように臨場感・緊張感を失わない。
これは本当に見事と言う他無い。
(どうでもいいことなんですけど、予告編などで八回繰り返す、と言われていますが、どの八人ですか? 八回でなく七回ではないですか?
しかもその八人がパンフレットの表紙、パンフレットの中身などいつもメンバーが違うのですが。
八人や八回という数にあまり意味を見いだせないのは僕だけでしょうか。)
これらの登場人物を丁寧に描く一方、ラストでそれを見事に収束させてしまう。
なぜ、救急車を運転していたスアレスは、少女を轢き殺さずにハンドルを切ったのだろうか。
テロリストで、しかも多くの無関係(彼らにとっては無関係ではないのだろうが)
市民を巻き込むテロを起こしながら、それでもなおかつ、彼はハンドルを切ったのだ。
ハンドルを切れば、少女を助けられたとしても、事故を起こしてしまうリスクが発生するにもかかわらずに、だ。
もちろん、冷静な思考があの瞬間に巡ったとは考えにくいが、少なくとも、スアレスには、ハンドルを切る理由がほとんどなかったはずだ。
だが、ハンドルを切った。いや、思わず切ってしまった。
これにももちろん意味がある。
大統領演説の会場で、少女にスアレスは出会っている。
だから轢けなかったのだ。
何も知らない人間ならば、何の感情もなく殺せるかもしれないが、名前を知り顔を知っている少女は、殺すときに躊躇したのだ。
それは轢かないでおこうとか、助けてあげようというような、積極的な感情ではないだろう。
むしろ、轢くことに消極的になり、躊躇ってしまったのだ。
それが人間の感情であり、人間の「性善説」ということだろう。
そもそも、この映画にはそういった「性善説」を至る所で示している。
たとえば、自爆テロをしようとしているホテルマンに扮したテロリストは、リーダーであるスアレスからのメールを見て、意を決する。
そのときの表情(かお)は何ともせっぱ詰まった表情をしている。
これは、死をおそれ、できれば死にたくないが、信仰のためには仕方がない、というような恐怖とためらいを示している。
現実のテロリストたちは、喜んで死ぬのか、それとも劇中のように恐れながらスイッチに手をやるのか、それはわからない。
だが、少なくとも、テロリストをそのように「人間性(アメリカや欧米、日本人たちからみた人間性)」をもった、血の通った人間なのだということを表しているということはいえるはずだ。
また、アメリカ社会を鋭くえぐりながらも、それでもアメリカを信じようとする思想性も見える。
たとえば、「ドルのための戦争」といったプラカードを掲げるデモ隊や、大統領の意図をほとんど無視したような替え玉策など、アメリカ社会全体の建前ではなく、本当のところを描こうとしている。
舞台が、テロ撲滅に調印するという歴史的快挙を壊そうとするテロであることも、タイミング的に鋭いだろう。
その後の報復しようという参謀の反応も、かなりリアルだ。
報復しあうことが、お互いの利益になってしまっている負の競合が働いているのだと、揶揄しているようだ。
その一方で、お節介すぎるウィティカーや、大統領が意識をもうろうとさせながら反撃する、暗殺者が実は弟を人質に捕らわれてのことだったなど、見方によれば、アメリカ人が喜びそうなフィルターがかかっている。
アメリカ人のための映画なので、致し方ないが、このあたりが気になる人は多いだろう。
だが、それも含めて、エンターテイメント作品として優秀な作品だといえる。
そういった理想論や理想主義は観ていて「気持ちいい」。
だからこそ、問題があるのだが、エンターテイメントという枠内では十分に健闘している方だろう。
視点を複数用意し、なおかつ、それを数分の間に収束させてしまう手腕は見事だ。
ラストの数分で何事もなかったかのようにすべてが丸く収まる。
その収め方に僕は鳥肌が立った。
女の子とテロリストの邂逅と、シークレットサービスの動き、アメリカ人観光客の活躍など、すべてが神によって導かれているのではないか、と思わせるほど完璧なラストだ。
余談だが、「24」の映画化計画が進められている。
どのような構成になるのかまだ未定だが、この映画を観ていると、「24」を観ているような感覚を覚えた。
この制作陣は「24」から影響を受けたに違いない。
こちらのほうも楽しみだ。(全く関係ないですけど。)
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