夢を描け。
好きなことを仕事にしろ。
やる気のないことはできない。
本当に自分のやりたいことなのか、問いかけろ。
こういうポジティヴな言説は時に自己を傷つける。
改めて問い直してみる。
今いる会社は好きなのか。
自分の仕事が好きだから続けているのか。
そんなことを毎日鏡の向こうの自分に問いかけて、イエスと答えられることが、社会人としての条件なのだろうか。
好きであることを、頑張れることに還元できるだろうか。
嫌いじゃない、でも積極的に肯定することもできない。
誇れる自分もいる、けれども、極度に臆病になる自分もいる。
どっちちかずで逡巡する自己。
それが実態であり、その中で常に線を引き直す、ということが生きるということではないか。
特に、常に辞めるという選択肢がちらつく現代社会で、明確な目標を持って突き進むという現代人の人間像は、どこか一人歩きしている空論ではないか。
逡巡することさえ許さない、それが好きなことを仕事にしろという言説ではないか。
そして、好きだから仕事を選んだんだろう、という詰問も、我々現代人をただ追い込んでいくだけだ。
むしろ、労働条件や賃金よりも前に、「好きなことができる時代なのだから好きなことを仕事にしていないあなたに罪がある」という脅迫の方が、より私たちを苦しめる。
仕方なく生まれて、仕方なく今の職場にいる、それでも立派な生き方であり、それを肯定することの強さは、決して弱さではないはずだ。
搾取されているのはやる気ではなく、生き方に悩むという余地なのだろう。
それでいい、その中でどう生きるのか。
そういう自己肯定感が、欠如している。
好きなことを仕事にしろ。
やる気のないことはできない。
本当に自分のやりたいことなのか、問いかけろ。
こういうポジティヴな言説は時に自己を傷つける。
改めて問い直してみる。
今いる会社は好きなのか。
自分の仕事が好きだから続けているのか。
そんなことを毎日鏡の向こうの自分に問いかけて、イエスと答えられることが、社会人としての条件なのだろうか。
好きであることを、頑張れることに還元できるだろうか。
嫌いじゃない、でも積極的に肯定することもできない。
誇れる自分もいる、けれども、極度に臆病になる自分もいる。
どっちちかずで逡巡する自己。
それが実態であり、その中で常に線を引き直す、ということが生きるということではないか。
特に、常に辞めるという選択肢がちらつく現代社会で、明確な目標を持って突き進むという現代人の人間像は、どこか一人歩きしている空論ではないか。
逡巡することさえ許さない、それが好きなことを仕事にしろという言説ではないか。
そして、好きだから仕事を選んだんだろう、という詰問も、我々現代人をただ追い込んでいくだけだ。
むしろ、労働条件や賃金よりも前に、「好きなことができる時代なのだから好きなことを仕事にしていないあなたに罪がある」という脅迫の方が、より私たちを苦しめる。
仕方なく生まれて、仕方なく今の職場にいる、それでも立派な生き方であり、それを肯定することの強さは、決して弱さではないはずだ。
搾取されているのはやる気ではなく、生き方に悩むという余地なのだろう。
それでいい、その中でどう生きるのか。
そういう自己肯定感が、欠如している。
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