評価点:53点/2003年/アメリカ
監督:ジョン・ウー
※注意:前半はサスペンスですが、後半はコメディになります。
近未来のアメリカ。
ベン・アフレック扮するマイケルは、企業の最先端技術を盗み、ライバル企業に売る、という商売をしていた。
その秘密保持のために、記憶を全て消す、というのが条件だった。
ある日、ジミー・レスリックから、三年はかかるという研究をしないか、と話を持ちかけられる。
記憶の消去は、最長でも8週間だったため、とまどうマイケルは、一億ドルという巨額の報酬を聞き、決断する。
そして、三年後、法律事務所に向かうと、なんと「債権を放棄されています」と聞かされる。
驚いたマイケルの元に現れたのは、なんとFBIの男たちだった。
「パール・ハーバー」のベン・アフレックと「キル・ビル」のユマ・サーマンとが共演した近未来を舞台にしたSF映画だ。
単なる近未来作品ではなく、「記憶」をモチーフにしているため、知的好奇心も同時にくすぐられるというものだ。
今では全く言われなくなった、キアヌ・リーブスが主演した「JM」もこの手の話だった。
日本では思ったより話題にならなくて、話題作と話題作の谷間の公開で、不遇の扱いだったため、見逃した人も多いだろう。
近未来というどうしても扱いにくい舞台設定のわりには、けっこう楽しめる映画になっている。
さすが、監督がジョン・ウーなだけはある。
ユマ・サーマンがアクションをするたびに、例の映画を思い出してしまうのは、仕方のないことなのか。
主演二人が嫌いでないなら、暇つぶしにはもってこいの映画だ。
それにしても、本人としてはベン・アフレックにスマッシュ・ヒットの映画がそろそろ欲しいところではないだろうか。
僕個人は、そんなに売れなくても良いから、良い映画に出て欲しい。
あの「グッドウィル・ハンティング」の時のような揺さぶる映画に出て欲しい。
▼以下はネタバレあり▼
近未来を舞台にした映画は、世界観を描くのに精一杯になって、あまりシナリオやアクションなどに手をかけていない印象を受ける、ことが多いというのが、僕の中での評価だ。
どうしてもいびつな世界観になってしまうので、そこが問題になってくる。
この映画は、その点では及第点だろう。
そんなに未来未来していない(?)ので、現在と同じような感覚で入っていける。
主人公の職業があまりに突拍子のない設定だが、それ以外の設定が現代に近いので、感情移入させやすくしている点は評価できる。
この映画は、最初の設定から時間と記憶が重要なキーワードになっている。
失われた時間で何が行われたのか、なぜ自分は追われ、命を狙われるのか。
この映画のおもしろさは、これだけにとどまらないことだ。
つまり、「未来を予知できる装置を開発した」という真相が、この映画を数倍おもしろくしている。
この設定によって、過去、現在、未来という三つの時間軸が設定され、その三つが複雑に入り交じることで物語に良い刺激をもたらしているのだ。
しかも、未来を予知できる装置を開発していた記憶を失う、という単純明快な内容なので、すんなり受け取ることができるし、複雑な話であるにもかかわらず、それほどとまどわずに楽しめる。
この設定は本当に見事だという他ない。
このアイデアを思いついた時点で、制作陣は成功したと言っても良いほどだ。
また、未来の主人公に対して、過去のマイケルが課すアイテムという発想もおもしろい。
一見全然無駄そうな20のアイテムが、実は、逃走や真相への手がかりになっている。
昔「ラッキーマン」を描いていた漫画家(がもうひろし)の次回作で、毎回七つ道具を用いて謎を解いていく、という探偵の話があった。
毎回わけのわからない道具を鞄につめて、それがなぜ必要になるか、というのがおもしろい、という無茶な設定である。
これを思い出した僕はそうとうマニアックだろうけれど、それに似ている。
(たとえが悪すぎるね、ごめんなさい)
自分が用意していたはずのアイテムに助けられ、そしてラストへと導かれていくのだ。
僕はダイヤの指輪を盗まれるシーンからそのノリが読めてしまったが、それがわかったところで、どのようにそのアイテムが必要になるかはわからない。
サスペンスとして、読まれても楽しめる、という保障のようなものだ。
幼稚といえばそれまでだが、なかなかおもしろい。
流れるように展開するため、それほど飽きずに見ることができて、どっぷり世界観に浸れるわけだ。
だが、問題は、真相が発覚してから以降の展開が、パワーダウンしていくことだ。
まず、真相がでかすぎるのだ。
未来が読める装置を開発した、ということくらいなら、それほどでもない。
しかし、結局は核戦争が起こる、というのはちょっと安易だし、話のスケールが大きくなりすぎる。
イラク戦争の話があって、それを揶揄したかったのだろうけれど、それにしても、でかい。
それまでマイケルの周りだけ、というふうに世界観がしぼれていたのに、そこから一気に地球全体の話になって、マイケルが英雄になってしまう。
お金のためだけに生きてきた人間という設定だったのに、いったいどうしたのだ。
クライマックスのアクションも、セットばればれの安上がり。
ラストで爆発した後、二人がビニールのカーテンの様なところに必死にしがみつく。
結構高いところなのだろうと思っていると、降りても1メートルくらいしか高さがない。
おいおい、さっきの「これを離したら死ぬわ」的な必死さはなんだったのか、というようなツッコミが随所に見られる。
ユマがアクションをすると、どうしても日本刀が欲しくなるし。
どんどん、話が劣化して、緊迫感が下がり、コメディ化していく。
中盤までおもしろかったのに、非常に残念。
そう思っていると、ラスト、9000万ドルの宝くじが出てくるし。
「お金なんていらないんだ」っていってたのに~!
私利私欲のためだったんですか、やっぱり~! と思わずさけんでしまった。
そして、この話、決定的な論理矛盾がある。
先にも書いたように、過去に未来を予知していた、というのが真相だ。
そうだとすれば、彼は「どんな未来を見ていたのか」というのが重要になってくる。
彼は、未来を予知できる装置を使って、自分の未来とともに、世界の未来を知ってしまう。
殺されてしまうことを知り、巧妙に、会社の者ににばれないようなアイテムを自分宛に送付することによって、解決を図る。
このとき、劇中の台詞にあるように、変える前と変えた後の未来を両方知っていた。
おそらく何度もアイテムを吟味し、必要最低限の物をチョイスしたはずだ。
彼の逃走計画と問題解決の計画は、入念に仕組まれた計画だったはずだ。
そこで疑問がわいてくる。
なぜ、彼は夢に自分が死ぬ映像を何度も見ていたのか、ということだ。
自分で変えることがわかっているのに、なぜあんなに夢にうなされたのか。
説明がつかない。
おそらくそれが非常に印象的だったから、ということで何とか説明することもできるが、やはり不自然だ。
敵の動きにも矛盾ができる。
未来像が見えるなら、マイケルの動きも予測できたのではないか、ということだ。
これは、マイケルが事前にその未来をすり替えていた、と考えると、説明ができる。
だが、マイケルにそういう細工ができるなら、会社の人間に嘘で、株が暴落する映像を見せたり、もっと違う未来像を見せて、企画倒れにすることもできたのではないか。
あえて、こんなに長い物語にする必要もなかったのではないか、とも思えてくる。
それなら、自分も儲かり、会社も壊すことなく、穏便に解決する方法も見いだせたはずだ。
アイテムを二十もそろえるくらいなら、もっとやり方はあったのではないか、と思えてならない。
どちらにしても、やはり未来を見ることができるというシステムが不透明だ。
過去がまったく劇中で描かれないから、そういうブラック・ボックスができてしまっている。
ちょっと残念である。
(2006/2/1執筆)
そういえば「消されたヘッドライン」という映画が公開される。
この作品も原題・内容ともに知らないけれど、本当にセンスのないタイトルをつけますね。
そのまま横文字にすればいいというわけではないにしても、有名キャッチコピーライターとかにつけさせればいいのに。
監督:ジョン・ウー
※注意:前半はサスペンスですが、後半はコメディになります。
近未来のアメリカ。
ベン・アフレック扮するマイケルは、企業の最先端技術を盗み、ライバル企業に売る、という商売をしていた。
その秘密保持のために、記憶を全て消す、というのが条件だった。
ある日、ジミー・レスリックから、三年はかかるという研究をしないか、と話を持ちかけられる。
記憶の消去は、最長でも8週間だったため、とまどうマイケルは、一億ドルという巨額の報酬を聞き、決断する。
そして、三年後、法律事務所に向かうと、なんと「債権を放棄されています」と聞かされる。
驚いたマイケルの元に現れたのは、なんとFBIの男たちだった。
「パール・ハーバー」のベン・アフレックと「キル・ビル」のユマ・サーマンとが共演した近未来を舞台にしたSF映画だ。
単なる近未来作品ではなく、「記憶」をモチーフにしているため、知的好奇心も同時にくすぐられるというものだ。
今では全く言われなくなった、キアヌ・リーブスが主演した「JM」もこの手の話だった。
日本では思ったより話題にならなくて、話題作と話題作の谷間の公開で、不遇の扱いだったため、見逃した人も多いだろう。
近未来というどうしても扱いにくい舞台設定のわりには、けっこう楽しめる映画になっている。
さすが、監督がジョン・ウーなだけはある。
ユマ・サーマンがアクションをするたびに、例の映画を思い出してしまうのは、仕方のないことなのか。
主演二人が嫌いでないなら、暇つぶしにはもってこいの映画だ。
それにしても、本人としてはベン・アフレックにスマッシュ・ヒットの映画がそろそろ欲しいところではないだろうか。
僕個人は、そんなに売れなくても良いから、良い映画に出て欲しい。
あの「グッドウィル・ハンティング」の時のような揺さぶる映画に出て欲しい。
▼以下はネタバレあり▼
近未来を舞台にした映画は、世界観を描くのに精一杯になって、あまりシナリオやアクションなどに手をかけていない印象を受ける、ことが多いというのが、僕の中での評価だ。
どうしてもいびつな世界観になってしまうので、そこが問題になってくる。
この映画は、その点では及第点だろう。
そんなに未来未来していない(?)ので、現在と同じような感覚で入っていける。
主人公の職業があまりに突拍子のない設定だが、それ以外の設定が現代に近いので、感情移入させやすくしている点は評価できる。
この映画は、最初の設定から時間と記憶が重要なキーワードになっている。
失われた時間で何が行われたのか、なぜ自分は追われ、命を狙われるのか。
この映画のおもしろさは、これだけにとどまらないことだ。
つまり、「未来を予知できる装置を開発した」という真相が、この映画を数倍おもしろくしている。
この設定によって、過去、現在、未来という三つの時間軸が設定され、その三つが複雑に入り交じることで物語に良い刺激をもたらしているのだ。
しかも、未来を予知できる装置を開発していた記憶を失う、という単純明快な内容なので、すんなり受け取ることができるし、複雑な話であるにもかかわらず、それほどとまどわずに楽しめる。
この設定は本当に見事だという他ない。
このアイデアを思いついた時点で、制作陣は成功したと言っても良いほどだ。
また、未来の主人公に対して、過去のマイケルが課すアイテムという発想もおもしろい。
一見全然無駄そうな20のアイテムが、実は、逃走や真相への手がかりになっている。
昔「ラッキーマン」を描いていた漫画家(がもうひろし)の次回作で、毎回七つ道具を用いて謎を解いていく、という探偵の話があった。
毎回わけのわからない道具を鞄につめて、それがなぜ必要になるか、というのがおもしろい、という無茶な設定である。
これを思い出した僕はそうとうマニアックだろうけれど、それに似ている。
(たとえが悪すぎるね、ごめんなさい)
自分が用意していたはずのアイテムに助けられ、そしてラストへと導かれていくのだ。
僕はダイヤの指輪を盗まれるシーンからそのノリが読めてしまったが、それがわかったところで、どのようにそのアイテムが必要になるかはわからない。
サスペンスとして、読まれても楽しめる、という保障のようなものだ。
幼稚といえばそれまでだが、なかなかおもしろい。
流れるように展開するため、それほど飽きずに見ることができて、どっぷり世界観に浸れるわけだ。
だが、問題は、真相が発覚してから以降の展開が、パワーダウンしていくことだ。
まず、真相がでかすぎるのだ。
未来が読める装置を開発した、ということくらいなら、それほどでもない。
しかし、結局は核戦争が起こる、というのはちょっと安易だし、話のスケールが大きくなりすぎる。
イラク戦争の話があって、それを揶揄したかったのだろうけれど、それにしても、でかい。
それまでマイケルの周りだけ、というふうに世界観がしぼれていたのに、そこから一気に地球全体の話になって、マイケルが英雄になってしまう。
お金のためだけに生きてきた人間という設定だったのに、いったいどうしたのだ。
クライマックスのアクションも、セットばればれの安上がり。
ラストで爆発した後、二人がビニールのカーテンの様なところに必死にしがみつく。
結構高いところなのだろうと思っていると、降りても1メートルくらいしか高さがない。
おいおい、さっきの「これを離したら死ぬわ」的な必死さはなんだったのか、というようなツッコミが随所に見られる。
ユマがアクションをすると、どうしても日本刀が欲しくなるし。
どんどん、話が劣化して、緊迫感が下がり、コメディ化していく。
中盤までおもしろかったのに、非常に残念。
そう思っていると、ラスト、9000万ドルの宝くじが出てくるし。
「お金なんていらないんだ」っていってたのに~!
私利私欲のためだったんですか、やっぱり~! と思わずさけんでしまった。
そして、この話、決定的な論理矛盾がある。
先にも書いたように、過去に未来を予知していた、というのが真相だ。
そうだとすれば、彼は「どんな未来を見ていたのか」というのが重要になってくる。
彼は、未来を予知できる装置を使って、自分の未来とともに、世界の未来を知ってしまう。
殺されてしまうことを知り、巧妙に、会社の者ににばれないようなアイテムを自分宛に送付することによって、解決を図る。
このとき、劇中の台詞にあるように、変える前と変えた後の未来を両方知っていた。
おそらく何度もアイテムを吟味し、必要最低限の物をチョイスしたはずだ。
彼の逃走計画と問題解決の計画は、入念に仕組まれた計画だったはずだ。
そこで疑問がわいてくる。
なぜ、彼は夢に自分が死ぬ映像を何度も見ていたのか、ということだ。
自分で変えることがわかっているのに、なぜあんなに夢にうなされたのか。
説明がつかない。
おそらくそれが非常に印象的だったから、ということで何とか説明することもできるが、やはり不自然だ。
敵の動きにも矛盾ができる。
未来像が見えるなら、マイケルの動きも予測できたのではないか、ということだ。
これは、マイケルが事前にその未来をすり替えていた、と考えると、説明ができる。
だが、マイケルにそういう細工ができるなら、会社の人間に嘘で、株が暴落する映像を見せたり、もっと違う未来像を見せて、企画倒れにすることもできたのではないか。
あえて、こんなに長い物語にする必要もなかったのではないか、とも思えてくる。
それなら、自分も儲かり、会社も壊すことなく、穏便に解決する方法も見いだせたはずだ。
アイテムを二十もそろえるくらいなら、もっとやり方はあったのではないか、と思えてならない。
どちらにしても、やはり未来を見ることができるというシステムが不透明だ。
過去がまったく劇中で描かれないから、そういうブラック・ボックスができてしまっている。
ちょっと残念である。
(2006/2/1執筆)
そういえば「消されたヘッドライン」という映画が公開される。
この作品も原題・内容ともに知らないけれど、本当にセンスのないタイトルをつけますね。
そのまま横文字にすればいいというわけではないにしても、有名キャッチコピーライターとかにつけさせればいいのに。
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