secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ウォーリー(V)

2009-11-22 08:02:11 | 映画(あ)
評価点:52点/2008年/アメリカ

監督・原案・脚本:アンドリュー・スタントン

そんな考えじゃあ、アメリカは永遠に愚者の集まりだ。

荒廃した地球で一体のロボットだけがせっせと働いていた。
ウォーリーと機体に明記されたこのお掃除ロボットは、毎日ソーラーで充電し、人間が汚した地球を浄化していた。
そんなある日、ロケットが降り立ち、一体のロボットがやってきた。
名前はイヴ。
次第にイヴに惹かていくウォーリーは、彼女(?)を自分の家に招待する。
だが、そこでプレゼントしたあるものによって、彼女は動かなくなって……。

僕の聞くところによればこの映画は傑作だったらしい。
ネットやテレビ、口コミの評価も上々だというので、僕も借りてみた。
ピクサーの映画はどんどんディズニー色が濃くなっていくようで、好きになれないのだが、ミーハーとしてはチェックしておく必要があるだろう。

だが、しかし。
こんな映画で本当にみんな満足できたの? という出来だった。
ちょっとこの映画を解体してみよう。

▼以下はネタバレあり▼

この映画を見る限り、オバマ大統領であろうと、アメリカは永遠に思考停止の正義を振りかざし続けるだろう。
「告発のとき」ではないが、本当に星条旗を逆さにつるさないといけない。

確かに映画としての完成度は高い。
たとえば、ほとんど言葉を発しない2体のロボットを、仕草や動きだけでその性格を描き出している。
前半はほとんど一人芝居なのに、映画として成立させているあたりは、さすがとしかいいようがない。
ドジだが、イヴに恋をしてしまい、必死に彼女を励まし、そして宇宙までも追いかけていく姿は、みていて単純におもしろい。
荒廃した街が彼の孤独感を、文字通り情景で描写しているあたりも、うまい。

イヴのキャラクター設定も魅力的だ。
切れたら怖い、という女性の一つの典型をもつため、すんなりみることができるし、どこかほほえましいとさえ思える。
だが、この映画がおもしろいのはここまでだ。
ここから急に話が大きくなり、そしてつまらなくなっていく。

それはもちろん、イヴの本当の目的がわかったあたりからだ。
700年まえ地球を捨てた宇宙船の住人は、いつか地球へ帰ることを目的として生きてきた。
その条件は地球に生命が再び宿るようになること。
イヴはその探索のために送られたロボットだったわけだ。

しかし、実際の地球は、浄化することができないほど荒廃してしまい、宇宙船で生きながらえた方がよいと判断したAIは、地球に戻ることを拒む。
ここにある対立項は、人間 対 AIという対立だ。
もちろん、人間が自分の足で立ち上がりたい、自分たちの土地(地球)を求めて旅立ちたいという思いが、AIを打ち砕くという結末に至る。

問題は、この対立が全く見当外れなものになってしまっているということである。
なぜなら、ハッピーエンドのように見えるこの結末は、全く「答え」になっていないからだ。
そもそも人間のエゴによって荒廃してしまった地球を再び利用しようとする者がいるとすれば、それはそのエゴを克服したものたちでなければならない。
それまで無自覚に機械のいう通りにだけ生きてきた、そして死んできた人間たちに、その資格があるのだろうか。
もっといえば、彼らのその他力な生き方、その無責任な考え方が地球を荒廃させ、すむことができなくなるようにさせたはずだ。

だが、彼らはその根本的な問題を置き去りにして、AIがかたくなに移住を許さなかったことに、「悪」を仮託させてしまった。
悪と善とを区別してそこに二項対立を見いだそうとするキリスト教的な発想は仕方がないとしても、その「悪」は人間であるべきだった。
AIとした時点で、人間たちは〈他者〉を失ってしまう。
人間たちにまるで責任がないような描き方になってしまった。
太ったからだで、短い手足で果たして地球を再生できるだろうか。
答えは「NO」だ。

それは肉体的な退化が問題ではない。
もちろん、考えずに生きてきたことで脳が退化してしまったことが問題でもない。
自分たちの責任においてAIが生まれ、イヴやウォーリーが生まれ、地球が壊れてしまったということに視点が向けられなければ、結局荒廃と再生が繰り返されるだけにすぎない。
それではカタルシスは得られない。

しかも、この映画が戦略的なところは、700年前の人間と現在の人間とを完全に色分けして描いているという点だ。
それはとりもなおさず「悪いのは過去の人間たちで私たちではない」というメッセージに他ならない。
また、ことあるごとに描かれる「BL」の文字だ。
一つの企業だけがすべての悪の元凶であるかのような巨大企業への批判は、これまでアメリカで訴訟が起こり巨額の賠償金が支払われていることと重なる。
結局弱く大勢の人間たちが、一つに企業によって搾取されているのだ、という紋切り型の批判にすぎない。
旧態依然としたその対立構造では、とうてい先に進むことはできないだろう。

イヴという名前の通り、この映画はほかの多くの映画と同様に完全に聖書を意識しながら作られている。
もちろん、ウォーリーが終盤で「死んでしまう」のは、イエスを彷彿とさせるためだ。
彼は一度死ぬことで真にこの地球を救ったという英雄になるわけだ。
機械なのに、チップを抜いても記憶が残っているのはなぜか、といった野暮な問題はここでは置き去りにされる。
どうでもいいことだからだ。
もっとも大事なのは、ウォーリーが死に、それが人間が作ったものであり、彼が英雄となり地球を救ったという「形式」が必要だったけだ。

だが違和感が残るのは、地球に降り立った無垢な人間たちは、自分たちは欲望の固まりであり、ほんのちょっとの我慢もできないほど〈他者〉を欠落させているという点に、だれも気づかないからである。
このような、アメリカはまだ「正しい」のだという偏狭な考え方を具現化した映画が、もてはやされる国ではチェンジなどできるわけがない。
こんな安直な映画で育てられたアメリカの子供たちの世代は、いったいどんな正義を振りかざすのだろうか。
怖すぎて、感動などしている場合じゃない。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« REC2 レック2 | トップ | 5000円分の人生 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ちょっと考え)
2010-08-11 02:23:00
この映画のテーマは『再生』ではなく、『怠惰』だと思います。
『再生』に主眼を置くならば、おっしゃる通りに反省と自己分析に時間をかける演出にしなければいけませんが、この物語での『再生』は単なるシナリオ上の展開にすぎません。
この作品が描いてること、それは『怠惰による退廃』です。スイッチ一つで何もかも済む世界や機械に支配された日常、それらが『怠惰』を表現し、BLはそれらの元凶として描かれてます。映画は全てを描くわけではありません。ある傾向をメタファとして登場させるのも手法です。BLだけが悪いのではなく、悪い人間のメタとしてBLを描いてるんです。
映画を鑑賞する側がそれぞれ汲み取って想像しなければ、この映画で描かれているような怠惰な人間ばかりになってしまいます。
返信する
何を象徴としてみせるのか。 (menfith)
2010-08-14 11:25:24
管理人のmenfithです。
返信が遅くなって済みません。

>ちょっと考えさん
書き込みありがとうございます。
おっしゃるとおり、再生というよりは怠惰と勤勉を対比させたかったのかもしれません。
人間たちは怠惰のため肥満化していますが、ただひたすらゴミ処理をしていたウォーリーは非常に勤勉に働き続けていました。
BLがその怠惰を象徴化しているのはおそらくそうでしょう。

僕が上で書いた「一つの企業だけがすべての悪の元凶であるかのような巨大企業への批判」というのは、BLだけが悪いという描き方について指摘したものではありません。
おっしゃるとおり、BLはただの象徴にすぎません。

問題は、何を「元凶」として象徴化するかという点において、「あえて一つの企業に集約させようとした」そのこと自体にこの映画の思想性をみるということです。
別に一人の独裁者に象徴化させてもよかったし、他の要素にしてもよかったはずなのです。
それなのに、あえて一つの大企業に「元凶」を象徴化してしまった。
そのことが非常に気になるわけです。

おそらくだからいって、この映画を観ている側がその象徴化によって大企業への不信など抱くとは思えません。
けれども、その無意識にしか捉えられないような部分に、そういう極めて意図的な思想を挿入することが、僕には嫌悪を感じさせるということです。

また、怠惰と勤勉という対比であったとしても、地球に放り出された人間たちは、ゴミ処理ロボットたちの勤勉な姿を知らずに地球に降り立ちます。
彼らに果たして地球を再び緑豊かな世界にできるでしょうか。
ゴミ処理ロボットの活躍を知らない彼らは、自分たちが怠惰で育ったという視点さえ獲得していないのです。

だとすれば、僕は脇の甘いご都合主義的な映画に見えてしまったのです。
返信する
Unknown (ちょっと考え)
2010-08-23 22:47:23
私が述べてる事は承知うえだったんですね。失礼しました。

確かに、イデオロギー的なことについて語るならば、脇が甘いという表現は的を得ているかもしれません。
観客はこの作品を見て感動するわけだし、子どもが見て頭の中に刷り込むことも多いでしょう。映画として良く出来ているからそうなる、けどイデオロギー的な面からみれば強烈なプロパガンダです。映画内で自己完結しているからなおさらです。

色んな人に評価されるのというのはなかなか難しいですね!
返信する
思想や哲学のない映画はおもしろくない! (menfith)
2010-08-24 22:36:47
管理人のmenfithです。

>ちょっと考えさん
書き込みありがとうございます。

こちらこそ、言葉足らずで申し訳ありません。

この映画に限らず、優れた映画は何らかの思想や哲学をもっているものだと思います。
同じアニメであればジブリなどは強い思想性を感じます。
けれども、僕はあまり気になりません。
おそらく嫌いじゃないからだと思います。
ディズニーの思想や哲学は日本人であるが故なのか、僕にはすんなり受け入れることが出来ずに、ざらっとした違和感を抱くのです。
だから気になるのかもしれません。

だからといって、その思想や哲学がないとしたら、きっとつまらない、こういう議論にさえならないような映画になったことでしょう。
「この映画は好きだ」「嫌いだ」と言える映画こそ、いい映画の象徴なのだと思います。
キューブリックなどがいい例ではないでしょうか。
返信する

コメントを投稿

映画(あ)」カテゴリの最新記事