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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

キメツの投資

2020-11-19 17:24:35 | 毎日コラム
鬼滅の刃が驚くほどのストリームを生み出している。
各地であらゆるグッズが売られ、そして転売されている。
ネットでは転売を行う人に対して辛辣な言説が飛び交っている。
だが、一向にその傾向は収まらない。
それどころか、ますます「猫も杓子も鬼滅の刃」になりつつある。

ないことが「欲しい」という感情を生み、また需要が高まり、あらゆるものが高騰していく。
プレイステーション5も、Nintendo switchも、同じような傾向にあるだろう。
だが、メーカーは決して「供給過多」になることを望まない。
転売する輩が多くなったとしても、一定の供給を保つ。
それは当たり前のことだ。
在庫を抱えるということほどメーカーにとって命取りのことはないからだ。
人気がなくなった時、在庫で溢れる倉庫はなんとしても避けたい。
在庫は負債であり、財産ではない。

この相克は、メーカーと転売する者、欲している者たちの争いではない。
経済と倫理という相反する価値観の相克なのだ。
ある者がない者を媒介することが、古典的な資本主義経済のあり方だ。
コショウも、衣類も、グッズも、持っている者が持っていない者に対して売りに行く。
その価値の差が利益を生む。

だが、転売を行う者に対する批判は、「倫理」を問いただすものだ。
「欲しい人がいるのだから、その人に定価で手に入れられるようにするべきだ」と。
しかし、経済と倫理は全く相反するところにあるので、その両者が交わることはない。

私は決して転売を肯定したいわけではない。
ただ、経済とはそういうものなのだ。
利益を追求する者たちで弄ばれる〈物〉の動きと、作品への〈リスペクト〉は全く異なる価値体系にあるということだ。

作品の人気が出れば出るほど、経済活動の手段にされる。
おそらく多くの人に嫌悪感があるのは、この点にある。

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