評価点:60点/2002年/アメリカ
監督・脚本 : アレハンドロ・アメナーバル
大きな屋敷に潜む「もう一人の」存在を描いたホラー。
敬虔なキリスト教徒のグレース(二コール・キッドマン)は英国の古い屋敷に娘、息子と三人暮らし。
夫であり父親のチャールズは戦争に行ったまま帰らない。
しかも子供たちが極度の光アレルギーのために屋敷は真っ暗だった。
しかしある日夜のうちに使用人たちが去ってしまった。
そんな折、昔この屋敷の主に仕えていたという三人の給仕が親子をたずねてきた。
そして娘のアンが「この屋敷に誰かいる」と不気味なことを言い始める。
▼以下はネタバレあり▼
ホラーというものがあまり好きじゃない僕としては、大して怖くなかったのが、逆につらいが、サスペンスとしては楽しめたとおもう。
そもそもオカルトちっくなことを言われても全く信じられないので、どうしても世界観についていけない部分がある。
だから見る人が見ればもっと楽しめるのかもしれない。
ざっくり言ってしまうと、「シックス・センス」的な、ミス・ディレクションの衝撃的なラストがこの作品のすべてということになるだろう。
その落ちをわからないようにするために様々な演出を盛り込んだわけである。
まず大きな謎が二つある。
一つは「幽霊ではない」という見えない「侵入者」の存在と、残る一つは「使用人が消えた」という日の出来事である。
面白いのは冒頭からこの二つの謎を示しておいて、それを結末まで引っ張ったことだ。
しかも序盤に登場する三人の親子と三人の給仕それぞれが、観客には見せないなぞを持っており、両者はお互いのなぞを思わせぶりにチラチラさせながら核心は言わない。
言ったら「おしまい」なのだけど、両者ともに隠し事があるという構図は面白い。
どちらも観客側につくことなく「灰色」を保っている。
そして給仕たちが「黒(つまり幽霊)」であることがわかったとき、はじめて彼ら六人が「茶番」を繰り広げていたことがわかるのだ。
正直、給仕たちが幽霊であることは読めてしまう。
もっと言えば、親子が幽霊であることも読むことは可能かもしれない
(僕は怪しいと疑ったが、「シックス・センス」とかぶるのでそれはないだろうと逆に疑ったが)。
でも幽霊だと思われていた「ビクター」なる少年が、実は人間だった、ということはさすがに読めないだろう。
サスペンスとして面白かったのは、そこだ。
「幽霊側も人間におびえる」というコペルニクス的発想は盲点を突かれた気分になる。
結局、彼らは二つ目の「謎」の出来事によって死んでしまっていて彼らが怯えていた侵入者は新たに引っ越してきた人間だった。
ずっとグレース親子の側から描かれるため、人間は侵入者として映り、誤解してしまうのだ。
そうした視点的なしかけも上手いのだが、それを隠してしまうしかけとして、彼らが敬虔なキリスト教徒であることがはたらいている。
冒頭からあれだけ「主よ」といわれ続けると、誰だって親子が幽霊だなんて疑わない。
このあたりが近代的な(いや「ポスト・モダン」かな)オカルト映画の手法なのだろう。
ただ残念なのはやはり怖くないことだ。
怖さだけなら「シックス・センス」のほうが数倍怖い。
光アレルギーという暗闇を得る最大の武器(設定)をもちながら、演出としてはそれを活かしきれなかった感は否めない(主人公たちは死んでいるしね)。
衝撃的なラストを持っているのだから、もっと過剰に怖がらせてもよかったのではないか。
「シックス・センス」の成功はそのギャップが大きかったことによるものだ。
それにしても、なんであの人間のばばあは、生きているのに白目を剥いていたのか。
一番怖かったのは彼女だ。
(2003/04/13執筆)
監督・脚本 : アレハンドロ・アメナーバル
大きな屋敷に潜む「もう一人の」存在を描いたホラー。
敬虔なキリスト教徒のグレース(二コール・キッドマン)は英国の古い屋敷に娘、息子と三人暮らし。
夫であり父親のチャールズは戦争に行ったまま帰らない。
しかも子供たちが極度の光アレルギーのために屋敷は真っ暗だった。
しかしある日夜のうちに使用人たちが去ってしまった。
そんな折、昔この屋敷の主に仕えていたという三人の給仕が親子をたずねてきた。
そして娘のアンが「この屋敷に誰かいる」と不気味なことを言い始める。
▼以下はネタバレあり▼
ホラーというものがあまり好きじゃない僕としては、大して怖くなかったのが、逆につらいが、サスペンスとしては楽しめたとおもう。
そもそもオカルトちっくなことを言われても全く信じられないので、どうしても世界観についていけない部分がある。
だから見る人が見ればもっと楽しめるのかもしれない。
ざっくり言ってしまうと、「シックス・センス」的な、ミス・ディレクションの衝撃的なラストがこの作品のすべてということになるだろう。
その落ちをわからないようにするために様々な演出を盛り込んだわけである。
まず大きな謎が二つある。
一つは「幽霊ではない」という見えない「侵入者」の存在と、残る一つは「使用人が消えた」という日の出来事である。
面白いのは冒頭からこの二つの謎を示しておいて、それを結末まで引っ張ったことだ。
しかも序盤に登場する三人の親子と三人の給仕それぞれが、観客には見せないなぞを持っており、両者はお互いのなぞを思わせぶりにチラチラさせながら核心は言わない。
言ったら「おしまい」なのだけど、両者ともに隠し事があるという構図は面白い。
どちらも観客側につくことなく「灰色」を保っている。
そして給仕たちが「黒(つまり幽霊)」であることがわかったとき、はじめて彼ら六人が「茶番」を繰り広げていたことがわかるのだ。
正直、給仕たちが幽霊であることは読めてしまう。
もっと言えば、親子が幽霊であることも読むことは可能かもしれない
(僕は怪しいと疑ったが、「シックス・センス」とかぶるのでそれはないだろうと逆に疑ったが)。
でも幽霊だと思われていた「ビクター」なる少年が、実は人間だった、ということはさすがに読めないだろう。
サスペンスとして面白かったのは、そこだ。
「幽霊側も人間におびえる」というコペルニクス的発想は盲点を突かれた気分になる。
結局、彼らは二つ目の「謎」の出来事によって死んでしまっていて彼らが怯えていた侵入者は新たに引っ越してきた人間だった。
ずっとグレース親子の側から描かれるため、人間は侵入者として映り、誤解してしまうのだ。
そうした視点的なしかけも上手いのだが、それを隠してしまうしかけとして、彼らが敬虔なキリスト教徒であることがはたらいている。
冒頭からあれだけ「主よ」といわれ続けると、誰だって親子が幽霊だなんて疑わない。
このあたりが近代的な(いや「ポスト・モダン」かな)オカルト映画の手法なのだろう。
ただ残念なのはやはり怖くないことだ。
怖さだけなら「シックス・センス」のほうが数倍怖い。
光アレルギーという暗闇を得る最大の武器(設定)をもちながら、演出としてはそれを活かしきれなかった感は否めない(主人公たちは死んでいるしね)。
衝撃的なラストを持っているのだから、もっと過剰に怖がらせてもよかったのではないか。
「シックス・センス」の成功はそのギャップが大きかったことによるものだ。
それにしても、なんであの人間のばばあは、生きているのに白目を剥いていたのか。
一番怖かったのは彼女だ。
(2003/04/13執筆)
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