secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

OLD オールド

2021-09-15 20:57:58 | 映画(あ)
評価点:79点/2021年/アメリカ/108分

監督:M・ナイト・シャマラン

シャマランがやっと荒木飛呂彦に追いついたな。

良性の腫瘍が見つかったプリスカ・カッパ(ヴィッキー・クリープス)は離婚を考えていた。
最後の家族旅行を、と二人の子どもと夫とともに美しいリゾートホテルを選んだ。
期待通りの行き届いたホテルで、二人は翌朝「とっておきのプライベートビーチがある」と支配人に誘われる。
もう一家族とともに向かった一行は、美しいビーチに満足げだった。
しかし、喜ぶのもつかの間、岩場から女性の死体を見つけてしまう……。

M・ナイト・シャマランの真骨頂、理不尽閉鎖ホラーの最新作。
トレーラーにあったように、時間の経過が速いという謎の設定が明かされている。
私はこの予告を見たとき、スタンド使いの攻撃に違いないと思っていた。

上映時間が限られていること、しかもこのご時世だから、座席数がかなり絞られていた。
観ようと思っていた時間には観られずにここまできた。
ちょっと強行スケジュールだったが、いってみた。

現代的なテーマであり、私は大好きだ。

▼以下はネタバレあり▼

もともとグラフィックコミックスがあって、それをたまたまシャマランの子ども達がシャマランに渡して、そこから一気に映画化につながったようだ。
しかし、それにしてもシャマランはアイデアを映像にして、正しく演出することに長けている。
カット割り、カメラワーク、音楽、そのほかの演出が、まさにこの映画の設定を正しく映像化されているように感じさせる。
その典型が、容姿を極度に気にする女性が、老婆になり岩場で襲ってくるシークエンスだ。
骨折と治癒を繰り返した女はほとんどモンスターのような姿になって姉弟を襲ってくる。
頭では分かっているが、あまりに奇怪な様子に監督の悪趣味さが際立つ演出になっている。

私たちは時間の中で生きている。
明日どうなるか、来年どうしたいか。
そういうスケジュールの中で生きていて、結果を重視してしまうところがある。
今を生きること、それは現代人にとって非常に難しいテーマだ。

このビーチはおよそ1年が30分ですぎる。3時間あれば6年もの時間が過ぎてしまう。
悩んだり判断に迷ったりしている時間はあまりない。
時間に追われて生きる人間が、より時間に余裕がなくなったときどんなリアクションをとることができるのだろう。
混乱や不安、不条理を感じながらも、それでも生きていかなければならない。
いま、この時間をいかに生きるのか、ということを考えずにはいられない。

非常にうまいのは取り残された人々の人間ドラマがしっかりと描かれているという点だ。
保険査定士のガイ、博物館の学芸員の妻ブリスカ、娘のマドックス、息子のトレント。
容姿を非常に気にする母親に、精神的に不安定になっている総合病院の心臓外科医、血液の病気になっているというラッパー。
登場する人々がしっかりと描かれていることで、物語のオチよりもどのように人々は生きていくかという点のほうに興味がわく。
はじめはなぜ息子達がこんなに大きくなってしまったのかという親からの目線で観ていたのに、いつの間にか親を看取るという子どもの視点で物語を追うことになる。
とくにカーラとトレントが結ばれてしまうシークエンスは、すごく微妙な親の感情で体験することになる。
あの小さかった子が、さっきであった少女(もう成長していたけど)と勢いで結ばれてしまうなんて!

こういうことが可能なのは、ホラーでありながらシナリオが計算されたものであるからだろう。
だから、テーマはいかに生きるのか、という時間と人間の関係についての物語であるのだ。
今、いっしょに愛する人とともに時間を過ごせること、そのことの重みを感じさせる。
その見せ場として、老夫婦になってしまったカッパ夫妻が死ぬシーンだろう。

一日しか生きられなかったはずなのに、そこには人生の重みがある。
それが映画の二時間弱という時間の中で表現されている。
そこには人生はあっという間だ、今を大切に生きろ、とでも言いたげな強いメッセージを感じる。

なぜこういう設定が今まで誰も思いつかなかったのか、と思わせるくらいの必然さえ感じるのだ。
(ちょっと褒めすぎか)

もう一つは、選ばれた人間の多様性だろう。
原案から大きく変えたところに、キャストの人種が多様になったことだという。
日本に住んでいるとそういうことを感じることは少ないかもしれない。
けれど、欧米はどんどん移民や難民などの人種の交流が進み、そして移動が容易になり、さらに情報がいち早くやりとりできるようになったことで、人種の多様化は進んでいる。
さまざまな人間が登場するのは、シャマランの意図したところだろう。

それが無理のない脚本に収まっているのは、やはり物語が四人の家族にフォーカスし続けられるからだ。
家族はどれだけばらばらになっても理解し合えるが、偶然居合わせた他の家族を、短時間で理解することはできない。
所詮は利害をともにすることがない、他人なのだ。
人種が多様に設定されたことで、より家族のつながりを意識できるというプロットの必然性にも結びついている。

しかしシャマラン監督である。
私はオチが気になりながら、オチはどうでもいいような気がしていた。
そして見終わった後、確かに治験のための誘拐であった、というのは必要ではあった。
しっかりと映画館を後にできるためには、ある程度ハッピーエンドがなければならないから。
しかし、そんなオチは単なる付け加えに過ぎない。
テーマはオチの鋭さにはない。(むしろ鋭くはない)

見終わった後、私たちは見る前の状況には戻れない。
一つの家族の50年を体験してしまった私には、それより前に戻ることはできない。

物語は単純な、異世界に入り込み、異世界から日常の世界に戻ってくるという、あのパターンだ。
だが、戻ってきた世界はあの一日前ではない。
確実に老け込んでしまったトレントとマドックスのように、私は忘れられない経験を刻まれてしまった。

ホラーと決めつけるには、私はなかなか、この映画、奥が深いように感じている。


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