評価点:70点/2003年/日本
監督・脚本:東陽一
原作:筒井康隆
現代日本版ヒーローの誕生。
五代珠子(石原さとみ)は、こっそり盗み見た父親の日記に書いてあった「囹圄(れいご)」という言葉から、祖父(菅原文太)が刑務所に入っていることを知る。
珠子が13歳になったころ、祖父が刑期を終えて帰ってくる。
クラスメイトをいじめから助けた珠子は、同じようにいじめられていた。
商店街にいた祖父は、珠子と同級生とのやりとりをみて珠子がいじめられていることに気づき、助ける。
そして、珠子と「ゴダケン」の謙三との交流が始まる。
断筆宣言を解除した筒井康隆の原作を映画化。
本作の注目は、原作者だけではない。
もう一つの注目は、石原さとみの映画(芸能界)デビューである。
特筆するほどの演技力はまだないが、はじめて映画の主演をつとめたと思うと、キラリと光るところがある。
と、けっこう石原さとみファンの僕は思いたい。
▼以下はネタバレあり▼
簡単にいってしまえば、現代日本版のヒーローものである。
刑務所帰りという設定と、次々とトラブル呼び込み、次々と解決していく謙三の人間性とが面白いギャップを生み、現代ヒーローを描いている。
謙三のヒーロー性は、次のようにまとめられるだろう。
肝っ玉の据わった男であること。
一本筋が通っていること。
モラリストであるということ。
今ではなくなってしまった地元とのつながりをもっていて人々の中心となれるような人望が厚いこと。
「謎」があること。
このような謙三は、現代において見つけることが難しいほどの男である。
人と人とのつながりが希薄になっている街において、誰からも声を掛けられ、「お前の親父は○○だろ」と言えるのは、もう田舎だけになってしまった。
不良たちに絡まれても、警察に口を割らなかったり、「借り」はきっちりと返すという、
はっきりとした性格の人間もほとんど見ない。
痴漢を迷いなく取り押さえられる人も少ない。
それでいて、周りの人にも知らない一面があり、どこかミステリアスな男である。
こうした今ではもう見つけにくくなってしまった男を、ヒーローとして描いているのである。
それが珠子との関係で展開されることも面白い。
13歳は、親に秘密を持ち始める時期である。
珠子にとっては、それはまさに謙三との日々である。
二億円を屋根裏に隠していること、
謙三が幅広い顔をもっていること、
謙三はやくざともめても全くひるまないこと…
謙三との出会いと、その日々は、珠子にとって、両親にもつ秘密のなかで一番いいものだろう。
その感覚は、誰しもがもったことのある感覚でありながら、その秘密がヒーローを知っているというものだがら、
とてもワクワクさせられる。このあたりの設定は面白く作られている。
マイナス点も目立つ。
浅野忠信の銃を構えるシーンは、全く迫力がない。
縛られた珠子が不意に浮き上がるシーンも、違和感が大きい。
さらに、ラスト、グランパが死んでしまった後の父親の台詞は必要がなかった。
祖父のことを丁寧に語りすぎているため、露骨で不自然な台詞になってしまっている。
せっかく焼香に来ている組長たちの姿を、何の説明もなしにカメラだけで見せているのに、もったいない。
この組長たちは、ひと悶着あったとしても、ヤクザとしての仁義は通すと同時に、それだけゴダケンが人望が厚い人だった、ということを表わしている。
父親の最後の台詞は、それまでの展開をはっきり見せることで、全く問題なく解消されるはずだった。
ゴダケンが帰ってくる前後で、街の様子や学校の様子をもうすこしはっきりと違いを見せたほうがよかった。
いじめ、暴力団、両親の関係、街、校内暴力、前後で対立するように伏線をはれば、もっとおもしろくなったし、ゴダケンのやりたかったことを浮き彫りにした気がする。
特にいじめの問題は、もう少し丁寧に描いた方がよかった。
原作どおりにしろとは思わないけども。
完成度は、お世辞にも高いとはいえないだろう。
どこまでも「ミニシアター」という言葉が似合う映画だ。
けれども、少し温かくなることができる、現代ヒーローの話である。
(2004/12/11執筆)
監督・脚本:東陽一
原作:筒井康隆
現代日本版ヒーローの誕生。
五代珠子(石原さとみ)は、こっそり盗み見た父親の日記に書いてあった「囹圄(れいご)」という言葉から、祖父(菅原文太)が刑務所に入っていることを知る。
珠子が13歳になったころ、祖父が刑期を終えて帰ってくる。
クラスメイトをいじめから助けた珠子は、同じようにいじめられていた。
商店街にいた祖父は、珠子と同級生とのやりとりをみて珠子がいじめられていることに気づき、助ける。
そして、珠子と「ゴダケン」の謙三との交流が始まる。
断筆宣言を解除した筒井康隆の原作を映画化。
本作の注目は、原作者だけではない。
もう一つの注目は、石原さとみの映画(芸能界)デビューである。
特筆するほどの演技力はまだないが、はじめて映画の主演をつとめたと思うと、キラリと光るところがある。
と、けっこう石原さとみファンの僕は思いたい。
▼以下はネタバレあり▼
簡単にいってしまえば、現代日本版のヒーローものである。
刑務所帰りという設定と、次々とトラブル呼び込み、次々と解決していく謙三の人間性とが面白いギャップを生み、現代ヒーローを描いている。
謙三のヒーロー性は、次のようにまとめられるだろう。
肝っ玉の据わった男であること。
一本筋が通っていること。
モラリストであるということ。
今ではなくなってしまった地元とのつながりをもっていて人々の中心となれるような人望が厚いこと。
「謎」があること。
このような謙三は、現代において見つけることが難しいほどの男である。
人と人とのつながりが希薄になっている街において、誰からも声を掛けられ、「お前の親父は○○だろ」と言えるのは、もう田舎だけになってしまった。
不良たちに絡まれても、警察に口を割らなかったり、「借り」はきっちりと返すという、
はっきりとした性格の人間もほとんど見ない。
痴漢を迷いなく取り押さえられる人も少ない。
それでいて、周りの人にも知らない一面があり、どこかミステリアスな男である。
こうした今ではもう見つけにくくなってしまった男を、ヒーローとして描いているのである。
それが珠子との関係で展開されることも面白い。
13歳は、親に秘密を持ち始める時期である。
珠子にとっては、それはまさに謙三との日々である。
二億円を屋根裏に隠していること、
謙三が幅広い顔をもっていること、
謙三はやくざともめても全くひるまないこと…
謙三との出会いと、その日々は、珠子にとって、両親にもつ秘密のなかで一番いいものだろう。
その感覚は、誰しもがもったことのある感覚でありながら、その秘密がヒーローを知っているというものだがら、
とてもワクワクさせられる。このあたりの設定は面白く作られている。
マイナス点も目立つ。
浅野忠信の銃を構えるシーンは、全く迫力がない。
縛られた珠子が不意に浮き上がるシーンも、違和感が大きい。
さらに、ラスト、グランパが死んでしまった後の父親の台詞は必要がなかった。
祖父のことを丁寧に語りすぎているため、露骨で不自然な台詞になってしまっている。
せっかく焼香に来ている組長たちの姿を、何の説明もなしにカメラだけで見せているのに、もったいない。
この組長たちは、ひと悶着あったとしても、ヤクザとしての仁義は通すと同時に、それだけゴダケンが人望が厚い人だった、ということを表わしている。
父親の最後の台詞は、それまでの展開をはっきり見せることで、全く問題なく解消されるはずだった。
ゴダケンが帰ってくる前後で、街の様子や学校の様子をもうすこしはっきりと違いを見せたほうがよかった。
いじめ、暴力団、両親の関係、街、校内暴力、前後で対立するように伏線をはれば、もっとおもしろくなったし、ゴダケンのやりたかったことを浮き彫りにした気がする。
特にいじめの問題は、もう少し丁寧に描いた方がよかった。
原作どおりにしろとは思わないけども。
完成度は、お世辞にも高いとはいえないだろう。
どこまでも「ミニシアター」という言葉が似合う映画だ。
けれども、少し温かくなることができる、現代ヒーローの話である。
(2004/12/11執筆)
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