高島屋東京店の建物と丸善日本橋本店が入居している日本橋丸善東急ビル前の「日本橋二丁目交差点」前から散策を続けていきます。日本橋丸善東急ビルは丸善の旧日本橋店跡地に2006年に造られた高層ビルです。地下1階から地上3階まで丸善日本橋店(丸善の登記上の本店)が入居しており、書籍は約60万冊を揃えています。
丸善と言えば東京駅前の「丸の内オアゾ」の低層階に丸の内本店の巨大な店舗を保有しているのが有名ですが、登記上の本店はここみたいです。明治2年(1869年)に創業し、翌年の明治3年(1870年)にここ日本橋に開店しました。そして平成16年(2004年)に再開発されるために旧本店のビルは取り壊されました。
中央通りは日本橋二丁目交差点で「日本橋さくら通り」と交差します。その名の通り街路樹として桜の木が植樹されています。この交差点から北側は「中央区日本橋二丁目」の区画になります。
日本橋丸善東急ビルの向かい側に建っているのが現在工事中の「高島屋東京店」。東京都内の大規模な店舗はここ日本橋とJR新宿駅南口のタカシマヤタイムズスクエアの二つがあります。「東京店」が正式名称ですが「日本橋店」と呼ばれることも多いそうです。ここ東京店は昭和8年(1933年)にこの地に移転、新宿店は平成8年(1996年)に開店しました。
百貨店である高島屋の本店は大阪市中央区の南海難波駅前にあります。江戸時代に京都で創業した古着・木綿商が原型となっており、1919年(大正8年)には改組し、株式会社 高島屋呉服店として大阪・長堀橋に店を構えます。1932年(昭和7年)には、現在の大阪店が入居する南海ビルディングが大阪・難波に竣工し、東洋一の規模を誇る大規模百貨店を開店しました。
「日本橋二丁目第二交差点」。この辺りから中央通りの沿道には銀行や証券会社などの金融関係のオフィスビルが多く立ち並んでいます。
現在高島屋東京店とコレド日本橋の間のブロックで大規模な再開発工事が進められています。7棟のビルが解体された「日本橋二丁目7番地区」にはこれから三井不動産と住友不動産によって3棟の超高層ビルが建てられます。2014年~2018年の間にかけて地上36階、地上35階、地上29階建ての高層ビルが建設されます。すでに高層ビルの基礎工事のための工事用機材が入っているみたいでした。
中央通りと永代通りのクロスである日本橋交差点が見えてきました。永代通りはいつ見ても交通量が多い印象が強いです。
再開発予定地のから振り返って銀座・京橋方面を撮影してみました。日本橋地区も今までは高層ビルとは縁がなかった場所でしたが、これから約10年間くらいで町の景観が変わってしまうと思われます。
金融街としての性格が強い日本橋の界隈において高島屋東京店の建物は存在感が大きいです。一時期は再開発工事のために百貨店の建物を取り壊すという話まで出てきましたが、いつの間にか消滅してしまいました。あの建物は重要文化財に指定されているので残すという方向に決まったのかもしれません。
「日本橋交差点」。ここで中央通りは永代通りと交差していきます。(南側から見て)交差点を左へ曲がると大手町・竹橋方面へ、交差点を右へ曲がってしばらく進むと隅田川に架かる永代橋へ向かうことができます。この永代通りには緑が千葉方面から東京都心部へ通うためによく使う東京地下鉄東西線のトンネルが通っており、交差点直下に日本橋駅があります。
ここ日本橋交差点にはかつての「白木屋本店」であった「東急百貨店日本橋店」がありましたが平成11年(1999年)の1月に閉店してしばらく更地になっていましたが、すぐに再開発工事が始まって平成16年(2004年)に「日本橋一丁目ビルディング」が開業しました。「COREDO(コレド)日本橋」の名称が付けられています。
日本橋交差点から北側は「中央区日本橋一丁目」の区画になります。永代通りから北側は完全に銀行・証券街の雰囲気です。
ズームで中央通りの北側を撮影してみると日本橋の上空に架かっている首都高速道路の高架橋が見えます。江戸時代の東海道の起点であり、これまでJR新橋駅前からずっと散策してきた中央通りに指定されている国道15号線の起点でもあります。
日本橋第一ビルディングの商業スペースである「COREDO(コレド)日本橋」。完成した当時は180メートルの高さの高層ビルが日本橋の中心部にドーンと現れたのですごく驚いた記憶があります。
地図の中心点は「日本橋二丁目第二交差点」に設定してあります。一つ南側の交差点が「日本橋二丁目交差点」で、COREDO日本橋の敷地の南側の白紙の部分が再開発されている場所です。