中央通りは神田川の支流である日本橋川を「日本橋」で渡っていきます。日本橋川の南側は「中央区の日本橋一丁目」ですが、川の北側は「日本橋室町一丁目」という町名が付けられています。「室町」という地名については次回の記事で説明します。すぐ近くに日本銀行の本店が立地していることもあり、周囲を見渡すと全国の銀行や証券会社が集積しています。
中央区(旧日本橋区)の日本橋の区域についての歴史を述べてみたいと思います。橋そのものについてはこの記事の後半に述べます。江戸時代以前は関東地方の一豪族である太田道願の領地でありましたが、江戸時代に徳川家康がすぐそばに江戸城を築城すると日本橋は早くも町地として開発されることになりました。
日本橋南詰から撮影した日本橋の様子ですが、やはり日本橋川の上空に架かっている首都高速道路の高架橋がどうしても目立ってしまいます。日本橋川の対岸には日本橋三越本店新館や日本橋三井タワー等の巨大な構造物が整然と立ち並んでいます。
1603年(慶長8年)に徳川家康の全国道路網整備計画に即して、初代の日本橋(木造)が架けられました。翌年の1604年(慶長9年)には江戸と日本全国を結ぶ五街道の起点となります。五街道とは「東海道」「日光街道」「奥州街道」「中山道」「甲州街道」の五つです。
時代が江戸から明治に変わっても日本橋地区は日本の街道の起点の町として発展を続けていきます。明治11年(1878年)に施行された郡区町村編制法により、日本橋を中心とした周辺の地域は日本橋区となり、明治22年(1889年)には東京市に属します。明治初期の日本橋はガス灯や鉄道馬車が敷設されるなど先進的な町であったと言われています。
日本橋の上の中央通りの道路の部分は石畳となっていて、江戸時代や明治時代初期の雰囲気が作られています。とは言っても日本橋は銀座・京橋方面から神田・秋葉原方面へ抜ける幹線道路でもあるので交通量は非常に多いです。
日本橋の南詰から振り返って京橋方向を撮影してみました。明治29年(1896年)には本両替町にあった金座の跡に日本銀行が建てられました。また大店の越後屋や白木屋が百貨店として生まれ変わり、明治41年(1908年)には越後屋こと三越が洋館の店舗を落成させるなど次第に洋風建築も増え、近代的な町並みへと変わっていきました。。
現在の日本橋川に架橋されている日本橋は石造二連アーチ橋で、橋長49m、幅27mとなっています。現在の橋がかけられたのは意外と新しく明治44年(1911年)であり、初代から数えると19代目になるそうです。関東大震災の烈震や東京大空襲の攻撃にも耐えた日本橋、高度経済成長期となる昭和38年(1963年)に橋の直上に首都高速道路の高架橋が建設されました。
平成23年(2011年)に架橋100周年を迎えた日本橋、その前年の平成22年(2010年)には日本橋本体や頭上の高架橋を洗浄する「日本橋クリーニングプロジェクト」が実施されました。そして去年2011年の10月下旬に「日本橋架橋百年祭」が盛大に催されました。
ここ日本橋は東京側の東海道の起点ですが、反対側の大阪の起点となる橋は「高麗橋」といい、大阪市中央区の東横堀川に架かっています。あちらも橋の上に阪神高速道路の高架橋が走っているそうです。江戸と京都を結ぶ東海道53次というのが世間一般的には有名ですが、実際には京都というのはあくまで通過点でしかなく、江戸と大坂を結ぶ「東海道57次」というのが江戸時代の日本の大動脈であったと言われています。
日本橋を渡って「中央区日本橋室町一丁目」の区域に入っていきます。日本橋北詰交差点で中央通りは(南側から見て)緩やかな左カーブを描いて神田方面へ抜けていきます。2004年に完成した日本橋三越本店の新館の巨大な建物の存在感がすごいです。
東京府の旧日本橋区は大正12年(1923年)の関東大震災と昭和20年(1945年)の空襲によって大きな被害を受けましたが、その二度にわたって大規模な区画整理が実施されました。震災後には昭和通りが造られ、戦後には日本橋のそばにあった魚市場が築地へ移転するなどの変化がありました。
戦時中の昭和18年(1943年)に東京都制が施行されて日本橋区は特別区へと昇格します。終戦直後の昭和22年(1947年)に南側にあった京橋区と合併して「中央区」が誕生します。ですが住民の間では「日本橋」の地名が消滅することに反対して、新しい住所表示に「日本橋」を冠した新しい町名が誕生しました。
「日本橋北詰交差点」。ここから北側の中央通りは「国道17号線」の指定を受けています。日本橋北詰から神田川に架かっている万世橋まで一直線のルートとなっています。さらにその先は上野広小路、東北方面への鉄道起点駅であったJR上野駅前へと続いています。
この先は「日本橋三越本店」「日本銀行本店」「COREDO(コレド)室町」など、中央通りの最後のハイライト区間を散策していきます。次回の記事で中央通りの散策は終わりです。
地図の中心点は日本橋の南詰です。地図を東西に横切っている日本橋川の上には首都高速都心環状線の高架橋が走っています。