フロア350より西北西方向(JR池袋駅方向)。3400万人もの人々が生活している世界最大の都市圏「首都圏」の人口密集地が広大な関東平野に広がっています。近年では東京都区部の人口が900万人を突破するなど、現在も人口は増え続けています。遥か遠くには関東山地の稜線も見渡すことができます。
豊島区や板橋区といった人口密集地をズームで撮影してみました。この周辺はJR池袋駅近くにあるサンシャイン60の高層ビル以外にあまり高い建物は見当たりませんが、将来的にはタワーマンションなどが建ち並ぶかもしれません。
浅草界隈を流れている隅田川の両岸には「隅田公園」の緑地帯が整備されています。隅田川の対岸から撮影するスカイツリーも大変綺麗です。隅田川を水面をしばらく見ていると、航行していた遊覧船などがスカイツリーの近くの川上で停泊しています。乗客の人たちにスカイツリーを見てもらっているのかもしれません。
フロア350より北西方向(JR山手線大塚駅方向)。この辺りからいよいよ埼玉県南部一帯に広がるベッドタウンの人口密集地が見え始めます。
上野公園から北側周辺には、谷中霊園や舎人公園等を除いて大規模な緑地帯は見受けられません。どこまでも市街地の風景が続いています。
「国道6号線・言問橋(ことといばし)」をズームで撮影してみました。もともとは江戸時代に「竹屋の渡し」という渡船場があった場所であり、関東大震災の震災復興事業として計画された橋です。
フロア350より西北西方向(JR南千住駅方向)。中高層マンションが大変多く目立つ人口密集地帯となっていて、隅田川が北西方向に蛇行しながら流れているのが見えてきました。
言問橋の左岸側、「墨田区の向島地区」の市街地を見下ろして撮影してみました。「向島」の地名の由来は、現在の都営白鬚東アパート付近に隅田川御殿という徳川将軍の休憩所があり、その北西にかつて隅田川に向かって流れていた内川(古隅田川)が隣接していたため、その対岸となる北西の島部を「将軍の向島」と呼んだことに由来するといわれています。
武蔵野台地の丘陵地帯と、荒川・隅田川の作り出した洪積低地の上に広がる市街地です。上空から見ると高低差があることは全くわからないですが、実際に歩いてみると坂や斜面が至る場所にあったりとその立体的な地形を実感することができます。
「国道4号線・千住大橋」周辺をズームで撮影してみました。この周辺には国道4号線やJR常磐線、つくばエクスプレスなど東京から常盤方面へ伸びている鉄道や道路の橋が密集しています。
東京湾河口部から言問橋付近までまっすぐ流れてきた隅田川は、ここから上流へ向かって蛇行しながら流れることになります。隅田川の左岸に沿って、首都高速6号向島線の高架橋が続いています。
隅田川と荒川放水路が接近した位置にある堀切周辺をズームで撮影してみました。首都高速6号向島線の高架橋は、この堀切周辺で荒川放水路沿いを通っている首都高速中央環状線に接続しています。
北北西方向にはスカイツリーの影がくっきりと映っていました。
隅田川の更に北側には荒川放水路が流れているのが見えます。荒川放水路は荒川のうち、岩淵水門から江東区・江戸川区の区境の中川河口まで開削された人工河川を指します。途中、足立区千住地区、および墨田区・葛飾区の区境を経由し、全長22キロ、幅約500メートルを誇ります。
手前には「桜橋」と「台東リバーサイドスポーツセンター」が見えます。
南千住駅周辺をズームで撮影してみました。以前から構想住宅が多いエリアでしたが、近年ではタワーマンションなどが多く建てられています。南千住駅の東側には「隅田川貨物駅」の敷地が広がっています。
向島三丁目の市街地を見下ろして撮影してみました。現在の墨田区は「旧・深川区」と「旧・向島区」が1947年(昭和22年)に合併して誕生したものです。
次回の記事では北方向から一気に時計回りに南方向へ見ていきます。