懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 その7 養蚕農家

2012年10月22日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 群馬県長野原町

群馬県は国営の富岡製糸が出来た事などで養蚕が大変盛んなところだった。合成繊維の生産や中国からの安い生糸の輸入で産業として衰退していった。
群馬県では茅葺民家に限らず瓦葺きの民家でも養蚕農家を今でも目にする事ができる。
コンニャク造りも盛んだが外国の安いコンニャクに押され関税を掛けて何とか維持している。
二階建ての養蚕農家は比較的新しい民家であろう。昭和の時代の建物と思われる。
長野原は浅間山の北側に面する。クヌギや楢等の落葉樹の樹海が広がる。
そんな中にペンションなどが点々とある。通称、北軽井沢といわれている。

浅間山町は過去に大きな噴火を繰り返しいる。
天明3年(1783年)の大噴火では噴石や火砕流で多くの犠牲者をだしている。
神社が埋まった嬬恋村の鎌原や火砕流の流れた後を走ってみた。
浅間山から流れ下り吾妻川を流れ下ったといわれている。
浅間山から吾妻川までは15kmはある。それからどれくらい下ったのであろうか
浅間山の大火砕流があればJR吾妻線も飲み込まれる。
富士山は浅間山より1000メートル以上高い火砕流はどこまで駆け下るのであろうか