撮影場所 京都府亀岡市
山陽自動車道がない時は早朝に出発して一般道で京都まで来ていた。
姫路から国道372号線で京都の亀岡まで来ていた。
国道372号線と今の京都縦貫道が交わるあたりにこの茅葺き民家はあった。
京都まで五時間は掛かった。往復で10時間掛かり帰ったら22時くらいになっていた。
この372号線は阪神淡路大震災の時は阪神間の高速道路、一般道が壊滅的になったので姫路から亀岡、京都経由でトラックが運行された。
この民家はトタンを覆ってしまった。亀岡周辺の茅葺き民家の形を残している。
棟にはカラスオドシが11本も乗っている。
山陽自動車道がない時は早朝に出発して一般道で京都まで来ていた。
姫路から国道372号線で京都の亀岡まで来ていた。
国道372号線と今の京都縦貫道が交わるあたりにこの茅葺き民家はあった。
京都まで五時間は掛かった。往復で10時間掛かり帰ったら22時くらいになっていた。
この372号線は阪神淡路大震災の時は阪神間の高速道路、一般道が壊滅的になったので姫路から亀岡、京都経由でトラックが運行された。
この民家はトタンを覆ってしまった。亀岡周辺の茅葺き民家の形を残している。
棟にはカラスオドシが11本も乗っている。
