撮影場所 岡山県高梁市中井町西方
岡山県内の道を一本一本走った。山間地の細い道も一本一本走った。
茅葺きを求めてひたすら走った。
ガソリンと時間の浪費になるかもしれなかった。
しかし、何かに夢中になれる事は心地よかった。
こんな事をやっても何になるかと思ったら何もできない。
結果はどうなろうと自分の脳のエンドルフィンが湧き出る時は楽しかった。
他人が見れば詰らないものでも一度の人生、無我夢中で何かに打ち込むのは必要である。
高梁市から新見市豊永に向かう細い道に人の暮らしていない茅葺き民家があった。
小屋は壊れかけていた。次に来たときは小屋は壊されていたが母屋は残っていた。数年して訪れたら建物はすべて亡くなっていた。
この地区には他に何軒かあった。
田や畑も狭く道も狭く買い物も遠く離れている。典型的な過疎地である。
限界集落から壊滅集落へと進んでいる。
民家の撮影に行くと田はまだ耕作されていた。石垣や畦道には人の生活の痕跡が残されている。遠くで住人の話し声が聞こえる。かなり離れているのに話の内容が聞こえそうな静寂である。鳥の鳴き声も驚くほど大きく聞こえる。
現代社会は騒音と派手な色彩の中で生きているのがわかる。
車のなかった時代、人工染料や顔料のなかった時代には自然の音や色彩がすべてであった。
昔の人は自然の草木の色彩や移ろいに敏感であったと思う。
和歌や俳句随筆に日本の四季の移ろいがよく残されている。

岡山県内の道を一本一本走った。山間地の細い道も一本一本走った。
茅葺きを求めてひたすら走った。
ガソリンと時間の浪費になるかもしれなかった。
しかし、何かに夢中になれる事は心地よかった。
こんな事をやっても何になるかと思ったら何もできない。
結果はどうなろうと自分の脳のエンドルフィンが湧き出る時は楽しかった。
他人が見れば詰らないものでも一度の人生、無我夢中で何かに打ち込むのは必要である。
高梁市から新見市豊永に向かう細い道に人の暮らしていない茅葺き民家があった。
小屋は壊れかけていた。次に来たときは小屋は壊されていたが母屋は残っていた。数年して訪れたら建物はすべて亡くなっていた。
この地区には他に何軒かあった。
田や畑も狭く道も狭く買い物も遠く離れている。典型的な過疎地である。
限界集落から壊滅集落へと進んでいる。
民家の撮影に行くと田はまだ耕作されていた。石垣や畦道には人の生活の痕跡が残されている。遠くで住人の話し声が聞こえる。かなり離れているのに話の内容が聞こえそうな静寂である。鳥の鳴き声も驚くほど大きく聞こえる。
現代社会は騒音と派手な色彩の中で生きているのがわかる。
車のなかった時代、人工染料や顔料のなかった時代には自然の音や色彩がすべてであった。
昔の人は自然の草木の色彩や移ろいに敏感であったと思う。
和歌や俳句随筆に日本の四季の移ろいがよく残されている。

