梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

涙もろいは弱い?

2010-03-02 08:59:10 | 日記
東京新聞の投稿欄に毎週年代別で若い方の日がある、素晴らしい方が多く感心したり感激したりだが今回少し寂しい思いのする投稿が有った、15歳くらいの女性だったきがするが祖母と祖父に関しての投稿だった、概略は「祖母は今まで姑との確執、生活苦等で苦労をして来た、だからもう泣く事は無い強い女性だ、私もそうなりたい」と言うものだが例としてテレビドラマを見てどんな場面でも涙を流さない、しかし祖父はドラマを見て涙を流す、そうすると私(孫)に祖父を指差しながら「爺が又泣いているよ」と笑うと言う、しかし私も歳を経てくると確かに涙もろくなるがけっして苦労無く育ったわけではない、今では信じられない様な赤貧から会社を興し、この不況で自己破産を考える事もあるが自分の境遇で涙を流した事は無い、いや考えてみると子供の頃から学歴格差で悔し涙を流した16~17歳くらいから自らの境遇に涙した事は無い、妻もけっして裕福な生活をしてきた訳ではない、しかし自分の境遇で泣いた事は無いと言うし見たことも無い、しかしニュースやドラマでは良く2人で泣く、それは相手の立場に置き換えたとき自分の為ではなく「悔しいだろうな」と思うと自然に涙が出て来るのだ、我々にも娘が居る、30代半ばの時同じ様に孫に「ほら、又婆が泣いている、馬鹿じゃないの」と言った事がある、其のとき私は「お前と感受性が違うだけだ、お前が泣かないのは仕方ないが泣いているからと言って馬鹿扱いにするな」と言った事がある、彼女は未だ人の不幸を自らに置き換えて考える事が出来ないのだ、(この歳になってなんて幼い)と思った事もある、翻って投稿の祖母は大変な苦労をして来たのだろうが他人の不幸を自分の境遇に置き換えないで比べてしまうのだろう、(私のほうが不幸だった)と言うのは過ぎ去った過去を自ら否定する様な物ではないだろうか、いやそれより若い孫の「私も祖母の様に強い女性になりたい」と言う認識は一寸方向が違う気がしてならない、ドラマでもニュースでも不幸に有った場面には涙を流す人に育ってもらいたい物だ、それが本当にに強い人なのではないだろうか