梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

家族の思い、親子の思い

2013-10-18 09:55:05 | 雑記
早く目が覚めたときの習慣でSNSを見ていたら「20年ぶりに母親に会ったが」と言う今風の書き方のログが有った、未だ子供の頃統合失調症の母親との生活が難しくなって離婚したと言う、相変わらず若者文章で軽い言葉だが真面目な質問が並び、本人もふざける事も無く淡々と結構深い話題が続く、
本人は父親と九州の方に引越したが卒業と併せて東京に出て来たらしい、「親父は海外に言っていて電話はあまりしないがメールのやり取りはあるな」と言うコメントに新しいコメンターが「親父は糞だな」と入ったが彼は怒った様子でもなく「内情もわからず人の親をクソ呼ばわりは止めてくれ」とコメントを出したら直ぐに「すまん!」と返ってきた、此れがSNSの効用でもあるのかなと感心したのだがその中で「俺はどうも親と言う物が良く解らない、母親に20年経ってあっても戸惑っている」と言うコメントが何度か現われた、
実は私も母親が11歳で、父親は17歳で他界した、15歳で東京に就職していたので結局親母親と暮らしたのは11年、父親ですら15年だ、
彼の言う「実は家族と言う物が良く解らないんだ」と言う感覚は何となく解る、彼は生き別れで私は死に分れだから親に対する感情には微妙な違いが有る事は想像できるが「家族と言う物が何となく一般の家庭とは違う」と言う感覚はずっとあった、
無論母親が他界するまでは母親の愛情の元で暮らしていた事は間違いないし優しい母親だったと思う、しかし他界する2年前から入退院を繰り返していたので結局此方が有る程度の判断力が出来る頃には居なかった、母が他界してからは父と二人の生活で炊事選択等の家事は分担作業になり中学を降りると直ぐに就職したのでいわゆる「親の庇護の元、愛情の元」に生活したと言う記憶は非常に少ない、
今では死語になったが「他人の飯を喰う」と言う事が15歳から始まって其処で暮らすには「可愛がって貰うには可愛がられる生活をしなければならない」と言う事が当たり前の生活だった、最初の仕事は名古屋での住み込みだったので家族である同年輩と同じ食卓に着き近くのアパートに他の住み込み社員と共同生活をする事になると「可愛がられる為の生き方」は当然家族とは違うと言う事に気付かされてしまう、
それからずっとそう言う生き方をしていると其れが当たり前で「何をやっても許される(何をやってもは言いすぎだが)」と言う家族、親子と言う感覚が理解できなくなる、
36歳の時今の女房と結婚した、男女各一名の子供の親になったのだが結婚するまで5年以上有ったので息子が六歳で娘が三歳から知って居たのだがいざ親になってみて親子の感情が良く分らない、無論愛情が無いと言うのではなく自分が子供として親に甘えた経験がないのでどう接して良いのか分らないのだ、幸い2人とも素直に育ってくれたが叱る事の難しさは多分実の親子より難しいのではないかとずっと思っていた、
そして今でも「俺は本当にあの子達の父親になれたのか」と言う気持ちは引き摺っている、
既に3人の孫も居て3人とも「爺」と言って懐いている、無論未だ娘や息子との関係は知らないし知る必要も無いのだが、娘、息子達は本当の所どう思っているのか、無論女房に言える話でもなし、ましては他人に話せる話でもない、
そう言う意味ではこの「独り言」を文字にして表して見られるというのは言わば自分を客観的に眺めるのにはいいのかもしれないな、
酒を飲みながら闇に向ってこんな事を呟くのもぞっとしないからな