梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

東日本震災の頃消えてしまった「50からのつぶやき」さん

2017-03-14 17:01:59 | 雑記
私のブログに何度かコメントをくれた方が居る、ハンドル名は「50からのつぶやき」と言う方だがある時からぷっつりと投稿が無くなった、それが2011年の3月だったのでもしかしたらあの東日本震災に被災されたのかもと考えていたのだがコメントの最後が13日だったのでそうではなかった様だ、
文面から東北に在住の様だったのでもしかしたらと気になっていたのだが今頃になってだがコメントをひっくり返してみたら少なくとも13日はUpされていたので被災されたわけではない様でそれだけでもほっとする、
名前も知らないし当然面識もない、どこにおられるかも知らないがやり取りが何度かあると昔からの知り合いの様な気にもなる、
その割には随分と年が過ぎてからのお話ではあるのだが気にはしていたんだよ、本当に。
先月の末頃久しぶりに二人の姪っ子と会う事になった、これも随分久しぶりの顔合わせだ、
死んだ兄の娘で私が16歳の頃誕生したので妹が出来た様な気がして可愛がっていた、姪もすっかりなついて遊びに行くと私の胡坐の中にいつもおさまっていたのだがもう53歳になる、「最後に会ったのは何時だっけ?」と聞いたら兄が無くなった時だったから「去年13回忌を鹿児島で済ませたから13年になるね」と言う、最も兄の葬式前もあったのは彼女の結婚式でそれも更に10年位前、考えてみれば彼女が大学を卒業してからゆっくりと話すのは恐らく40年ぶりくらいになるんじゃないかな、都内の港区と大田区に住んでいての話、下の姪は同じ大田区に住んでいるのにだ、
どうも私はこういう付き合いが下手である、苦手と言う訳ではないが冠婚葬祭以外に電話を入れる事すらしない、私は6人兄弟の末っ子である、13で母親、17で父親が亡くなったので実家と言う物が存在しなかったせいもあり兄弟間の付き合いは彼女の父親である末兄位でその上の兄にも会う事もないうちに亡くなってしまった、次兄は独り身だったので末兄と二人だけで火葬を済ませ誰も居ない故郷の墓に入れてきた、
長兄も結局親の葬式の他会う事は無かったが長兄の次女が結婚すると言うので一度だけあったがその間の連絡は全くしなかった、全て三男の兄経由で連絡するていたらくである、
今回姪に会ってその長兄が何年か前に亡くなったと言う事を聞いたが特に感じる事もなく「まああの年なら大往生だな」と言った感想しかなかった、
どうやら私は感情の振幅が狭いらしい、喜ぶことも悲しむこともそこそこである、恐らく結婚をしなかったら稼いだだけ飲んでしまって体が壊れれば(のたれ死にしていたかもしれないな)と思っている、しかし仕事は好きだし他人との付き合いも特に嫌いではなかったしホームレスにはならなかっただろうが若干憧れがある事もいまだにある、
感情の起伏が少ないので世間的には「大人しい」人間に見えるのだろう、仕事上で手酷い目に合わされても腹は立たない、代りにその後は近づかないと言う生き方で何度もそんなめに有って居ると第一印象で大体の性格がわかる様になる、何度か話をすると一定の距離を取るようになる、それでも気を付けていれば自分にメリットがある相手ならその範囲で付き合う事が出来る様になった、しかしその分腹を割って話すと言う相手はかなり少なくなり女房から見ると変人の部類に入るらしい、
これから何年生きてゆくのか、約束で女房を看取ってから死ぬことになっているのだがさして楽しみは考えられないな、金の無いのは辛いが一人だけなら何とかなるだろう
何とも陰気なブログだね、やだやだ、
もし未だ読んでいるなら「50からのつぶやき」さん、またReをつけてくれませんか

共謀罪の構成要件には「その他」がつくらしい

2017-03-09 10:21:33 | 雑記
「共謀罪」が提出されると言う、報道の範囲でしかわからないのだがこれが信用できなければ庶民は手の打ちようがない、多少新聞や放送によって若干違うとしても国会に提出されると言う事は間違いないのだろう、
なんども提出されて否決されて来た法案だが今回には絶対多数の議席を後ろ盾に強行採決をするだろう、これが安倍政権の常套手段と言うか傲岸不遜さだ、
報道に拠ったら与党内でも反対意見がかなりあると言う、連立与党の公明党だけで無く自民党内にも反対意見があると言う、しかし党則で提出されて賛否となれば執行部に反旗を立てる党員は期待できない、
600余りの要件を270余りに減らし、名称に「テロ等」と入れたと言うのだが構成要件の最後には「その他」と入っているそうだ、この一文が入れば犯罪構成要件は「あらゆる事」となる、
「我が陣地に入ったら逮捕拘留する」と言うがその範囲を聞けば「半径一キロ以内の境界」と言っているが最後の文言は「境界線の外も含む」と言っている訳だから境界線の意味などは無い、
法律には構成要件と言う物がある、どんな法律でも「その他」などと言う法律はあるまい、拡大解釈と言う事はあるが「その他」では拡大も何もない、それでは裁判にも弁護にもならない、
共謀罪自体思想的な運用を目的にされると思われる法律だが「飽くまで国際的な犯罪に対する破壊活動等社会に危害が及ぶと推測される」と言うがその「推測」を誰がするのかと言う処が管理社会、権力の拡大施行と言う恐れがあると反対しているのに、「その他」では時の政府、政党政治の日本では「時の政党」に意見が反する政党や運動に幾らでも濫用できると言う事になる、
戦前は「思想犯」と言う罪名があったが「思想の自由」は憲法で保障されている、思想犯罪を犯罪要件にするのは憲法違反になる、そこで憲法自体を変えると言う、
現政権は確かにある程度盤石な支持を得ているがそれはあくまで「消去法」で残っただけだろう、憲法まで弄って権力の座に座っても人の命など短い物、子供もない首相は未来に何を見ているのだろうか

アレルギーとおでき

2017-03-07 09:11:19 | 雑記
最近「アレルギー」の報道をよく目にする、色んなアレルギーがあって給食や外食などでも対応する所が多くなっているがそれでもまだ不十分だと言う、
我々の世代終戦直後の生まれで成長期を昭和の中盤で過ごした夫婦としては「そんなにアレルギーってあったっけ?」と言う印象がある。
給食開始の頃に若干牛乳が飲めないと言う子供もいたが教師は「好き嫌いは駄目だ!」と言った程度の対応だったし無理やり飲まされて体調を崩すと言う話は無かった気がする、
働き始めた後で時々聞いたのは「鯖アレルギー」だがこれもどちらかと言えば「鯖のいきぐされ」と言う程度の認識で「新鮮でないやつを食ったんだろう」と言う程度の話だったし入院騒ぎまで行く事は無かった気がする、
最近の報道は卵から始まって小麦粉の蛋白質まであらゆるものに反応するアレルギーがあって重体になると言う反応まであるらしい、
あの頃にもあったが報道されていなかったのか、それとも体質的に過敏になって来たのか?
そういえば少し前我が家の長男は「アトピー性皮膚炎」と言う診断がされて体のあちこちに湿疹が現れるが特段食品とは関係なかった気がする、体調が重篤になると言う症状ではなく皮膚が有れて耐えきれないような痒みが起きるらしい、その為無意識に搔きむしりそこが爛れてくると言う症状だったが熱が出るとか言う事は無かった。
あの頃このアレルギーはかなり一般的だったが最近はどうなんだろうか、孫たちにはその症状は出ていない様だが、
私たちの世代、子供には必ずと言って良いほど「おでき」が出た、体質と言うより必ず一度くらいは罹患する、出る奴はやたらに出るが全くでないと言う奴もいた事は居たが殆どはい1~2回はやっている、ググってみたらどうやら「黄色ブドウ球菌」のせいらしい、
要するに「不潔」にしている事が原因の様で現在でも蔓延しているらしい、そう言えば当時はあまり石鹸で手や顔を洗うことは無かったし、各クラスに何人かいるにおうほど不潔な奴は年中どっかに出ていた、そして確かに女子には少なかったな、
ある程度治まって来ると瘡蓋が出来る、ほっとけばいいのについ端の方が浮いてくるとはがしたくなるのだがそれをやるとまた廻りに新しいのが出来る、
しかし今の子供は殆ど罹患しているのは見ない、これは生活が清潔になったと言う事だがその分ひ弱になったんじゃないかとも思う、無菌純粋培養では外気に触れたらあっという間に絶滅しちゃうんじゃないかと心配でもあるな、子供は泥だらけになって遊び木から落ち石にけっ躓いて育った方が良い様な気がする

縮緬皺が

2017-03-03 17:34:03 | 雑記
気が付くともう週末だ、本当に一週間が早い、一月も一年も段々早くなる、動きが鈍くなる一方なのに時の経つのはどんどん早くなる、歳をとる訳だ、
先日なんかの拍子に自分の手の甲が細かな皺が増えている事に気が付いた、何というか渋紙を揉んだような縮緬ジワがよる、
「縦にしわよるから傘ばばあ、横にしわよる提灯ばばあ、縦横無尽は縮緬ばばあ」なんて落語があったがまさしく縮緬だ,しかしまさか手前の手の甲で見るとは思わなかった、
幸い顔にはまだ出ていないが要は太っているせいでまだ皮に余裕がないせいだ、ダイエットなんかやった日には恐らく顔の皮が彼方此方が波打ってしまうんだろうな、
気持ちは若いつもりでも動きはどうもいただけない、一番感じるのは足があがっていない事だ、
我が家のお勝手は板じきなので小さなキッチンマットが流しの前に置いてある、このマットの下に足を突っ込んでしまうのだ、それもスリッパを履いていて見事にマットの下に入る、これはかみさんも同じで「足でマットを持ち上げろと言われても無理なのに何でこんなにうまくはいる?」と言う様な見事な摺足である、
同じ様に手も本人が思って居るのと違うコースを描く、手が当たる事はほとんどないのだがやかんの様なものをもって例えば蛇口の上を意識しないで超えようとすると底をこすったりする、その時は気を付けるのだが又同じことをやる、
電車に乗るのだが大抵の人は階段でも前を見たまま自然に歩いているのだが自分はどうしても足を下ろす位置を確認するように足元を見ていないと怖い、特に下る時は怖い、
スマホを見ながら歩いている連中を見ると腹が立つのと同時に(やっぱりすごいな)とも思う、
いきなり駆け出すと自分が考えているより足が就いてこない事に呆れてしまう、見ている人は「元気じゃないですか」と言うのだが内実はそんなもんである、
先月運転免許の更新に行って来た、何年か前から返してくれた免許書を取っている、試しに数えたらちょうど10枚たまっている、一番古いのは「「昭和66年の誕生日まで」だが次が「平成9年の誕生日まで」なので2枚が不明だが何処かにあるはずだ。
今回はゴールドで5年間更新は無い、次の更新は74歳になる、タッチの差で高齢者免許にはならないが果たして自分がその能力を維持できるのかいささか不安になってきている、しかしそれこそ移動手段として車が重要にはなるだろうが今高齢者の運転能力が問題になっているので自己に甘くならない様にかつ能力が落ちない様に気を付けなければなるまいな、
しかし現状で言えば、アクセルとブレーキの踏み違いはどうしても理解は出来ない、18から運転していると考えてアクセルワークをしている訳ではない、アクセルからブレーキに足の移動は必ず足を引き上げて踏む癖がついている、(車を止めよう→アクセルを離しブレーキを踏もう)などと考えている訳ではなく操作している、アクセルとブレーキは同じ右足で操作するから車が意志と違う動きをすれば足を離すのとペタルを“踏みかえる”のは一連の動作となっている、車が走り出して止めようとそのまま踏み込むと言うのが全く理解できないのだが、これは先に書いた運動能力とは違う問題かもしれない、
自動運転の開発が急激に進んでいるらしい、しかしあくまでアシスト機能だと言う、問題はその事で注意力散漫になりはしないのかと言う事だが、飲酒運転はどうなるんだろう