ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

事象は繋がっていく

2019-11-13 17:37:08 | 日記・エッセイ・コラム

2019年11月5日(火)~2019年11月8日(金)

 

11月5日(火)

先日購入した「糖質制限の真実」

糖質制限の真実 日本人を救う革命的食事法ロカボのすべ て (幻冬舎新書)
山田 悟
幻冬舎

読む前に欲しいと言う方にあげてしまった。

代わりに読んでいたのが「私が糖質制限でリバウンドも挫折もしない理由」

私が糖質制限でリバウンドも挫折もしない理由 (扶桑社新書)
藤田 紘一郎
扶桑社

しかし、病院の先生から勧められたのは「糖質制限の真実」だったので、本屋に注文しておいた。

ちょっと遠い本屋だったので、ずっと取りに行けず、やっと今日取りに行った。

本屋の隣がカフェなので、ここで読んでいようと思ったら「本日は会議のため、午後はお休みです」

このところこんなことが多い。

夕方は久しぶりに外食。

糖質制限と言っているが、ゆっくり落としていくのでラーメン、チャーハン、餃子のように糖質ばかりの食事でなければ外食も問題ない。

今までふたりとも大盛りのご飯だったが、普通盛りひとつに減らす。

段々慣れてきて、すくなご飯でも満足するようになった。

 

11月6日(水)

実家にリンゴを送ったので、実家に何度か電話したがでなかった。

今朝、母からお礼の電話がかかってきた。

電話が通じなかった原因は、実家で買っている犬だった。

夜から体調がおかしく、朝の散歩では途中で歩かなくなってしまった。

慌てて獣医に行くと、痛みどめをくれたそうだ。

「もう歳ですからね」

わんこは11歳。犬にしたら年寄りだ。

「散歩が大変だ」と言っている母であるが、寂しそうな声である。

「傍を離れないのよ」と母。

わんこ、母のためにも長生きしてくれ。

 

11月7日(木)

「陰陽師のDVDが見たいから借りてきてほしい」

と言うわけで、久々にレンタルショップへ。

ツタヤにDVDを借りに行ったのはいつのことだったか。

Tポイントカードがレンタルできるようになっていなかった。

と言うことは、まだ結婚しているときに主人のカードでレンタルしていたのだ。

すごく遠い昔の話。

まあ、録画したテレビさえ見ることのできなかった日々。

DVDを見るわけはない。

で、気が付いた。

DVDデッキが今の家にはない。

やっぱり、DVDは見れないのだ。

 

11月8日(金)

先週の覚音寺の事を調べていて驚いた。

このお寺は、吉野山の金峯山寺を本山とする金峯山修験本宗の末社だった事。

私、金峯山寺の蔵王堂に安置されている秘仏の蔵王権現が大好きで、何度か会いに行っている。

それから、ご本尊の千手観音の施主である仁科盛家の奥様は後に出家して仏母尼になった。

そして、高野山の遍照光院に阿弥陀堂を建立し、阿弥陀三尊を施入している事。

私が高野山でお世話になった宿坊が遍照光院。

何か繋がった感じがした。

蔵王権現11月30日まで特別開帳中。

見に行きたい。

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【寺】 藤尾山 覚音寺

2019-11-13 16:16:48 | スピリチュアル

2019年11月3日(日)

 

長野県大町市八坂にある「藤尾山覚音寺」に行った。

 

今日は春季大祭の大護摩供の日。

会場はお寺ではなく、八坂公民館前。

護摩業を行ったのが、奈良の吉野山金峯山寺の方。

このお寺は、平安時代中ごろ快尊上人によって創設され、傘下の寺院が12坊ある大きな寺院だった。

始めは天台密教のお寺であった。

江戸時代に曹洞宗に変わり、明治維新後は廃寺になってしまった。

現在は、吉野山金峯山寺を本山とする金峯山修験本宗の末社となっている。

 

ご本尊は千手観音であり、脇侍の持国天・多聞天の3像は重要文化財となっている。

 (覚音寺パンフレットより)

千手観音像の中には墨書木札1枚、紙本千手観音摺仏28枚、白銅鏡1面が納められていた。

造立は平安時代末期、治承3年(1179年)

観音像の施主はこの地域を治めていた仁科盛家とその妻子。

仏師は慶円六郎坊。

脇侍の持国・多聞量天像は鎌倉時代初頭、建久6年(1195年)造立。

持国天像には大修理のあとがある。

 

本日は護摩供のため、本堂が開いていたがいつもは受付に申し込み本堂内を拝観する。

近くで見ると古さを感じない作り。

本堂は新しく綺麗であり、心を落ち着かせることが出来る。

 

また、仏像の横には胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅がかかっていた。

こちらも見ごたえのあるものだった。

 

千手観音の胎内に白銅鏡を納めた仁科盛家の妻は、その後出家し仏母尼と称した。

そして、高野山遍照光院に阿弥陀堂を建立し、仏師快慶作の阿弥陀三尊を施入している。

 

お寺までは車がないと行くのは大変である。

入口には大きな看板が立っている。

しかし、お寺の近くの道はとても狭い上に案内板が小さくわかりにくい。

 

4月の最終日曜日には春季大祭として大般若経転読会(経典の虫干し)が行われる。

古くからあるお寺であるが、場所が不便なため静かなところである。

桜の時季と紅葉の時季大祭に参加するのは良いかもしれない。

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10年ぶり?

2019-11-12 07:08:48 | 旅行記

2019年11月3日(日)~2019年11月4日(月)

 

11月3日(日) 文化の日

友人から「長野に行くので会いましょう」と連絡が来た。

「4日に火渡りがあるので参加しませんか」と言う話だった。

ところが、昨日「日にち間違えて明日だった」との連絡。

バタバタと計画変更で、今日「藤尾山覚音寺」の火渡りに行くことになった。

友達は東京から高速バスで長野駅に向かう。

高速バスは高速が渋滞して、長野駅から乗る電車に間に合わない。

途中で高速バスを降りて、電車の中で合流した。

「2.5km走りました」と友人。

久しぶりに会ってもすぐに以前と変わらず話せる。

途中の駅で、友人のヨガの先生と合流。

始めて降りた駅。

ヨガの先生お勧めのパワースポットに寄り道。

水の色がきれい。

まわりの感じからして、鉱物が多い場所のようだ。

色々な石が落ちているし、岩肌も色々な色である。

 

昼食のお蕎麦屋さんの「野の花」で同行するご家族と合流。

人気のお店で、すでにメニューは十割蕎麦しかなかった。

 

14時から火祭りは始まった。

点火され、護摩祈願が始まる。

そして、この火が消えてから、火渡りをする。

素足で火渡りをする。

熱くはないが、足の裏に墨が貼りついた感じが・・・。

 

火が付いている間は暖かかったが、消えたとたんに寒く友人の唇は真っ青。

終了後にお寺によって、重要文化財の仏像を見た。

寒いので、葛温泉の高瀬館でお風呂に入った。

この温泉で、一緒に行った2歳の女の子がお友達になった子のお母さんに美味しいお店を紹介してもらう。

夕食はkumi’sでハンバーグ。

 

お風呂も入ったし、ご飯も食べたし、あとは寝るだけ。

明科駅から電車に乗って帰宅。

久しぶりに人と話した感じ。

 

11月4日(月)

友人は早朝から鏡池経由で戸隠神社に向かった。

そこで、昨日のご家族と合流し、小布施を回って長野駅から帰る。

せっかく来てくれたのだから、私が案内したかった。

特に用事もなかったけど、今日はつきあわなかった。

昨日、友人からお祝いをいただいたので、お土産を買って夕方長野駅で会った。

「何年ぶりに会ったのかな?」

「10年ぶりぐらい?」

なんて昨日会話していたが、最後に会ったのは2012年。

一緒にカンボジアに行った。

2006年の夏にひとりで富士登山を予定して雨で行けなかった私の事を知って、翌年、一緒に行きましょうと声を掛けてくれた。

14歳も年下なのに、気づかいの良くできるしっかり者。

2007年から2012年まで一緒に富士登山を楽しんだ。

夜、一緒に宅急便の仕分け作業をしていて知り合った。

あの仕事で知り合った人達には本音が話せた。

みんな苦労人だったから。

2週間前にはインドにひとりで行っていたという彼女。

行動力は素晴らしい。

人は沢山の人と出会って、良い所も悪い所も感じて成長するのだと思う。

「また長野に来ます。東京にも来てください」

そう言って別れた。

やっぱり、今日も一緒に行動すれば良かった。

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富士山だよね、たぶん。

2019-11-11 17:04:31 | 旅行記

2019年11月2日(土)

 

天気のいい日。

お昼御飯を食べていたら電話があった。

「戸隠神社と九頭龍神社のお札をいただきに行ってもらえませんか」

と言うわけで13時半ごろから戸隠神社の奥社へ向かった。

 

災害のためか、いつもより参拝者が少ない気がする。

午後だからなのか、駐車場も空いていた。

お札をいただける時間が何時までかわからない。

15時までは開いているだろうと、早足で昇っていく。

さすがに25cm近く身長差のある彼とでは、歩幅もまったく違う。

階段ではもう足が上がらず、息ばかりが上がる。

 

汗をかいて奥社に着いた。

戸隠神社と九頭龍神社に参拝する。

そして、お願いされた2枚のお札をいただいた。

人が少なかったので、ご朱印もいただいた。

最近、ご朱印帳を持ち歩かず「紙で」と言っている。

紙の方が待ち時間が少なく、お寺や神社の方も楽だろうと。

場所によると、ご朱印帳を持っていない方は受け付けないところもある。

そういう場合は、そこでご朱印帳を買う事になるのだが。

たいてい、ご朱印帳に書いていただいても、紙でいただいても金額は同じである。

ところが、今日はご朱印帳300円、紙は400円となっていた。

なるほど、紙代が必要なのか。

 

帰り道はゆっくり降りてきたが、やっぱり行きより短い気がした。

立冬の朝には、随神門の真上に太陽が昇る。

傾きかけた太陽に照らされていた。

 

帰り道にリンゴ屋さんによった。

今は、シナノスイートが時期。

シナノゴールドは出始め。

試食のリンゴが美味しくて、実家に送るように購入。

 

りんご屋さんから見た山。

今日は天気が良いから槍が岳が見えた。

良く見たら、富士山のような山も見える。

何だかうれしい発見。

 

飯縄神社によって、もしかしたらと振り向いた。

空には月が輝いていた。

すべてはみんな繋がっていく。

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【展覧会】追悼 水木しげる ゲゲゲの人生展

2019-11-10 01:48:39 | アート・文化

2019年10月31日(木)

 

長野市の水野美術館で開催されている「ゲゲゲの人生展」を見に行った。

 

水木しげると言えば、ゲゲゲの鬼太郎の作者。

1968年からテレビアニメが始まっている。

たぶんリアルで見ている。

暗くて怖い画面だが、鬼太郎やねこむすめが子供だったから見ていたのだろう。

大人になって水木さんが描いた戦争ものの漫画を見た。

妖怪の怖さではない怖さを感じた。

そして、彼が片腕であることを知った。

そこで、私の中の「水木しげる」はいつもむすっとして、心の中に恨みを持った怖いおじいさん。

になってしまった。

 

ところが、少年時代の彼の絵を見て驚き。

水木しげるさんは天才画家。

私が一番気になったのは、17~18歳の頃に描いた童話。

小さいスケッチブックに、物語と挿絵が描いてあった。

読んでみたいと思う作品だった。

ここから、イメージが変わりだした。

 

彼が描いた戦争ものが怖いのは、実際に戦争を体験しているからだ。

片腕もその時になくした。

終戦後、片腕になっても絵描きへの情熱は薄れなかった。

結婚はしたが、貧乏生活だった。

当時の家を再現してあった。

テーブルの上にあるのはバナナ。

傷んで安くなったバナナを買ってきて食べるのがぜいたくだった。

この幸せ良くわかる。

 

そして、1965年(昭和40年)に講談社児童まんが賞を受賞した。

ここから、「テレビくん」「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」など、忙しい日々になる。

50歳ころから時間に終われるのが嫌になった。

そこで妖怪研究に没頭する。

この時描かれた妖怪画はとても細かに描かれている。

色も綺麗で、引きこまれていく。

また、水木さんが集めたという、各国のお面や置物はおどろおどろしい感じと、神々しい感じがまじりあっていた。

 

最後に、2015年に他界した水木さんに各界からのメッセージがあった。

色々な人に助言して、愛されていた人だと言うことを感じた。

 

私が一番良かったのは「ゲゲゲの名セリフ集」

人生の達人ねずみ男編。

「ケンカはよせ。腹が減るぞ」

人生の達人だと思う言葉が沢山。

 

めだまおやじの「なまけ者になりなさい」

ねずみ男の「のん気にくらしなさい」

このポストカードが欲しかったが、あいにく売り切れ。

そこで、ねずみ男のリングノートを購入した。

 

水木しげるさんは素晴らしい妖怪研究者。

怖い人ではなく、妖怪たちまでもがよってくる優しい人なんだと思う。

 

今回の会場は長野市の「水野美術館」

ここは、きのこで有名なHOKUTOの社長が集めた物を展示している。

日本画専門の美術館である。

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