きのうTさんと、話をしました。
なんとなく、その場で。
熱のこもった深い話になった。
Tさんは、私が難聴と充分承知してくれていて
声を大きめに、ゆっくりとか、配慮してくれているんだけれど、
それでも、
どうしても所々聴き取れないところがある。
それは、誰でもそうなんです。
でも、
所々聞き取れない、ということが気になったり、
グッと集中して聴かないといけないことで、
あと「ああ、やっぱ疲れたね…」となる時とある。
どこが違うのかしら――。
その時の、いろんな状況とかもあるでしょうけど、
「この耳の遠い人に、聴き取れるように」という姿勢を常に忘れなかったり、
(これは、本当に有難い)
生き方や考え方の方向性に、互いに共通する部分がハッキリ感じられたり、
心の底のあたりでつながっているのが実感出来る、
そういったケースでは、
話のあと、まず充実感が感じられるようなんですね。
とにかく、
わたしの方から心を寄せていくことよね――
って、自分に言い聞かせてます。
なんとなく、その場で。
熱のこもった深い話になった。
Tさんは、私が難聴と充分承知してくれていて
声を大きめに、ゆっくりとか、配慮してくれているんだけれど、
それでも、
どうしても所々聴き取れないところがある。
それは、誰でもそうなんです。
でも、
所々聞き取れない、ということが気になったり、
グッと集中して聴かないといけないことで、
あと「ああ、やっぱ疲れたね…」となる時とある。
どこが違うのかしら――。
その時の、いろんな状況とかもあるでしょうけど、
「この耳の遠い人に、聴き取れるように」という姿勢を常に忘れなかったり、
(これは、本当に有難い)
生き方や考え方の方向性に、互いに共通する部分がハッキリ感じられたり、
心の底のあたりでつながっているのが実感出来る、
そういったケースでは、
話のあと、まず充実感が感じられるようなんですね。
とにかく、
わたしの方から心を寄せていくことよね――
って、自分に言い聞かせてます。