michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

気にし過ぎ? 聴こえなくったって?

2023-09-16 06:04:12 | 聴こえ

ずいぶん間が空いてしまいました。

日々、あれこれイロイロあって…。

今日は、自分の日記をつけたい――ちょっと つぶやきながら心の中を整理したい感じかな。

 

 

母の介護認定の更新時期。役所から認定の方が見える。(もちろん筆談をお願いする)

その場にケアマネさんが「私も同席しましょうか?」と。

ちょっと考えて、こうお答えした。

「あの、、人が増えると、どうしても聴こえる方同士で話して、私は聴こえなくて分からないという状況に。そういうことが多いんですよね。。」

それで、ケアマネさんは同席しないことになった。

このこと、これで良かったのかな…とチョット気になってる。

私は聴こえないことを気にしすぎるのかな、って。

 

ふつうのおしゃべりなら、他の人がペラペラ話してても「楽しそうねぇ♪」って感じなんだけど、
福祉関係の話し合いの場では、
「何の話かしら? なんてことない話なら良いけど。。
毎日介護するのは、私な訳で。
私、聴こえないけど良いのでしょうか?って、そんな風に訊いた方が良いかな……」
とあれこれ考えてしまうことが、これまで何度か。

これまで、そういうことが何度もあって、心がゴチャゴチャした。

 なので、この先もきっと、と思ってしまう。

けど、過去は過去。今後のことは、わからない。 そう認識してる。認識してるつもりだけど、、過去の数々が忘れられなくて、積み重なってしまってる。

 

          

NHKの『パパとしずかちゃん』、すっごく良かった。

町の人たちとの話し合いで、パパ(聴こえない)が町の人たちと話し合う様子は、通訳が居なくても、互いに気持ちがあれば通じ合える。そんなことをあの番組では言いたかったのでしょう。

 う、うんー、、

ま、パパとは違って私は喋ることは出来るとか、状況は違うけど

  あんな風には出来ないナ、わたしは。

 

        

聴こえなくてもナントカなった経験も多々ある。

また、「なんとなく、こういうようなことかな…」程度に分かってそれなりの反応を示し、その場はそれなりに収まった。ということも数知れない。

けど「あんな感じで良かったんだろうか…」と、チョット後に残ることも。

 

こんなこと書いたり考えたりしてると、生活していくことが しんどくなりがち。 生活するというのは、この社会の中で、人と触れ合ってやってくことだから。

人によっては「細かいこと、気~にしない~♪」とサバサバとやれちゃうみたいね。

 はぁ、、この話、どう締めたら良いのかな。。

 

 

 

 

 


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