minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

オケラ号の思い出 その弐

2006年03月14日 | ライブとミュージシャンたち
 私と多田さんがオケラ号で何かをやるとき、必ずといっていいくらい雨が降った。初めてオケラ号に乗せてもらったときも、また某S雑誌(広告ばかりのジャズ誌)の取材で葉山マリーナのヨットハーバーで撮影するから来てください、って多田さんに誘われたときも雨だった。でも演奏するとなると、不思議なくらい雨が止んだのだ。

 多田さんが亡くなったあとも、何人かの多田さんをとりまくヨット仲間の方々との交流は続いている。人を喜ばせる事の大好きな多田さんが私たちに下さった一番大きな贈り物は「素敵な友人達」。「オケラ5世優勝す」のあとがきを書いていたNYの酒井真知江さん(ルポライター)を紹介され、NYに新婚旅行で行ったときに彼女の家にずっと泊めて頂いたり、ラーチモント(NYの郊外)でコンサートを主催してもらった事もあった。また、一緒にニューポートまで見送りに行った清水在住の池田ご夫妻(オケラ号制作でなくてはならなかった人物)にも家族ぐるみでお世話になった。
 
 遼介が小学一年の夏休みだったと思う。「遼介君も一緒に、ヨットに乗りにきませんか?」という池田ご夫妻のお誘いに私たちは大喜びで清水へ向かった。池田さんご夫妻は多田さん亡き後も、オケラ五世号をひきとって管理しているのだ。せっかく、久しぶりのオケラ号とのご対面だから、多田さん追悼演奏をオケラ号でもう一度やらせてもらおう、と楽器も水着と一緒に持参。

 清水港は昔の面影はなく、とても美しいヨットハーバーに変身していた。大きなショッピングモールのビルまでできていて、その前に精悍に並ぶヨットの数々。ヨットハーバーに入るのは特別な鍵が必要で、池田さんたちはヨットを初めて観て興奮する遼介にその鍵を手渡し「これは遼ちゃんが持っていていいのよ。いつ来てもこのヨットハーバーに入れる鍵よ。」やさしい池田さんたちにすっかり感激した遼介はこの鍵を大切に持って帰り、今でも机にしまってある。

 「今日はこのヨットで寝るの?」「そう、ここがホテルだよ。」多田さんが今にも笑って入ってきそうなキャビンにみんなが集まった。食事をすませてから、夜も更けて来たからそろそろ演奏会を・・・と思い楽器のセッティングを始めた。ゴロゴロと雷の音が聞こえ、雨が降ったら大変、とあわてて演奏を始める。もちろん一曲目は「Blue Monk」だ。池田さんや集まってくれた友人達もワイワイと、みんなで盛り上がってミニミニコンサートは終わった。

 みんなが三々五々帰ってから、ヨットハーバーを抜けて自動車で温泉に入りに出かける事になった。駐車場に車を取りにいくと、地面がびしょびしょに濡れ、雨が降っているのに気がついた。「あれれ?変だな。」と思いつつ温泉を探して清水の街をドライブする間も雨が降っていた。あとで、人に聞くとずっと雨(しかも集中豪雨)が降っていたという。ヨットハーバーのオケラ号のまわりだけが地面も濡れず・・・全く雨一滴も降らなかったのだ。きっと多田さんの天国からの最後の贈り物だったに違いない。