minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

オケラ号の思い出 その弐

2006年03月14日 | ライブとミュージシャンたち
 私と多田さんがオケラ号で何かをやるとき、必ずといっていいくらい雨が降った。初めてオケラ号に乗せてもらったときも、また某S雑誌(広告ばかりのジャズ誌)の取材で葉山マリーナのヨットハーバーで撮影するから来てください、って多田さんに誘われたときも雨だった。でも演奏するとなると、不思議なくらい雨が止んだのだ。

 多田さんが亡くなったあとも、何人かの多田さんをとりまくヨット仲間の方々との交流は続いている。人を喜ばせる事の大好きな多田さんが私たちに下さった一番大きな贈り物は「素敵な友人達」。「オケラ5世優勝す」のあとがきを書いていたNYの酒井真知江さん(ルポライター)を紹介され、NYに新婚旅行で行ったときに彼女の家にずっと泊めて頂いたり、ラーチモント(NYの郊外)でコンサートを主催してもらった事もあった。また、一緒にニューポートまで見送りに行った清水在住の池田ご夫妻(オケラ号制作でなくてはならなかった人物)にも家族ぐるみでお世話になった。
 
 遼介が小学一年の夏休みだったと思う。「遼介君も一緒に、ヨットに乗りにきませんか?」という池田ご夫妻のお誘いに私たちは大喜びで清水へ向かった。池田さんご夫妻は多田さん亡き後も、オケラ五世号をひきとって管理しているのだ。せっかく、久しぶりのオケラ号とのご対面だから、多田さん追悼演奏をオケラ号でもう一度やらせてもらおう、と楽器も水着と一緒に持参。

 清水港は昔の面影はなく、とても美しいヨットハーバーに変身していた。大きなショッピングモールのビルまでできていて、その前に精悍に並ぶヨットの数々。ヨットハーバーに入るのは特別な鍵が必要で、池田さんたちはヨットを初めて観て興奮する遼介にその鍵を手渡し「これは遼ちゃんが持っていていいのよ。いつ来てもこのヨットハーバーに入れる鍵よ。」やさしい池田さんたちにすっかり感激した遼介はこの鍵を大切に持って帰り、今でも机にしまってある。

 「今日はこのヨットで寝るの?」「そう、ここがホテルだよ。」多田さんが今にも笑って入ってきそうなキャビンにみんなが集まった。食事をすませてから、夜も更けて来たからそろそろ演奏会を・・・と思い楽器のセッティングを始めた。ゴロゴロと雷の音が聞こえ、雨が降ったら大変、とあわてて演奏を始める。もちろん一曲目は「Blue Monk」だ。池田さんや集まってくれた友人達もワイワイと、みんなで盛り上がってミニミニコンサートは終わった。

 みんなが三々五々帰ってから、ヨットハーバーを抜けて自動車で温泉に入りに出かける事になった。駐車場に車を取りにいくと、地面がびしょびしょに濡れ、雨が降っているのに気がついた。「あれれ?変だな。」と思いつつ温泉を探して清水の街をドライブする間も雨が降っていた。あとで、人に聞くとずっと雨(しかも集中豪雨)が降っていたという。ヨットハーバーのオケラ号のまわりだけが地面も濡れず・・・全く雨一滴も降らなかったのだ。きっと多田さんの天国からの最後の贈り物だったに違いない。

オケラ号の思い出 その壱

2006年03月13日 | 映画、本、芝居関係
 多田雄幸氏の「オケラ5世優勝す」の本を送って頂いて再び読み返している。やっぱり多田さんって素敵な人だったなあ、もっともっと一緒に遊びたかった・・・。
 
 「頑張ってね~。」「頑張りませ~ん。」マイペースで出航して行った多田さんの姿はいつまでも脳裏に焼き付いている。最後のレースに出場するため、ニューポートに向かうときも、清水港から出発した多田さんはみんなに見送られて出て行ったにもかかわらず、一反引き返して来た。どうしたんだろう?みんなが心配してヨットに近づくと、「えへへ、水をヨットに積み忘れちゃって・・・」恥ずかしそうに頭をかいているちっちゃな多田サン。見送りの全員がずっこけた。ビールは大事そうに積んでいたのに。

 私が多田サンのヨットに乗せてもらってあちこち連れて行ってもらったのもみんな「オケラ5世号」だった。生まれて初めて乗せてもらったヨットだ。夜中にタクシーで世田谷を出発(そう、多田サンの家と私の実家は目と鼻の先だった!)して「オケラ号」の停泊してある港につくと、「これがオケラさんですよ~。」多田さんの小さなお城に案内され、そのままオケラの中で宴会が始まった。池袋のジャズ飲み屋、ぺーぱーむーんのいっきさんもその時は一緒だった。もともと多田さんの本(オケラ5世~)がぺーぱーむーんで話題になっていて、偶然多田さんが友人に連れられ飲みにやってきたのがきっかけだったから、いっきさんも多田さんと出会って感動しすぐに意気投合したのだ。「ヨットで演奏会をやりましょうよ!」「いいですね~」って事になったらすぐに実現させてしまうのが多田さんの凄いところ。初めて会って1週間後に私たちはヨットの中に居た。

 チーズと黒パンをつまみに飲みながら、トシキが「芝浜」という長~い人情話をヨットの中でやり始め、多田サンも大喜び。私たちは落語好きという点でも共通していたのだ。ただし、多田さんは志ん生師匠と一緒に小唄を習っていたというから本格的だ。そんな話題で盛り上がり、ほろ酔い気分のまま、蚕のようなベットに横になり心地よく波に揺られながら熟睡。まるで胎児のような気分だった。翌朝、多田サンは甲斐甲斐しく朝ご飯を作ってくれ、そのまま沖に出発。ヨットが風にのって走る。ぐんぐんとスピードがあがると今までの多田さんはそこにはいない。一人のカッコイイ、キビキビと仕事をこなすヨットマンになっていた。

 船の先っちょでサックスを吹かせてもらい、多田さんと本当に沢山ブルーモンクを演奏した。多田さんのレパートリーがブルーモンクしかなかったからだ。でも多田サンの吹くサックスはとってもあたたかく、歌に溢れていた。「プロの人の前で恥ずかしいですよ~」と言いながら、とっても堂々と演奏していた。「多田さん、フリースタイルでも何かやってよ」といっきさんにリクエストされた多田さんは永田利樹とフリーデュオで「波浮の港」を披露。これがまた素晴らしかった。

 このあと、三保の松原で演奏会をやったり、ニューポートに行く事になって・・・、そのあたりの話は私のスターラップ新聞「NY物語」に書いたのでここでは書きませんが、次回は多田さんの追悼演奏を清水に停泊しているオケラ5世号でやった時のちょっと不思議な出来事を書かせてもらいます。(つづく)

 

私って?

2006年03月11日 | 家族の日常
 先日の中学校の演奏、とっても好評だったようでお母様から感謝の声が届きました。こういうのは本当に嬉しいですね~。学校で音楽の素晴らしさを伝えられるならどんどんやっていきたいな、と思います。黒田さんも友人の小学校で詩の朗読(生徒たち)に併せて即興伴奏をする、というのをボランティアでやったそうです。子供達との交流をどんどんやって行きたいな、と思う今日この頃。うちの学校でもぜひ!という方、どうぞ遠慮なく相談してきてくださいね。

 3月は暇だな~。と思っていたらやっぱり息子の卒業式やら謝恩会やらと雑用が多くて大変!息子の音楽の先生がまるでだめ夫君なので遂に担任教師たちは私に助けを求めてくる始末。「この歌を謝恩会で歌わせたいので、遼介くんにピアノ伴奏してもらいたいのですが・・・」持って来たゆずの譜面のピアノ譜をキーを変えてさらに息子が伴奏する事に。それって、私に譜面を作ってくれ&ピアノ伴奏ができるように息子に指導しろ、って意味でしょ???しかも3日間で!暇だからよかったけれど、これが2月だったら完璧にキレてましたヨ(苦笑)。

 しかし親ばかだから、息子がピアノを任されるとなればがんばらにゃ~!って思ってしまうんだなあ。徹夜で譜面を作り、息子のピアノ指導もして、なんとか3日間で完璧に弾けるようになりました。みんなの前で一人伴奏をするとあって息子もいつもになくやる気モード。意外と素直にレッスンを受けてました(苦笑)。あとは本番でどうなるか、楽しみ。でもこれって、音楽の先生がやる事でしょう?ただの月給取りでは困りますよ、本当に。去年まであまりに素晴らしい音楽の先生だったもんで、現在のだめ夫君のひどさが目立つのですが、こんなに先生の善し悪しで子供達の音楽や芸術に対する感心が変ってしまうのかと思うとこれからの教育現場、とっても不安です。生徒数が減っている分、教師も切磋琢磨して、だめな人(やる気のない人)は脱落していくべきではないのでしょうか?あなたのお子さんの教師たちはいかがしょう?だめな先生をリコールするなんて事はないのでしょうか?こんな事を考えてしまう私って親ばか&教育ママ?
 

やめてくれ~!

2006年03月09日 | 家族の日常
 ここ最近なかったのだが、昨日また例のいたずら電話がかかってきた。携帯に突然かかってきたいたずら電話。でると無言。これだけならまだいいのだが、そのかかってくる時間が本当にむかつく時間帯。朝方の3時、4時半、5時、ぜ~ったいに熟睡している時間なのだ。私はそれでなくても寝付きが悪く、医者に睡眠薬までもらっているというのに(でも薬嫌いだからお酒を飲んで寝てますが)ようやく眠りについた頃にリーン、リーン。利樹は爆睡中。眠りの浅い私は猫が部屋に入ってくる物音でも目が覚めてしまう。仕方なく「もしもし・・・」「・・・・」ガチャンときるが、むかむか、いらいら。ここからまた1時間は眠れなくなる。どうせなら朝の7時半にしてくれ~。目覚ましがわりに!それにしても気味が悪いよお。

 今までは携帯にかかってきたので、着信拒否にしてからは全くかからなくなりほっと安心していたのに、自宅にまでかけるとは・・・。一体だれだあ???以前のいたずらと同じ人の仕業だと確信している。だって、同じような嫌~な時間帯、非通知、無言、そして昨日のいたずら電話も同時刻に携帯にもかかっていたのだ。着信拒否されたので自宅にすぐかけ直したに違いない。自宅の電話はどうやれば着信拒否とかができるのかわからず・・・ああ、今日もかかってきたらどうしよう、とびくびく・・・私って恨まれているのかなあ?どこに相談したらいいのか、うちの電話って親子電話でわけわかんないから留守電にもできないし・・・電話関係者の方、よい対策法があったら教えてくださあい。

今どきの中学生

2006年03月08日 | 家族の日常
 今日はぽかぽか小春日和。そして多田雄幸さんの命日でもありました(おもいっきりテレビで多田さんの事がでる、というのにビデオ録画するの忘れちゃった、ごめん、コージロー!)。

 三鷹市立某中学校「卒業お祝いコンサート」。とっても立派な中学校で市立とは思えない建物にびっくり。もの凄ーく広い体育館でPAシステムもないまま、120名の3年生を相手に演奏する事になった。こんなに暖かいのに、体育館はヒンヤリ・・・。生音だから、ステージから降ろしてまわりを囲むようにして生徒たちに聴かせたかったが、どうしてもピアノをステージからおろせない、と先生方に言われたのでピアノをステージの端っこ、ぎりぎりまで運び、みんなが生音を楽しめるようにセッティング。下から見上げる形でピアノの裏からでる音を聴くという経験もなかなか貴重ですね。コスマスもピアノの生音にそうとう気を使って小物系パーカッションを駆使してくれたお陰で、バランスもよく、迫力もある演奏がなんとかできた。

 まず会場に案内され体育館の外で待機していると、受付のお母さんがバタバタ走ってきた。「しまった、うちの子に逃げられた!先生、息子が脱走したようです。」「他のお母さんたちが体育館の入り口は見張っているはずですが・・・」そんな物騒な会話が飛び交う。「車を体育館のそばにおいているといたずらされる危険がありますので、奥に移動させてください。」「え~?大丈夫でしょ?いたずらされても困るような車じゃないですから。」とコスマスが言うと「いいえ、2、3日前に校舎の2階から自転車を落とされたばかりなんですよ。」げ~!慌ててコスマスも車を移動しに走る。いったいどんな学校なんだろう。ざわざわしていてきっと音楽なんてあほらしくって聴いてられね~っていう子もいるんだろうなあ、と少し覚悟して入場。

 「ご卒業おめでとうございます。」と言っても無反応。脱走者らしき連中がぞろぞろと1曲目の始まったとたん入ってきた。「楽器とか、バンドの経験ある人はこの中にいますか?」とコンサートの途中で話しかけてもし~ん。「みんな眠たいのかな?」と聞いても・・・。のれんに腕押し状態だ。恥ずかしさが先行する難しいお年頃なんだよなあ、それでも演奏が終わるたびに熱い拍手がきちんと返ってくる。うるさいよりはずっといい。後ろ向いているワル餓鬼、こっち見ろよ、とサックス吹きながらテレパシーを送る。気配を感じたのか、目があうと恥ずかしそうに下を向いた。かわい~。

 たっぷり1時間のコンサート終了後、PTAの代表のお母様が「みなさん、なにか質問がありましたらどうぞ。」あれあれ、この状態で誰も質問なんかしないよね~、と黒田さんと顔を見合わせていると「はい!」と立ち上がる男子生徒。「どういうきっかけでジャズをやるようになったのですか?」これにはメンバー全員がびっくり。一人一人ていねいにお答えすると、またほかの女子生徒からも質問が。「ジャズって難しい音楽だと思っていました。どうやったら、ジャズを演奏できるようになりますか?」鋭い質問が次から次に出てくるではないの。みんな熱心に聴いてくれていた証拠ですね。最後には「あなたにとってジャズとは?」むむむ?どこかで聞いたような質問だが・・・困りながらもみんな必死に答えました。コスマスは「わっかんな~い。」って大声で叫び、会場も爆笑。本当に楽しかった~。楽器を片付けていると可愛い女の子が2人近づいてきて「今日はありがとうございました。私ピアノ弾いています。途中で使っていた、ジャラジャラした楽器は何ですか?」などと質問までしに来てくれて・・・な~んだ、みんな素直でいい子たちばかりじゃん。

 帰るときに音楽の先生から「素晴らしい演奏ありがとうございました。みんな生の迫力ある音に感動したようです。やっぱり生の演奏はいいですね。子供達がこんなに熱心に鑑賞してくれるとは思いませんでした。実は3年の授業でバンドを組ませて、全員がドラム、ベース、ピアノなどを演奏させたんです。ですからプロの出す音はやはり違うな、って一生懸命聴いていたんでしょう。」中学3年でバンドを組ませてもらうなんて、音楽の先生が素敵で本当によかったね。

 今日、出会った子供達の中に「ジャズってこんなに楽しい音楽なんだ!」ってミュージシャンを目指す子供がひとりでも現れてくれたらこんなに嬉しい事はないんだけどな。卒業おめでとう!!

文化の街<吉祥寺>~ちょっと固いイラク問題のお話~

2006年03月06日 | ライブとミュージシャンたち
 ヨットマン(故)多田雄幸著「オケラ5世優勝す」ですが、前回のブログを読んで下さった方から連絡をいただき、さっそく入手する事ができました。この場をお借りして、情報提供して下さった方々へお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 さて、昨日は日曜の昼の部<吉祥寺サムタイム>でコスマスと黒田さんの4人。寝起きでまだぼーっとする中、吉祥寺へ向かう。やはり日曜だけあって人が多い。でも渋谷よりも大人の街って感じがする。1セット目が始まると客席は満杯だったのでちょっとびっくり。昼なので小さな子供連れも結構いる。226に来てくれた友人達もいる。年に一度226しか来ない人の多い中で、すぐにまた駆けつけてくれる友人達に感謝。
 1セット目が終わって休憩していると、村松友視さんの奥様がご主人の最新本を持ってやって来て下さった。山下洋輔ファンの彼女はいつも226に顔を出してくれていたのだが、今回はご主人と2人揃って風邪をひいて来れなかったとの事で、お詫びがてらサムタイムに来て下さったのだ。「こんな昼間から素敵な音楽が聴けるなんて嬉しいわ~。じゃ、お宅のガキによろしく!」と言って颯爽とお帰りになりました。上品で美しいお嬢様というイメージから「姫」と呼ばれているのですが本当はとっても面白い人なんだなあ。
 1セット目に奥の方にいた3つくらいの女の子が2セット目にはお母さんたちのもとを離れて、ちょこんとピアノの横の階段に座って熱心に演奏を聴く姿が見られ、嬉しくなった。いいなあ、こういうの。「このバンドは昼間のライブ、あってますね~。ときどきやりませんか?」とマネージャも大絶賛。また6月あたりに昼間やろうと思いますので、日曜の昼しかこれない方はぜひこちらにいらして下さいませ。

 京都から来てくれた友人もいた。彼はもともと大河画伯の友人で、昔一緒に「リングス(前田日明によって作られた格闘団体/現在はない)」を観に行った仲だ。その頃は障害者施設で働いていたが、その後ポルトガルに渡り、2年前から京都に住んで京都外語大学に籍をおいている。
 京都の仲間たちと「イラク人医師シャキール氏を日本で医学を学ばせたい」という趣旨でボランティア活動を開始。ここで一言で説明するのはとっても難しいのだが、イラクの情勢が今とても悪化しており、大学の教授、医師たちが次々と惨殺されている状態でイラクで医師活動をしていたシャキールさんもヨルダンに亡命、そこで医師としてイラク人患者の治療にあたっている。しかしヨルダンもだんだんと情勢が悪化しており(昨年11月にアンマンで起きた爆破事件以降)、ヨルダンに渡るイラク人たちを排除し始めたという。行き場を失いつつあるシャキールさんをなんとか助けたい、というのが発端だが、同じような環境で死に直面しながらも負傷した人たちを助けたいと思うイラク人医師たちを救う窓口が全くないのが現実だそうだ。日本から自衛隊(武力や銃弾)派遣するよりも、民間の力(ボランティア活動)と医療技術、医療品などで協力してほしい、というのが彼らの訴えなのだ。
 政治とかイラク問題など考えた事もなかった私だが、友人の一生懸命な姿を見ていると何かお手伝いできる事はないだろうか、って真剣に考えるようになってきた。シャキールさんは日本人の活動家の女性と知り合い、イラクの現実を訴えるために昨年、日本講演を行ったそうだ。まず、突破口を開くためにシャキールさんの命を守り、日本の医大で学ばせよう、というのが彼らの考え。そのための渡航費用、入国ビザ獲得、滞在費用、入学費用(併せて120万円)を集める活動が始まった。まずはひとりから、という事。

 自衛隊派遣についても人ごとのような気がどこかでしていた私だが、いざ、自分の息子とかまわりで自衛隊に入るような友達とかが出て来たら・・・と思うととても心配になる。日本の、アメリカとの密接な関係を否定する事はできないのだろうが、もっと違うかたちでイラク戦争のしりぬぐいを手助けしなくてはならない時期に来たようだ。私たちも彼らのために、何かをする必要があるのではないだろうか、とまじめに考えさせられる吉祥寺の夜でした。また進展があれば、このブログにもとりあげたいと思います。

興味のある方はこちらまで!ご意見をお待ちしております。

明日のサムタイム

2006年03月04日 | 家族の日常
 さて、明日は吉祥寺サムタイムのお昼の部。実はサムタイムのマネージャから吉祥寺の市立中学校で卒業祝いのコンサートをやって下さい、と頼まれ、今回のユニットを初めて組んだ。黒田さんとコスマスはあまり一緒に演奏した事がないために、急遽顔合わせも兼ねてサムタイムで演奏させてもらえないか頼んだところ、明日のお昼しかなかったのだ。

 自分の息子の小学校の謝恩会の準備もばたばたと忙しい中で、人様の中学校の謝恩会に出演する、ってのも何かの縁だろう。体育館でマイクもなしで果たしてどう子供達に伝わるのか、心配もあるけど、絶対にいい演奏して中学生にもジャズってこんなに面白い音楽なんだ、って事を伝えたいと今からはりきっている。絶対に普段はやらない事だが、彼らのために「ジャズを聴くときのワンポイントアドバイス」のようなものを作り、曲目と演奏方法についても詳しく書いたものを配る事にした。本当は必要ないんだけど。

 ちょうど今読み始めた、マイク・モラスキー著(このまえの226に来ていた米在住の将棋好き文化学者)「戦後日本のジャズ文化」の冒頭にこんな文章が載っていた。
 「Writing about music is like dancing about architecture.」
「文章によって音楽を説明しようとする事はダンスによって建築を表現しようとするほど愚かである。」byセロニアス・モンク
 あはは。とりあえず「吹けよ、吹けば道は開かれる!by アントニオ・さち」 だな。
明日は昼過ぎの2時から5時までの2セットで~す。お間違いのなきよう。

ケンタのバースデイライブ

2006年03月04日 | ライブとミュージシャンたち
 先日、私の226バースデイに飛び入りしてくれた原田喧太君のバースデイ(ひなまつり)ライブ。下北沢茶沢通りにあるモザイクというライブハウスがスタンディングで満杯だった。226のお返しに一曲アンコールで「come together」を演奏してきました。
 日野晧正tpの息子、日野賢次bassとも初めて共演。とってもノリのいい(お父さんに似たのでしょうか)華のある素敵でかっこいいミュージシャンだった。あんまりエレクトリックべースとは演奏しないからとっても新鮮な体験、しかも今日はばりばりロックだぜ~、イエイ。気持ちよかったあ。でも一曲で助かった~、更年期の女にはこの音量はハード過ぎる?!けんた、お願いだから私にも静かなバラードの曲で演奏させてくれ~(本音)。
 
 このライブ、アンコール以外は全てけんたのオリジナル。良い曲を書くなあ。お父さんとは全く違うタイプだけれどいい声してるし。アクースティックギターも初めて聴いたけれど美しい音色だった。これから注目のミュージシャンだ。一緒に演奏させてもらえてとっても幸せ。今年はロック界をあらしてやるぞ~。(顰蹙だろうな?)ふん、音楽に年齢差は関係ないもん!ケンタと私の年齢差は10才だけど...なんかモンクある?さあ、来週からまた水泳にピラティス、ガンバロウッと。
 今日の一句・・・「ホルモンでお肌ぴちぴち!若作り」お後がよろしいようで・・・。


ホルモン治療開始

2006年03月02日 | 家族の日常
 第一回目の検査の結果が出た。「尿検査と血液検査の結果、やはり更年期の症状が出ています。お気を悪くなさらないでね。ふふっ。」と担当の女医さんに言われた。なんじゃ、そのふふっ、という笑いは!とつっこみたくなったが、ぐっと我慢して下を向いてうなずいた。「一応、乳がんの疑いもなかったのでホルモン治療をやってみましょう。」

 そう、私の指の関節炎がひどくなるばかりだったので、友人から「女性特有の病気という事も考えられるから一度女性専門の医者に相談したほうがいいよ。」と言われ「女性専門外来」というのがある大きな病院を探して行ったところ、こういう結果になった。でも朝一番に行って3時くらいまでかかった検査も終わりではなく、また来週には「リウマチ検査」とかが残っている。嫌だなあ、リウマチって響き。いかにもお年寄りの病気って感じで、とほほ感は否めない。

 という訳で「ホルモン治療」が開始された。なんてことのない、ぴらぴらっとした5センチ四方の肌色シールをはるだけでホルモンのバランスがとれてくるらしい...?本当かなあ、と半信半疑で昨日の夜、お風呂あがりに体に貼ってみると・・・翌朝にはもう効果が!そう、パソコンのキーボードを叩くのもあんなに痛かった指が、痛みがとれている!!!すご~い。これでテーピングしなくてサックスも吹けるようになるぞ。こんなに効き目が早くでるなんて、逆に他の悪影響とかはないのかしらん?ケミカルなものが大嫌いなので、常に疑ってしまう私。これからもチョクチョク経過を報告します。でもどうしよう、ますます女っぽくなっていきそうで怖い。胸もこれ以上大きくなったら・・・。ふふふ。

 前回紹介したコージローの本を病院の待ち合い室で読んだ。ヨットに興味がない人にもお薦めです。師匠と仰ぐ多田さんが、カツラメーカーがスポンサーだったので、ヨットに乗っている間中、海水に濡れてよれよれになってもカツラをつけていた・・・etc..思い出して病院でひとりでぐふふ、と笑ってしまった。
 コージローの本は沢山でているようなので、ほかのも読んでみようっと。「オケラ号の本、ぼろぼろだけど貸してあげますね。」という連絡も知人から戴いた。感謝。情報の早さには今更ながら驚かされる。多田雄幸著「オケラ5世優勝す」は中古なのにアマゾンでプレミアがついていたのにはびっくり!でしたが。

(今回の話と全く関係なく、上の写真は226の大森ひろすけ氏による写真です。ほかにも沢山素敵な写真をとって下さいましたので、HPの写真館のコーナーに掲載中です。ご覧下さいね。)