加納莞蕾大回顧展 対話型鑑賞会 2019.6.2.Sat.
タイトル 「室内」 1930年 油彩
鑑賞者:一般 6名 美術館関係者 1名 会員1名
ナビゲーター:房野伸枝
私がこの特別展に足を運んだのは今回が初めてでした。前回の鑑賞会で選ばれた2点の作品以外から今回の作品を選ぼうと、展示室をじっくりとみていきました。何しろ、鑑賞が深まるには作品選びが最も重要ですから。「何が描かれているのか?」「それには、どういう意味があるのだろう?」「これらのモチーフからどんな解釈が引き出せそうかな?」などなど、一人で自問自答しながら、何となく心に引っかかりがある作品を数点選び、その中から「室内」と題された人物画を選びました。人物画は誰にとっても親近感があり、話題にしやすいということが理由のひとつ。そして、この作品は窓に背を向けた男性が、逆光の中、ストーブのそばで足を組んで座っているポーズや、斜めに傾いて見えるカップ、曖昧な表情、など、一見くつろいでいるように見えるけれど、よく見ると微妙に違和感をもたせる作品であることが、選んだ決め手になりました。
鑑賞会の直前に、加納莞蕾氏の四女であり、加納美術館名誉館長の加納佳代子さんから、「この絵はずっと手放さずに家にあったものです。他の作品はすぐに手放したのにねぇ」とお聞きしました。「小さい頃は立てかけてあったこの絵の周りでかくれんぼしたものです。」というお話は前回の鑑賞会の「かくれんぼと魚」という作品を彷彿とさせるほほえましいエピソードでした。この鑑賞会のどこかで紹介できたらいいなと思いつつ、鑑賞会を始めました。以下は鑑賞会の様子です。
<鑑賞会の内容>
A~H 鑑賞者
(ナ)ナビゲーターの発言(途中のパラフレーズは省略している部分あり)
(学芸)学芸員の方からの情報提供
A 季節はいつかな、と思ってみると、ストーブの煙突が見えるところから、冬で、窓の外が白く見えるので雪景色。窓の内側が結露で曇っているけれど、中心部分だけ手でこすって外が見えるようになっている。
B 画面の半分に人物が斜めに配置されている。人物の前にテーブルを置くと半分の画面でよいのでは。
C 手が不自然に大きい。テーブルが小さくて斜めになっている。フォービズムの影響で不自然に描かれているのでは。壁の線が曲がっていたりしていることからもそう思う。
(ナ) 見たままというよりはディフォルメしているということでしょうか。(ここではあえてフォービズム(野獣派)には触れなかった。画壇の流派について今後も意見や質問が出て、解説が必要であれば、その時に触れようと思ったので。この場に重要性を感じない場合はスルーすることも必要だと判断した。)
C 深刻な話をしているのか、聞いているのか、わからないが、緊張感がある。
(ナ) どこから?(根拠が曖昧な意見へは「どこからそう思ったのか」を丁寧に聞くことを心がけた。)
C 目つきから。くつろいでいるようではない。別れ話のような、政治的に難しい話か、深刻な話をしている のでは。
D 私は口から。
(ナ) 口のどこから?
D 力が入っているのかな‥?いえ、私が勝手に考えたんです。
(ナ) いえ、いいんですよ。感じられたことをおっしゃってください。(Dさん、思わず口をついて出た意見だったけれど、気後れされたようなので、ナビが支援)口元がきゅっと結ばれているところからでしょうか?
D はい、私にはそう見えました。
A 斜めの構図、背景が冬じゃないか、ということから、この人物を通して、莞蕾さんは何を表現したかったのかな、と考えると、他の作品をみてきたら、ここには戦争の絵もあって、この作品でも斜めの構図の人物に影が落としてあるようで、戦争の影が作品に影響して、冬の時代を表現されているのでは、と思う。
(ナ) なるほど。この作品が制作されたのは、1930年。第2次世界大戦の足音が聞こえ、不穏な空気が流れて、そういう時代背景が構図や冬ということに影を落としているのではないか、と感じたんですね。
C 着ている服が中国の服ではないか。
(ナ) どこから?
C 襟や、見えにくいけれど前のボタンのところとか。この時代に莞蕾さんが(中国に)行っていたかどうかはわからないが。
(ナ) それはどうなんでしょうか。私もわからないです。
D 満州移民のあった頃なんですかね?
(ナ) すみません、私もその辺の知識がなくて。・・・千葉さん、わかりますか?(学芸員の方にヘルプをお願いした。)
(学芸) 1930年は昭和5年なので、満州事変の1年前です。満州国はまだ作られていないです。
C 日本人は頻繁に行っていた時代ですよね。
(学芸) そうですね。大恐慌があって大変なことも・・・。
(ナ) 1929年が世界恐慌の年なので、社会的にも厳しい状況があったということですが、そういう時代背景があったとして、この作品の中から何か感じることがあれば、お願いします。(年代の情報を与えたことから作品を離れて、時代背景のことに話が流れていきつつあったので、これは、マズイ!と感じ、話題を作品に戻すことにした。)中国の服のような形をしているので、大陸に関係があったのでは、というご意見でしたが、その他にもこの作品の隅々までよくご覧になって、気づいたこと、発見したことがあれば、どうぞ。
E この人はハッピーなのか、ハッピーじゃないのか、ということを考えると、私にはこの人の表情がよくわからない。窓の外を見ると、この人がいる空間よりもいない空間の方が明るいので、ということはこの人はハッピーじゃないのではないかという印象を受けました。
F 私は真逆で、背中に光が当たっていて、暖かいほうに背を向けて、飲み物の器の中にも何も入っていないので、お茶も飲み終わり、外は寒いんだけれど、カップが乗っているのはテーブルじゃなく、椅子だと思うんだけれど、前のストーブが温めてくれて、午後の光が背中に注いで、お茶も飲み終わっているという、私はこの人はとてもリラックスしているんじゃないかと受け止めました。
C これが椅子だとしたらテーブルがないのか?
A テーブルを置くスペースがここにない、ということでは?
C と、いうことは、狭いスペースで話し込んでいる。
(ナ) 話し込んでいる、というのはどこから?
C 目がこちらを見ているじゃないですか。見ているということは、こちらに別の人物がいるということではないか、手が大きいのはこの人が肉体労働をしている人で、労働問題について話をしているのでは。
G 表情がないので、そんなに厳しい話をしているようには私には思えない。私は、一人なんじゃないかと思う。ストーブに人も椅子も近すぎて、熱そう、燃えそうだな、と思うと、外が明るいので、屋根に雪が積もっているようには見えるけれどその周りが明るい色も使われているので、すごく厳しい冬というよりは春がくるのかな、と、ほのかに明るい期待をもたされて癒されるというか、静かで心が落ち着く気持ちになります。
(ナ) 人物のまわりに置かれているものや状況からこの人物の心情の読み取りができるではないか、というご意見でした。室内の暗さに比べて外の明るさや色などから、春へむかってぬるんできたように感じ、この人物の心情もリラックスしているような、ほっこりとまどろんでいるような(ここまで言って、しまった、「まどろむ」は失言だったと思いました。)
G まどろんでいるということではないです。
(ナ) はい。「まどろむ」は眠い感じなので、違いますね。すみません!
H 非常に質素な部屋だけど、いすなど頑丈で、食器などもがっちり作ってある。手ががっちりしているので、全体としてどっしりとした、量感をうけ、上の明るい色と下の暗い色とで色の軽重がつけてある。
E イスに深く座っている態勢で、落ち着いている感じ。リラックスしている。
G 人物の構図が斜めといっても、頭を頂点に三角形の構図で、安定感を感じるし、量感を感じる。よく考えて描かれているけれど、色面でシンプルに表現している。何か、やり遂げて、コーヒーブレイク、というか、一人で思いふけっているのでは。
(ナ) ピラミッド型の構図と、色面で上は明るく、軽く、下は暗く量感を感じさせるということから落ち着いた雰囲気を醸しているという意見でした。いろんな意見が出ましたね。
C労働者階級といっても、顔はそう見えない。相談役、のような雰囲気。深刻な話も解決してひと仕事終えてホッとしているのかな。
(ナ) ひと仕事終えてホッとしているというのはどこから?
C外の明るさや春が近づいている、ということから。ストーブもガンガン焚いていないのかも。
(ナ) 緊張感がある、という話から始まりましたが、いろんなところを見ていくと、落ち着いた静かな気持ちで、冬から春に近づいて少しずつ明るくなって、構図や色からリラックスしているように感じる、という意見に変わってきたように思います。
私自身はこの作品をシンプルな絵なんだけれどほっこりするように感じたり、逆に不安定な感じがするのはどうしてなんだろうと思いながらみてきましたが、皆さんのご意見を聞いて、それぞれにいろんな見方があるなとわかり、楽しかったです。ありがとうございました。
<ふりかえり>
〇鑑賞者から
・相反する意見が出た鑑賞会は初めてだったが、それぞれが自由に話せる雰囲気があった。
・作品をみるとき、時代背景を知ったうえで見るほうがいいのか、そうではなく、先入観を持たずに見るほうがいいのか?
→どちらもあり得るが、知識や情報が作品とは関係なく独り歩きするようではよくない。今回、そうなりそうな場面があったので、作品に戻すことを心がけた。
・時代背景から作品に話を戻したのは良かった。
・莞蕾のこの時代の絵はあまり描きこまれておらず、表情が曖昧だが、見るものに任せているような作品が多い。
・この作品が描かれたころの作者は25歳で3児の父。前年までは東京に住んでいて、まだ東京で勉強したくても地元に帰らなくてはならなかった頃。悩みもあったのだろう。それで、その重い気持ちが三角形の構図の下の暗い色に反映されているのでは。明るい窓の外に背を向けて暗い室内に向いているのも、内省しているように感じる。
・不自然にモチーフが狭い空間に詰め込まれて描かれているのも、作者の心情を表しているのかもしれない。地元で悶々としている心情が、外の世界に背を向けて狭い空間に身を置いている様子に込められているのかもしれない。
〇ナビゲーターとして
自分が「落ち着いた雰囲気」「思いにふけっている」と感じていた作品に対して、「緊張感」「戦争」「労働問題」のように、相反する意見が出たことで最初は戸惑いがありました。けれど、そういう時こそ「どこからそう思いましたか?」と丁寧に根拠を尋ねてパラフレーズすることで、それぞれの鑑賞者の感じていることを拾い上げることができたのではないかと思います。この作品も曖昧な表現や一見違和感を覚える作品だからこそ、様々な感じ方ができる多義性のある作品なのだとわかりました。どの意見もまずは受け止め、そうするうちに鑑賞者同士の化学反応で鑑賞者Cさんのように見方が変わっていったのは興味深かったです。
途中、鑑賞者の思いとは違うパラフレーズをしてしまい、「まどろんでいる」といった瞬間、慌てて訂正する場面がありました。しっかり聞き取ることの大切さが身に沁みました。
また、情報を考慮しながらも、作品そのものの中に根拠を見つけ、解釈していくことの大切さを実感することができました。鑑賞者の質問に答えられない場面は学芸員の方に助けていただきました。そこで得た情報をどう生かしていくかも、ナビゲーターの力量にかかっています。また、せっかく作品に関する加納館長さんのエピソードを伝え忘れていたことは本当に残念!あれを伝えることで、「ずっとそばに置いていたということは思い入れの強い、大切な作品なのではないか」という、「そこからどう思う?」というさらに深い解釈へのヒントになったかもしれません。
鑑賞後の反省会の中で、さらに解釈が深まる瞬間があり、対話することでさらに作品の見方が変わる、という体験を重ねることができました。そのような体験を鑑賞会の中でも展開することができたら、もっと深い解釈ができたのでは、とナビの力不足を感じます。これは次への目標とします!
参加してくださった方々、反省会にお付き合いくださった方々、本当にありがとうございました。
【みるみるの会からのお知らせ】
浜田市世界こども美術館「橋本弘安展」にて鑑賞会を行います。
対話型鑑賞のつどい「 “みるみる”とみて話そう 」
6月29日(土) 14:00~15:00 【5階 展示室】
展覧会の作品について、語り合いながら鑑賞します。
〇当日自由にどなたでもご参加いただけます。
◆展覧会の観覧料が必要です
対話することで解釈が深まったり、作品の見方が変わったりするかも!こども美術館で、みるみるメンバーと一緒に体験してみませんか。
タイトル 「室内」 1930年 油彩
鑑賞者:一般 6名 美術館関係者 1名 会員1名
ナビゲーター:房野伸枝
私がこの特別展に足を運んだのは今回が初めてでした。前回の鑑賞会で選ばれた2点の作品以外から今回の作品を選ぼうと、展示室をじっくりとみていきました。何しろ、鑑賞が深まるには作品選びが最も重要ですから。「何が描かれているのか?」「それには、どういう意味があるのだろう?」「これらのモチーフからどんな解釈が引き出せそうかな?」などなど、一人で自問自答しながら、何となく心に引っかかりがある作品を数点選び、その中から「室内」と題された人物画を選びました。人物画は誰にとっても親近感があり、話題にしやすいということが理由のひとつ。そして、この作品は窓に背を向けた男性が、逆光の中、ストーブのそばで足を組んで座っているポーズや、斜めに傾いて見えるカップ、曖昧な表情、など、一見くつろいでいるように見えるけれど、よく見ると微妙に違和感をもたせる作品であることが、選んだ決め手になりました。
鑑賞会の直前に、加納莞蕾氏の四女であり、加納美術館名誉館長の加納佳代子さんから、「この絵はずっと手放さずに家にあったものです。他の作品はすぐに手放したのにねぇ」とお聞きしました。「小さい頃は立てかけてあったこの絵の周りでかくれんぼしたものです。」というお話は前回の鑑賞会の「かくれんぼと魚」という作品を彷彿とさせるほほえましいエピソードでした。この鑑賞会のどこかで紹介できたらいいなと思いつつ、鑑賞会を始めました。以下は鑑賞会の様子です。
<鑑賞会の内容>
A~H 鑑賞者
(ナ)ナビゲーターの発言(途中のパラフレーズは省略している部分あり)
(学芸)学芸員の方からの情報提供
A 季節はいつかな、と思ってみると、ストーブの煙突が見えるところから、冬で、窓の外が白く見えるので雪景色。窓の内側が結露で曇っているけれど、中心部分だけ手でこすって外が見えるようになっている。
B 画面の半分に人物が斜めに配置されている。人物の前にテーブルを置くと半分の画面でよいのでは。
C 手が不自然に大きい。テーブルが小さくて斜めになっている。フォービズムの影響で不自然に描かれているのでは。壁の線が曲がっていたりしていることからもそう思う。
(ナ) 見たままというよりはディフォルメしているということでしょうか。(ここではあえてフォービズム(野獣派)には触れなかった。画壇の流派について今後も意見や質問が出て、解説が必要であれば、その時に触れようと思ったので。この場に重要性を感じない場合はスルーすることも必要だと判断した。)
C 深刻な話をしているのか、聞いているのか、わからないが、緊張感がある。
(ナ) どこから?(根拠が曖昧な意見へは「どこからそう思ったのか」を丁寧に聞くことを心がけた。)
C 目つきから。くつろいでいるようではない。別れ話のような、政治的に難しい話か、深刻な話をしている のでは。
D 私は口から。
(ナ) 口のどこから?
D 力が入っているのかな‥?いえ、私が勝手に考えたんです。
(ナ) いえ、いいんですよ。感じられたことをおっしゃってください。(Dさん、思わず口をついて出た意見だったけれど、気後れされたようなので、ナビが支援)口元がきゅっと結ばれているところからでしょうか?
D はい、私にはそう見えました。
A 斜めの構図、背景が冬じゃないか、ということから、この人物を通して、莞蕾さんは何を表現したかったのかな、と考えると、他の作品をみてきたら、ここには戦争の絵もあって、この作品でも斜めの構図の人物に影が落としてあるようで、戦争の影が作品に影響して、冬の時代を表現されているのでは、と思う。
(ナ) なるほど。この作品が制作されたのは、1930年。第2次世界大戦の足音が聞こえ、不穏な空気が流れて、そういう時代背景が構図や冬ということに影を落としているのではないか、と感じたんですね。
C 着ている服が中国の服ではないか。
(ナ) どこから?
C 襟や、見えにくいけれど前のボタンのところとか。この時代に莞蕾さんが(中国に)行っていたかどうかはわからないが。
(ナ) それはどうなんでしょうか。私もわからないです。
D 満州移民のあった頃なんですかね?
(ナ) すみません、私もその辺の知識がなくて。・・・千葉さん、わかりますか?(学芸員の方にヘルプをお願いした。)
(学芸) 1930年は昭和5年なので、満州事変の1年前です。満州国はまだ作られていないです。
C 日本人は頻繁に行っていた時代ですよね。
(学芸) そうですね。大恐慌があって大変なことも・・・。
(ナ) 1929年が世界恐慌の年なので、社会的にも厳しい状況があったということですが、そういう時代背景があったとして、この作品の中から何か感じることがあれば、お願いします。(年代の情報を与えたことから作品を離れて、時代背景のことに話が流れていきつつあったので、これは、マズイ!と感じ、話題を作品に戻すことにした。)中国の服のような形をしているので、大陸に関係があったのでは、というご意見でしたが、その他にもこの作品の隅々までよくご覧になって、気づいたこと、発見したことがあれば、どうぞ。
E この人はハッピーなのか、ハッピーじゃないのか、ということを考えると、私にはこの人の表情がよくわからない。窓の外を見ると、この人がいる空間よりもいない空間の方が明るいので、ということはこの人はハッピーじゃないのではないかという印象を受けました。
F 私は真逆で、背中に光が当たっていて、暖かいほうに背を向けて、飲み物の器の中にも何も入っていないので、お茶も飲み終わり、外は寒いんだけれど、カップが乗っているのはテーブルじゃなく、椅子だと思うんだけれど、前のストーブが温めてくれて、午後の光が背中に注いで、お茶も飲み終わっているという、私はこの人はとてもリラックスしているんじゃないかと受け止めました。
C これが椅子だとしたらテーブルがないのか?
A テーブルを置くスペースがここにない、ということでは?
C と、いうことは、狭いスペースで話し込んでいる。
(ナ) 話し込んでいる、というのはどこから?
C 目がこちらを見ているじゃないですか。見ているということは、こちらに別の人物がいるということではないか、手が大きいのはこの人が肉体労働をしている人で、労働問題について話をしているのでは。
G 表情がないので、そんなに厳しい話をしているようには私には思えない。私は、一人なんじゃないかと思う。ストーブに人も椅子も近すぎて、熱そう、燃えそうだな、と思うと、外が明るいので、屋根に雪が積もっているようには見えるけれどその周りが明るい色も使われているので、すごく厳しい冬というよりは春がくるのかな、と、ほのかに明るい期待をもたされて癒されるというか、静かで心が落ち着く気持ちになります。
(ナ) 人物のまわりに置かれているものや状況からこの人物の心情の読み取りができるではないか、というご意見でした。室内の暗さに比べて外の明るさや色などから、春へむかってぬるんできたように感じ、この人物の心情もリラックスしているような、ほっこりとまどろんでいるような(ここまで言って、しまった、「まどろむ」は失言だったと思いました。)
G まどろんでいるということではないです。
(ナ) はい。「まどろむ」は眠い感じなので、違いますね。すみません!
H 非常に質素な部屋だけど、いすなど頑丈で、食器などもがっちり作ってある。手ががっちりしているので、全体としてどっしりとした、量感をうけ、上の明るい色と下の暗い色とで色の軽重がつけてある。
E イスに深く座っている態勢で、落ち着いている感じ。リラックスしている。
G 人物の構図が斜めといっても、頭を頂点に三角形の構図で、安定感を感じるし、量感を感じる。よく考えて描かれているけれど、色面でシンプルに表現している。何か、やり遂げて、コーヒーブレイク、というか、一人で思いふけっているのでは。
(ナ) ピラミッド型の構図と、色面で上は明るく、軽く、下は暗く量感を感じさせるということから落ち着いた雰囲気を醸しているという意見でした。いろんな意見が出ましたね。
C労働者階級といっても、顔はそう見えない。相談役、のような雰囲気。深刻な話も解決してひと仕事終えてホッとしているのかな。
(ナ) ひと仕事終えてホッとしているというのはどこから?
C外の明るさや春が近づいている、ということから。ストーブもガンガン焚いていないのかも。
(ナ) 緊張感がある、という話から始まりましたが、いろんなところを見ていくと、落ち着いた静かな気持ちで、冬から春に近づいて少しずつ明るくなって、構図や色からリラックスしているように感じる、という意見に変わってきたように思います。
私自身はこの作品をシンプルな絵なんだけれどほっこりするように感じたり、逆に不安定な感じがするのはどうしてなんだろうと思いながらみてきましたが、皆さんのご意見を聞いて、それぞれにいろんな見方があるなとわかり、楽しかったです。ありがとうございました。
<ふりかえり>
〇鑑賞者から
・相反する意見が出た鑑賞会は初めてだったが、それぞれが自由に話せる雰囲気があった。
・作品をみるとき、時代背景を知ったうえで見るほうがいいのか、そうではなく、先入観を持たずに見るほうがいいのか?
→どちらもあり得るが、知識や情報が作品とは関係なく独り歩きするようではよくない。今回、そうなりそうな場面があったので、作品に戻すことを心がけた。
・時代背景から作品に話を戻したのは良かった。
・莞蕾のこの時代の絵はあまり描きこまれておらず、表情が曖昧だが、見るものに任せているような作品が多い。
・この作品が描かれたころの作者は25歳で3児の父。前年までは東京に住んでいて、まだ東京で勉強したくても地元に帰らなくてはならなかった頃。悩みもあったのだろう。それで、その重い気持ちが三角形の構図の下の暗い色に反映されているのでは。明るい窓の外に背を向けて暗い室内に向いているのも、内省しているように感じる。
・不自然にモチーフが狭い空間に詰め込まれて描かれているのも、作者の心情を表しているのかもしれない。地元で悶々としている心情が、外の世界に背を向けて狭い空間に身を置いている様子に込められているのかもしれない。
〇ナビゲーターとして
自分が「落ち着いた雰囲気」「思いにふけっている」と感じていた作品に対して、「緊張感」「戦争」「労働問題」のように、相反する意見が出たことで最初は戸惑いがありました。けれど、そういう時こそ「どこからそう思いましたか?」と丁寧に根拠を尋ねてパラフレーズすることで、それぞれの鑑賞者の感じていることを拾い上げることができたのではないかと思います。この作品も曖昧な表現や一見違和感を覚える作品だからこそ、様々な感じ方ができる多義性のある作品なのだとわかりました。どの意見もまずは受け止め、そうするうちに鑑賞者同士の化学反応で鑑賞者Cさんのように見方が変わっていったのは興味深かったです。
途中、鑑賞者の思いとは違うパラフレーズをしてしまい、「まどろんでいる」といった瞬間、慌てて訂正する場面がありました。しっかり聞き取ることの大切さが身に沁みました。
また、情報を考慮しながらも、作品そのものの中に根拠を見つけ、解釈していくことの大切さを実感することができました。鑑賞者の質問に答えられない場面は学芸員の方に助けていただきました。そこで得た情報をどう生かしていくかも、ナビゲーターの力量にかかっています。また、せっかく作品に関する加納館長さんのエピソードを伝え忘れていたことは本当に残念!あれを伝えることで、「ずっとそばに置いていたということは思い入れの強い、大切な作品なのではないか」という、「そこからどう思う?」というさらに深い解釈へのヒントになったかもしれません。
鑑賞後の反省会の中で、さらに解釈が深まる瞬間があり、対話することでさらに作品の見方が変わる、という体験を重ねることができました。そのような体験を鑑賞会の中でも展開することができたら、もっと深い解釈ができたのでは、とナビの力不足を感じます。これは次への目標とします!
参加してくださった方々、反省会にお付き合いくださった方々、本当にありがとうございました。
【みるみるの会からのお知らせ】
浜田市世界こども美術館「橋本弘安展」にて鑑賞会を行います。
対話型鑑賞のつどい「 “みるみる”とみて話そう 」
6月29日(土) 14:00~15:00 【5階 展示室】
展覧会の作品について、語り合いながら鑑賞します。
〇当日自由にどなたでもご参加いただけます。
◆展覧会の観覧料が必要です
対話することで解釈が深まったり、作品の見方が変わったりするかも!こども美術館で、みるみるメンバーと一緒に体験してみませんか。