浜田市世界こども美術館 『橋本弘安展』 【2019年6月1日(土)~7月7日(日)】
対話型鑑賞会 2019年6月15日(土)
作品: 「夢のお話」 1979年 日本画 168cm×215cm
鑑賞者:一般 2名~4名 会員1名
ナビゲーター:春日美由紀 レポート文責:房野伸枝
今回はいつもとは違い、ナビゲーターとは別の立場でレポートをしようということになり、春日さんのナビの様子を房野がレポートいたします。
当日は大雨警報の影響か、鑑賞者が少数でした。岩絵の具作りをしていたお父さんと小さな男の子に声をかけ、一般の方はそのお二人と、会員の房野という少人数での鑑賞会がスタート。 途中で男の子一人と女性が加わり、いつもとはかなり違うメンバー構成でした。
作品は今回の展覧会のフライヤーに大きく印刷されていた「夢のお話」でした。まさに「こども美術館」にふさわしい、子どもやハト、地面の花、背景には緑の風景が描かれており、かわいらしさ、やさしさがあふれる作品です。けれど、どの子も裸で、白い建造物の中に座る子はリンゴを一つ持っていて、単なる人物画や風景画とは違う「象徴的なものを感じさせる作品」という印象を受けました。
まず、春日さんは、参加してくれた男の子に「あなたは何歳?」と、年齢を尋ね、アイスブレークから始めました。・・・と私は単にそう感じていたのですが、実はこれ、鑑賞者の男の子にどれくらいの<経験値>があり、<語彙>がどれくらいで、鑑賞の<展開>をどのようにするか、どのような<解釈>を引き出せるか、という目算を立てるためのリサーチという意味があったのでした。後の反省会でそのことがわかり、春日さんがあの短い対話の中でそれを判断してナビをしていたということに、「そうだったのか!」と私は感心しきり・・・。
男の子は保育園の年長さん。来年は小学校になるのを楽しみにしている活発なお子さんで、好奇心旺盛で前向きな様子がうかがえました。鑑賞会に誘った時も、お父さんよりお子さんの方が興味を示して参加してくれたようでした。少し躊躇されているお父さんでしたが、「参加は自由で、途中で終わってもいいんですよ。」との呼びかけにお二人で来てくださいました。
「何が見えるかな?」という質問に男の子は「ハトがいる!」と即答。ナビが「どこに?」と返すと「えーっとね、あそことあそこと…」と指さして「11匹いる!」と答えてくれました。それをナビは「11羽だね。トリさんはいちわ、にわ、と言うよね。」と、日本語の正しい言い方にパラフレーズしました。子どもを対象にする際には特に「言葉」の使い方を丁寧にすることで、語彙の増加を促す効果があります。感じているけれど、うまく表現できないことを、ナビが適した言葉に言い換えて返すことで、子どもは自分の発言を受け止めてもらえているという満足感とともに「自分が感じたコレ(どう表せばいいかわからないコト)にはそういう言葉や表現ができるのだ」と学び、語彙や表現を増やすことにつながります。だからこそ「11匹」を「11羽」と訂正するという小さなこともきちんと春日さんは押さえているのですね。
ナビは常に鑑賞者に寄り添って、鑑賞者の感じたことを受け止めつつ、解釈を深めていけるように導くことが肝心です。春日さんは目線を「小さな男の子」である鑑賞者の高さに合わせて、彼が理解しやすい平易な言葉を選び、彼の経験と作品が共鳴できるような共通項を示しながら対話を進めていました。このことが、鑑賞者に信頼感を与えて、話しやすい雰囲気を醸していたと思います。
春日さんは今回の鑑賞者の構成や様子から今回は「見たモノ探し」を念頭に進めたとのことでしたが、意外にもメインのモチーフでもある「5人の子どもたち」についての言及がなかなかありませんでした。もしかしたら「子どもたちが裸である」ということが発言を躊躇させたのかもしれません。けれど、対話を進めているうちに、なにを言ってもいいということを感じ安心したのか、「男の子が3人、女の子が2人いるけど、みんな裸なのはおかしい」と言ってくれました。素直で素敵な気づきです。しかし、春日さんには「ここでこの子にとって『変な絵』というとらえで終りたくない。」という思いがあったとのことで、この男の子の人生経験の中から同じ体験はないのか、と質問しました。「保育園で水遊びとかして、濡れたらどうする?」には「裸になって着替える」との答え。「おうちでも裸になること、ないかな?」と投げかけると、「お風呂に入る時!」「お風呂はお父さんやお母さんと一緒に入るよ」という答えが返ってきました。ここで、秀逸だなあ~と感じた春日さんの質問が「そういう時って、どうかな?裸でも平気?」というもの。もちろん答えは「うん!」です。すかさず、「お家でお風呂に入るときは裸でも安心していて平気だよね。じゃあ、この絵の中の子たちはどうなんだろ?」「ここでは裸でいても安心していられるってことなんじゃないかなあ」と、春日さんは6歳の男の子の気づきや言葉から、この作品の解釈に通じる言葉を引き出したのでした。
ここまで対話をしてきて男の子は満足できたのか、「もう終わる」といって鑑賞会から離れました。ナビはあらかじめ「自分のタイミングで参加する・しないを決めていいよ」と伝えていたので「ありがとうね」とお礼を言って、後から加わった別の男の子とも鑑賞を続けました。その子は「落ち着いている」「子どもたちの顔からそう思う」と言い、「この絵のようなところに自分も行ってみたい?」と聞くと「うん」ということでした。春日さんは男の子の横に座り、語り合いながら一緒に鑑賞を楽しんでいるようでした。子どもたちの言葉は拙くとも、この作品から平和で明るい要素を感じていることを表現していました。彼らの発達段階ではこれで十分だったのではないでしょうか。
裸の子どもたちが自然豊かなところでハトや花に囲まれている様子は「ユートピア」「楽園」「平和」を想起させ、みる者にやさしく幸せな気持ちを抱かせます。中心にはリンゴを持った子どもが玉座のようなところに座っていますが、だからといってその子は特別な存在とは感じられないと男の子は言っていました。それに対して春日さんは「女の子が『ねえ、代わって』と言っているように見えるね。」ともパラフレーズしていました。他の子どもたちともいつでも交代することができるような公平な世界のように感じられたのは、どの子も一糸まとわぬ平等な姿で描かれているからでしょうか。
アダムとエヴァは「知恵の木の実(=リンゴ)」を食べたために、楽園から追放されましたが、それは、大人が「知恵」を良からぬことにも利用してしまうからかもしれません。無垢な存在としての子どもは、リンゴを持っても追放されることはなく、リンゴを持ったからといってもその恩恵をひとり占めすることもなく…そんな世界を作者は「夢」「理想」として描きたかったのかもしれない、と私は感じたのでした。
大人同士の鑑賞会であれば、そのような解釈も生まれるかもしれませんが、今回は子どもなりの発想で作品のエッセンスに迫ることができた鑑賞会だったと思います。それは、なにより春日さんのナビゲーションの巧みさゆえです。授業とは違い、美術館での鑑賞会はどのような方が居合わせるかわかりません。春日さんのようにどんな鑑賞者とでも対応できるナビを私も心がけたいと思いました。本当に勉強になりました。
雨の中、鑑賞会に参加してくださった皆さま、一生懸命絵を見てお話してくれた男の子たち、本当にありがとうございました。次回、6月29日も同じ展覧会の作品で鑑賞会を行います。どんなお話になるか楽しみな作品がいっぱいです。どうぞ足をお運びください。
【みるみるの会からのお知らせ】
対話型鑑賞のつどい「 “みるみる”とみて話そう 」
今回のレポートと同じく「橋本弘安展」の作品について、語り合いながら鑑賞をします。
6月29日(土) 14:00~15:00 【5階 展示室】
〇当日自由にどなたでもご参加いただけます。
◆展覧会の観覧料が必要です
対話型鑑賞会 2019年6月15日(土)
作品: 「夢のお話」 1979年 日本画 168cm×215cm
鑑賞者:一般 2名~4名 会員1名
ナビゲーター:春日美由紀 レポート文責:房野伸枝
今回はいつもとは違い、ナビゲーターとは別の立場でレポートをしようということになり、春日さんのナビの様子を房野がレポートいたします。
当日は大雨警報の影響か、鑑賞者が少数でした。岩絵の具作りをしていたお父さんと小さな男の子に声をかけ、一般の方はそのお二人と、会員の房野という少人数での鑑賞会がスタート。 途中で男の子一人と女性が加わり、いつもとはかなり違うメンバー構成でした。
作品は今回の展覧会のフライヤーに大きく印刷されていた「夢のお話」でした。まさに「こども美術館」にふさわしい、子どもやハト、地面の花、背景には緑の風景が描かれており、かわいらしさ、やさしさがあふれる作品です。けれど、どの子も裸で、白い建造物の中に座る子はリンゴを一つ持っていて、単なる人物画や風景画とは違う「象徴的なものを感じさせる作品」という印象を受けました。
まず、春日さんは、参加してくれた男の子に「あなたは何歳?」と、年齢を尋ね、アイスブレークから始めました。・・・と私は単にそう感じていたのですが、実はこれ、鑑賞者の男の子にどれくらいの<経験値>があり、<語彙>がどれくらいで、鑑賞の<展開>をどのようにするか、どのような<解釈>を引き出せるか、という目算を立てるためのリサーチという意味があったのでした。後の反省会でそのことがわかり、春日さんがあの短い対話の中でそれを判断してナビをしていたということに、「そうだったのか!」と私は感心しきり・・・。
男の子は保育園の年長さん。来年は小学校になるのを楽しみにしている活発なお子さんで、好奇心旺盛で前向きな様子がうかがえました。鑑賞会に誘った時も、お父さんよりお子さんの方が興味を示して参加してくれたようでした。少し躊躇されているお父さんでしたが、「参加は自由で、途中で終わってもいいんですよ。」との呼びかけにお二人で来てくださいました。
「何が見えるかな?」という質問に男の子は「ハトがいる!」と即答。ナビが「どこに?」と返すと「えーっとね、あそことあそこと…」と指さして「11匹いる!」と答えてくれました。それをナビは「11羽だね。トリさんはいちわ、にわ、と言うよね。」と、日本語の正しい言い方にパラフレーズしました。子どもを対象にする際には特に「言葉」の使い方を丁寧にすることで、語彙の増加を促す効果があります。感じているけれど、うまく表現できないことを、ナビが適した言葉に言い換えて返すことで、子どもは自分の発言を受け止めてもらえているという満足感とともに「自分が感じたコレ(どう表せばいいかわからないコト)にはそういう言葉や表現ができるのだ」と学び、語彙や表現を増やすことにつながります。だからこそ「11匹」を「11羽」と訂正するという小さなこともきちんと春日さんは押さえているのですね。
ナビは常に鑑賞者に寄り添って、鑑賞者の感じたことを受け止めつつ、解釈を深めていけるように導くことが肝心です。春日さんは目線を「小さな男の子」である鑑賞者の高さに合わせて、彼が理解しやすい平易な言葉を選び、彼の経験と作品が共鳴できるような共通項を示しながら対話を進めていました。このことが、鑑賞者に信頼感を与えて、話しやすい雰囲気を醸していたと思います。
春日さんは今回の鑑賞者の構成や様子から今回は「見たモノ探し」を念頭に進めたとのことでしたが、意外にもメインのモチーフでもある「5人の子どもたち」についての言及がなかなかありませんでした。もしかしたら「子どもたちが裸である」ということが発言を躊躇させたのかもしれません。けれど、対話を進めているうちに、なにを言ってもいいということを感じ安心したのか、「男の子が3人、女の子が2人いるけど、みんな裸なのはおかしい」と言ってくれました。素直で素敵な気づきです。しかし、春日さんには「ここでこの子にとって『変な絵』というとらえで終りたくない。」という思いがあったとのことで、この男の子の人生経験の中から同じ体験はないのか、と質問しました。「保育園で水遊びとかして、濡れたらどうする?」には「裸になって着替える」との答え。「おうちでも裸になること、ないかな?」と投げかけると、「お風呂に入る時!」「お風呂はお父さんやお母さんと一緒に入るよ」という答えが返ってきました。ここで、秀逸だなあ~と感じた春日さんの質問が「そういう時って、どうかな?裸でも平気?」というもの。もちろん答えは「うん!」です。すかさず、「お家でお風呂に入るときは裸でも安心していて平気だよね。じゃあ、この絵の中の子たちはどうなんだろ?」「ここでは裸でいても安心していられるってことなんじゃないかなあ」と、春日さんは6歳の男の子の気づきや言葉から、この作品の解釈に通じる言葉を引き出したのでした。
ここまで対話をしてきて男の子は満足できたのか、「もう終わる」といって鑑賞会から離れました。ナビはあらかじめ「自分のタイミングで参加する・しないを決めていいよ」と伝えていたので「ありがとうね」とお礼を言って、後から加わった別の男の子とも鑑賞を続けました。その子は「落ち着いている」「子どもたちの顔からそう思う」と言い、「この絵のようなところに自分も行ってみたい?」と聞くと「うん」ということでした。春日さんは男の子の横に座り、語り合いながら一緒に鑑賞を楽しんでいるようでした。子どもたちの言葉は拙くとも、この作品から平和で明るい要素を感じていることを表現していました。彼らの発達段階ではこれで十分だったのではないでしょうか。
裸の子どもたちが自然豊かなところでハトや花に囲まれている様子は「ユートピア」「楽園」「平和」を想起させ、みる者にやさしく幸せな気持ちを抱かせます。中心にはリンゴを持った子どもが玉座のようなところに座っていますが、だからといってその子は特別な存在とは感じられないと男の子は言っていました。それに対して春日さんは「女の子が『ねえ、代わって』と言っているように見えるね。」ともパラフレーズしていました。他の子どもたちともいつでも交代することができるような公平な世界のように感じられたのは、どの子も一糸まとわぬ平等な姿で描かれているからでしょうか。
アダムとエヴァは「知恵の木の実(=リンゴ)」を食べたために、楽園から追放されましたが、それは、大人が「知恵」を良からぬことにも利用してしまうからかもしれません。無垢な存在としての子どもは、リンゴを持っても追放されることはなく、リンゴを持ったからといってもその恩恵をひとり占めすることもなく…そんな世界を作者は「夢」「理想」として描きたかったのかもしれない、と私は感じたのでした。
大人同士の鑑賞会であれば、そのような解釈も生まれるかもしれませんが、今回は子どもなりの発想で作品のエッセンスに迫ることができた鑑賞会だったと思います。それは、なにより春日さんのナビゲーションの巧みさゆえです。授業とは違い、美術館での鑑賞会はどのような方が居合わせるかわかりません。春日さんのようにどんな鑑賞者とでも対応できるナビを私も心がけたいと思いました。本当に勉強になりました。
雨の中、鑑賞会に参加してくださった皆さま、一生懸命絵を見てお話してくれた男の子たち、本当にありがとうございました。次回、6月29日も同じ展覧会の作品で鑑賞会を行います。どんなお話になるか楽しみな作品がいっぱいです。どうぞ足をお運びください。
【みるみるの会からのお知らせ】
対話型鑑賞のつどい「 “みるみる”とみて話そう 」
今回のレポートと同じく「橋本弘安展」の作品について、語り合いながら鑑賞をします。
6月29日(土) 14:00~15:00 【5階 展示室】
〇当日自由にどなたでもご参加いただけます。
◆展覧会の観覧料が必要です