ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

「日本の中のはまだの美術」展で対話型鑑賞のレポートが届きました

2014-06-05 20:26:40 | 対話型鑑賞
「日本の中のはまだの美術」展で対話型鑑賞のレポートが届きました!!


はまだの美術   2014.5.31   浜田市世界こども美術館14時  コレクション室
 観客  みるみるの会員6名 学芸員 他9名  計およそ16名
 ナビゲーター 春日美由紀

まず、ナビから開会のあいさつの後、対話による鑑賞のルールが以下3点示された。
①作品をじっくり見ること。
②感じたことや考えたことを述べる際には、挙手をして指名された時であること。
③人の話をしっかり聞くこと。
皆で語りながら鑑賞する際に守ってほしいルールが明快に伝えられた後、我々は、しばらく作品をじっくりと見入った。ナビから挙手を求められ、一瞬の間もあったが、次々に手が挙がり、浴衣を着た二人の女性の関係や、背景の楓と空高く見える花火を根拠に夏の終わりの季節を描いたのではないかという推論が展開された。二人の女性の視線は交わらず、また、背後で打ち挙げられている花火に関心があるようでもない。二人とも足にはペディキュアが施されているが、左の女性のものは色が濃く、右の女性の爪は肌の色に近い。左の女性の鼻緒は紅く、施された爪の色からも推測して今どきの若い女性ではないか。右の女性は姿勢よく落ち着いた雰囲気で、年上に見える。姉妹か、母と娘か。同級生同士で恋の話に興じた後か。そんな二人の様子について語られた後、左側の女性の後ろの人影に話題が移った。その背後の謎の人物は、うつむいていて男性か女性か定かでないが、「この三人の関係について、どう考えられますか。」とナビが投げかけた途端、挙手が相次いだ。浴衣の女性二人は母と娘で、背後の人物は娘のボーイフレンドで、照れくさくてうつむいているのでは。あるいは無理に連れてこられ、ふてくされているのでは。その後、三人の関係性を推察する話から一転、左端の人物は浴衣の女性たちとは全く無関係の存在で「構図としてバランスをとるために描かれた。」という意見が出た。ついに、前半の話題から季節は盆過ぎだという話も顧みて・・・もしかしたら靈なのではないか。そういえば足も無い!と連続して幽霊説が三者三様に述べられた。「足が無いので幽霊ではないか。」と私たちに見えない足を根拠に述べられたとき、ナビは「最初に足の無い幽霊を描いたのは応挙ですよね。」というコメントを添え、幽霊説を意見のひとつとして受容の姿勢を示した。そのうち、「実は足は左側に描かれている。」という発言によって、背景の色に溶け込んだ色ではあるが、しっかりと二本、描かれているのが見えた。足の存在に気付いたギャラリー一同ではあったが、それでも幽霊説は続き、心霊写真のように写りこんだ地縛霊のようにそこに在るのではないか!という意見も出て、左奥の謎の人物は幻の存在となっていた。私自身も、うつむく左奥の人物と手前の浴衣姿の二人の女性の雰囲気は、随分異なるように感じて見ていた。キャプションに「遠い花火」とあるので、この大きな画面のメインは空に描かれている花火である、という意見も出た。ナビが「遠い花火、という題名ですね。遠いというのは、距離でしょうか、時間でしょうか。」と投げかけた。私は、遠いのは時間か距離かというナビの問いをきっかけに、「時間だ。」と感じた。それまでは謎ばかりだったのが、ナビの問いかけによって、思考が整理され、一つの推論に至ったような心地よさを感じた。自分の推論は、幽霊などの幻ではないかという他の人たちの話も聞いているうちに、生まれた発想でもある。左奥でうつむく謎の人物について「実はあまり意味のない存在」「偶然映り込んだ靈」という解釈が述べられたとき、ナビは「描かれている人物ですので、何か描かれる理由があるような存在ですよね。」と念を押し、やんわりと軌道修正を試みた。「写真であれば写りこむこともあるかもしれませんが、わざわざ描かれている存在です。」と描かれていることの意味を読み取るように促した。何度かナビは「描かれている存在には、画家の何かしらの意図がある。そこを鑑賞者は読み取ろう。」という明快な意思を示したが、受容の姿勢は自然体だ。鑑賞者たちは改めて、幽霊でもなく、無意味な存在でもなく、いったいどんな意図があって描かれているのだろうと、自然に促され、考え始めていた。背後の男の子の背中に左側の浴衣の女の子はもたれかかっているようだ、という意見もあり、幽霊だった人物は再び生き返った。「浴衣の女性二人と、左奥でうつむく人は特に関連性はないが、実は周囲には彼ら以外にも多くの人物がいて、そのことを示唆するために描かれているのではないか。」という意見も出た。私はその意見を聞いて、考えたことを述べてみた。後から考えると、前半で「時間だ。」とひらめいた時に述べた自分の推論が、鮮やかな色彩で描かれているものほど過去にさかのぼるのではないか、という主旨で述べようとしていたというところで、点と点が線になった発言だったといえる。自分の意見に賛同者がいたかどうかは分からないが、およそ40分間、一つの作品を見ながら話を聞くうちに、ナビの交通整理によって思考が整理され、次第に自分の推論が明快になっていったことが心地よく感じられた。
ナビによる鑑賞ツアーが終了した後、今回の企画展示を担当した学芸員の神さんから、作品についての情報を伺った。なんとなく「タネ明かし」的なものがほしいというムードもあった。オープンエンドではあるものの、情報があったら、ちょっと得した気分になるかもしれないからだ。神さんからは、描いた画家・橋本弘安さんは家族をモデルに描かれることが多いということから、背後の謎の人物は、もしかしたら…というお話だった。「それ以外の種明かしはありません。」と神さんは笑った。モデルは家族かもしれないが、描かれている世界が家族を題材にしているとは限らない。作品の情報を知ったからといって作品を鑑賞したとは限らないという意味で、みるみるのスタンスを、神さんも理解したうえで発言されたのかな、と感じた。

レポーター 上坂 美礼(みるみる会員)
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