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泰国鐡路漂流記~3、国境。ノーンカーイ・ターナレーン、そしてラオス~

2008-09-27 | 旅行
タイ・ラオス国境の街ノーンカーイ郊外、ラオスへと続く鉄路

←泰国鐡路漂流記~2、夜汽車。そしてフワランポーン駅のブルートレイン~からの続き

ノーンカーイ駅はタイ国鉄東北本線の終着駅なのだが、線路は途切れることなく駅の先へと続いている。
僕は迷うことなく、線路に沿って歩き始めた。
「この線路の先に、ラオスとの国境がある筈だ!」根拠などない。ヤマ勘である。
実際、ガイドブックにもノーンカーイ駅から国境の友好橋周辺の地図は掲載されておらず、ただ「イミグレーションオフィスまではトゥクトゥクで行こう」としか書かれていない(何とアバウトな…洋書のガイドってこんなもんなのか、さすがバックパッカー御用達のロンリープラネット…)。


暫らく線路に沿って歩いていくとレールが2方向に分かれており、真っ直ぐ続く線路はレールが切り離され放棄されていて、新しく敷き直された線路が左方向へとカーブしている。
そのままレールのつながった左方向へと進んで行く。
雨は小降りになったが、猛烈に蒸し暑い。線路の周りは草むらで、今になって考えると蛇が出てきてもおかしくないような状況である。ちなみに、タイにはコブラをはじめ各種の毒蛇が生息している。


分岐した廃線の方は、水牛の放牧地になっているようだった。
レールが切り離され、もはや永久に列車の走ることのないであろうあの線路、かつてはどんな列車が、どこに向かって走っていたのだろう?

雨はやんだかと思うとまた降りだし、たまに薄日が差すと蒸し暑さと草いきれに眩暈を覚えそうになる。
「これは…相当きついウォーキングだな」
線路のバラストの上を歩いていると、気を付けないと時々巨大なカタツムリを踏み潰してしまい気色が悪い。
「ああ、何でいつの間にか熱帯踏破サバイバル訓練みたいなことやってるんだ?国境はどこだ~?」



やがて線路の行く手は、フェンスと施錠されたゲートに遮られた。
「あれ?ここで行き止まりなのか。」
線路はフェンスの先へとさらに続き、カーブして茂みの先で視界から消えているが、歩いてはこの先へは進めない。
「まさかここが国境か?う~む、ここまで歩いて来て行き止まりとは、無念なり!くそっ、こんなフェンス乗り越えてやろうか…」

腹立ちまぎれにフェンスを乗り越えなくて本当に良かった。
何故なら、ここは本当に友好橋脇の「タイ・ラオスの国境地帯」だったのである。
このまま国境を越えてしまうとそれは即、タイからの密出国となる。もし国境警備隊に発見されたら逮捕されても、場合によっては麻薬の運び屋か何かと思われて発砲されても文句は言えないシチュエーションだったのだ。
我ながら、何やってるんだよホントに…

しかしその時はそんなことは知る由もない。
今来た歩き難くて蒸し暑い線路沿いを引き返したくないので、何とか「抜け道」がないかと探すがそんなものは無く、線路から離れて周囲の田んぼの畦道に出るにしてもいつの間にか小高い築堤上を進んでいるので相当高い壁面を飛び降りないといけない。雨で濡れた地面へのジャンプは即、転んで負傷することを意味する。こんなところで骨折したりするリスクを背負い込むほど無謀ではないので、「引き返す勇気」を発揮して線路上を再び歩く。
結局、また30分程歩いてノーンカーイ駅近くの踏切から一般道に入った。
「雨の中、藪の中の線路を延々歩いた挙句、よく分からんフェンスを見ただけで無駄足か…線路の先の国境なんてロマンを想像せずに最初から標識のある道路を歩けばよかった。まあ仕方がない、早く友好橋へ行こう」

踏切から集落の方に歩くとすぐに大通りに出て、その先は友好橋へと続く国道だった。

国境と云っても、大型トラックや観光バスが停まって順番待ちしている光景は高速道路の料金所みたいな雰囲気だ。
徒歩で国境越えする旅行者なんて他にいないようで、皆クルマで直接イミグレーションオフィスに乗り付けるような構造になっているので、どこに肝心のイミグレがあるのかよく分からず少し迷う。
それらしきブースがあったので適当に行列に並ぶが、ラオスへの入国に関する知識が何もないので果たして何か必要書類等があるのか、手数料を取られるのか、どんな質問をされるのか不審者扱いされないか(これが一番心配)。

でも結局、ここメコンの畔でも天下無敵の菊の御紋を戴く日本国旅券の威光は健在だった。バンコク・スワンナプーム国際空港でステープルで留められた入出国カードの半券をちぎり取られ、タイ出国の三角形のスタンプをポンと捺されただけで難なく出国手続き完了。

「さあ、ラオスへ行くぞ!歩いて友好橋を、メコン川を渡るぞ!歩いての国境越えはベトナムのラオカイから中国の河口までホン河を渡った時以来だな~」
そう言えばあの時も、国境の街まで列車で来てそのまま何となく国境を越えちゃったんだっけ。何だか、毎度毎度同じようなことやらかしてるな我ながら。

イミグレを出たところで20バーツの出国税(本来ラオスの通貨で払うことになっているようだったが、ラオス通貨にはまだ両替していなかった)を支払い、さあ友好橋へ向かおうとすると呼び止められる。
「ビエンチャン(ラオスの首都)へ行くのか?」とか聞かれるので、違う、国境を越えるだけだと答えると、バスでしか行けん、バス代は10バーツだという。
大きなお世話でそのまま歩いて行こうとするも、「あれ?歩道がない?」
ひょっとしたら密入国やテロ防止等の防犯上の理由で徒歩越境が出来ないのかも知れん。仕方がない、ここは素直にバスに乗ったほうが良さそうだ。

結局、超満員の路線バスに立ち乗りしたままで風情無くメコンを越えることになってしまった。

隣の窓側に立っている人の頭越しに、初めて見るメコン川の水面。
「広いなぁ~…そして紅いなぁ~…ああ、今またインドシナの国境を越えてるんだなぁ…」
感慨に耽る間もなく、数分で友好橋を渡り終えて、ラオス側のイミグレに到着。

タイ側とよく似た建物のイミグレで入国手続き。入出国カードに必要事項を記載してパスポートを見せるだけで、地味なデザインのラオスの入国スタンプを捺されてあっけなく終了。

「さて…これからどうするかね?」

初めて入国したラオスだが、何もする予定がない。
とりあえず、バンコクへ戻る帰りの列車が出る午後6時過ぎまでにはノーンカーイに戻らないといけないが、まだ昼前だ、時間はたっぷりあるので、乗り合いバスかトゥクトゥクに乗って首都のビエンチャン市まで行ってみるか、ここ国境から20キロ程しか離れていない筈だと思い国境の建物を出ると、たちまち群がって来るわ来るわ「トゥキャピタル?」「ビエンチャン?」「ホテル?」客引きの集団には、毎度の事ながらウンザリ…
「いらんいらん!ビエンチャンにも行きたくないしホテルにも泊まらん!」
あんなのと交渉してビエンチャンまでの足を確保するのが心底面倒になってしまった。もうどうでもいや、その辺を散歩して来よう…

国境を出ると、舗装道路が通っている。
「雨ももう降ってないし、その気になれば歩いて行けるかな?」などと考えながら道路を進んでいくと、TrainStationという気になる看板が。
あれ?この辺に駅があるのか?さっき歩いたノーンカーイ駅から延びて国境のフェンスの先に消えた線路がここまでつながっているのかな?


舗装道路から看板の指し示す裏道へ入る。
山羊の群れとすれ違ったり、牛に通せんぼされたりしながら、ラオスの農村を歩く。
辺りには民家がぽつぽつあって、家族で食事していたり昼寝しているようすが道路からも見えて、のどか。
山羊が軒先に上がりこんで、吊るしてあったバナナをつまみ食いしていたりもする。
「ああ~何もないところなのに、なんだかみんな楽しそうだなぁ。僕も、こんなところで生まれ育ったら、わざわざ世界を放浪する気にもならなかったかもなあ!」


村はずれまで来ると、踏切が見えた。やはり、鉄道が通っている。駅もあるようだ。
しかし、何だか「シムシティでさっき作った鉄道」という感じなのだ。不自然に真新しくて、列車の走ってる気配がない。
軌道工事用のトロッコがぽつんと停まっているし、まだ開通していない新線なのか?


線路は国境の友好橋の方角から続いている。
これはやはり、さっきタイ側のノーンカーイで歩いた、フェンスの先に続いていた線路の続きなんだろうか?
だとすると、これはタイとラオスを結ぶ国際鉄道だ。


踏み切りの先には、鉄道模型のレイアウトのような小ぢんまりとした駅が見える。
とりあえずあの駅まで行ってみよう。






ピカピカの新築の駅舎が建っていた。
切符売り場の窓口や、イミグレーションオフィスと思われるコーナーが既に完成している。床も磨き上げたように光っていて、この辺りに来てからこんなに綺麗で清潔な建物は初めて見た。
駅舎の入り口に、タイ国旗とラオス国旗のあしらわれた碑文があり、タイ語とラオス語と英語でこの駅の素性が書かれていた。それによると、これはタイの援助により建設された鉄道の駅で、友好橋に鉄道を通してタイとラオスとを結ぶことになる…とのこと。
「やっぱりタイとラオスの国際路線だったんだ!こんな鉄道作ってたのか、全然知らなかったよ」
丁度正午過ぎの時間だったので、駅舎の中では工事作業者が昼休みでシエスタの最中だった。睡眠の邪魔にならないようにこっそり中に入り、プラットホームに出てみる。
人けのない、がらんとした構内に、もうすぐタイから国際列車がやって来ることになるのか。


プラットホームの先に、駅名表示があった。
「THANALENG…ターナレーン、と読むのかな?」


ターナレーン駅の裏は牛の遊び場になっていた。


そして駅構内は地元の子供の遊び場にもなっている。
どこからともなくやって来た子供たちは不審な外国人旅行者を警戒しているのか、なかなか近寄ってきてくれない。
しかし大人たちは人懐っこい。シエスタを終え、トロッコを動かして午後の仕事に取り掛かった作業員の一人が、タバコ片手にカタコト英語で声をかけてきた。
「アンタ外国人だね。どこから来たの」
「日本だよ」
「日本ね、知ってる国だよ。ここで何してるの?この駅はまだ列車は来ないよ」
「駅があったから見に来たんだ。僕、鉄道が好きなんだよ」
「ふ~ん」(意外にもスンナリ納得してくれた。ラオス人は酔狂な趣味人に理解がある?)
「ここは、いつから列車が来るの?」
「来月だよ」
「来月!もうすぐ開通じゃないか。僕は、今度は列車に乗ってこの駅に来たいよ!」
すると、彼はニヤッと目配せをしてこう言うのだった。
「うん、来月開通することになってるよ、About…ラオスだからね」
ははは…確かに、もっと気長に待った方がよさそうだ。

ターナレーン駅の待合室(となる予定の場所)に腰掛けて、話しながらくつろいでいると、がらんどうの駅舎の中を風が吹きぬけて気持ちがいい。僕もシエスタしたくなったが、遠くの方で雷鳴が聞こえる。夕立が来るのかもしれない。
列車の時間もあるし、そろそろタイに戻ろう。
「僕はそろそろ帰るよ」と言って立ち上がると、「バイクを呼んでやろうか?」と持ちかけられたので
「No ThankYou!僕は歩くのが好きなんだ。今までだって、世界中を歩いてきたんだ。タイ、台湾、ベトナム、ルーマニア、マケドニア、セルビア…そして、ラオスもね。じゃあサヨナラ」
友好橋と思われる方角へ続いている、まだ列車の来ぬ線路に沿って、僕は歩き始めた。

線路沿いの畦道を歩いて行くと、小さな集落の中を抜けた。
未舗装の小路、用水路。トタン屋根の家。
どこか懐かしい、ラオスの風景。


僕も小さい頃、こんな風景の中で遊んだような記憶がある。
アジア人の心の原風景は、日本もラオスも驚くほど似通っている、と思う。

結局ラオスにはほんの一刻の滞在となり首都ビエンチャンにも行けなかったが、僕はこの見知らぬ懐かしい国を大いに楽しんだ。そして、ラオスに俄然興味が湧いてきた。
「僕はこの国を全然知らなかったけど、何だか好きになったよ。日本に帰国したら、もっとこの国について調べよう。そして、また来よう!その時は、勿論列車に乗って、ね」

→泰国鐡路漂流記~4、再び国境。驟雨。インドシナの闇の底を、夜汽車は走る~に続く