酒と葉巻とラーメンの日々 つれづれ日記 

無欲恬淡 酒と葉巻とラーメンを好む出張男の別荘・投資生活の実態をさらけ出します

魔の山

2006-03-21 12:20:06 | 日記
僕が入院したのと同時期に隣の病床に入ってきた20代前半の若者がいる。
今風の背丈の長い、イケメンのオニイちゃんなのだが、感心するほど礼儀が正しい。
物腰も穏やかで、育ちのよさがうかがい知れる。

そんな子がいま熱心にとりかかっているのが、トーマス・マンの「魔の山」で、これには二度吃驚させられた。

「マンのしかも魔の山だなんてこんな時にしか読めませんから」

静かな口調でそう語る彼は、窓外にちと目をやりながら、少しはにかんだようにみえた。

ここは土地の人と、どこからか移り住んできた人たちの暮らす再開発中の町のど真中に建つ私立病院の8階のレストラン。建設中の新鉄道の駅と超高層マンションとを間近に眺めることができる。すぐそこにはユニシスタワー、晴海トリトン、遠くに六本木ヒルズの森タワーがかすんで見える場所。

僕はマンの書いたものはトニオ・クレーゲルしか読んでいない。ベニスに死すはヴィスコンティのフィルムでしか知らない。別に恥じるわけじゃあない。ただその若者に感心しているだけなのだ。

この好青年がどういった読み方をしているのかは知らず、また彼の読書遍歴も知るわけではないけれど、どんな気持ちであんな長編に挑んでいるのかはなんとなくわかる気はする。大げさに固められた右足のギプスをたまにやつあたり気味にひっぱたいているその姿は、苦悩に踊らされる、いや、懊悩するを嫌でも楽しまねばならぬ、少し呪われかけた人種だということ、つまりはそんなところなのだろう。

読み終わったならその文庫本を、僕は貰う約束を彼としたものである。