ムネコマサン

写真付日記で~す。物忘れないうちにメモして、日々の出来事、アチコチ出かけコンデジ・一眼画像をアップしてます。

大阪の庭園 晩秋の慶沢園

2017-12-23 08:43:00 | 旅行記

昨日に引き続き、慶沢園の 散歩模様を
大阪市の教育委員会事務局が作成されたHPには次のように紹介されてます。
原文に一部追加削除しています。
URL:www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000008995.htmlから引用させて頂きました。/感謝

 純日本風の庭園として知られる慶沢園は、住友家がこの地に移った際、約10年をかけて
本邸(茶臼山邸)とともに大名庭園をモデルとした林泉式回遊庭園である。
 当時の住友家15代吉左衛門(号は春翠)は明治28年(1895)からこの地の用地買収を始め、
明治41年に着工した。
 大正4年(1914)にはまず本邸を鰻谷から神戸住吉へ移転したが、その間、春翠は庭園を「恵沢園」
と命名し、大正7年の完工時に「慶沢園」と改めている。

 設計・施工を担当したのは当時の高名な庭師であった「植治」こと小川治兵衛である。
 
慶沢園の特徴
中島を浮かべた大池を中心に、三方に築山を築き変化に富んだ地形をつくり出している。
周辺には園路や飛石、橋をめぐらせ、茶室や四阿(あずまや)が配されている。


大阪市へ寄贈
 大正14年(1925)、住友家は神戸住吉に本邸を移し、翌、昭和元年に敷地12,940坪を大阪市へ
昭和9年(1934)には一般公開され、同11年に敷地西半分の住友邸宅跡に市立美術館が完成したが、
敷地東半分の慶沢園は戦後の昭和33~35年ごろに本格的な整備が実施され、今日に至っている。

東側の林の中で 山茶花が


四阿(東屋)と徽軫灯籠(ことじとうろう) 難しい文字ですね なかなか出てこない(-_-;) 




紅葉と東屋

ほんの少し モミジが楽しめました。

獅子岩だったかな


水鏡


東屋で 池を眺めていると 翡翠がやってきて ダイビングしてくれました。(*_*)

ダイブの瞬間は撮れなかった(-_-;)

慶沢園を後にして 天王寺動物園の上を通り、新世界へ通天閣の下を潜り抜けると
こんな将棋盤が じっくり見て 詰将棋などいかがでしょうか

私には苦手ですので・・・・

最後までご覧いただき有難うございます。