運動不足解消に 木枯らしの吹く中 いつもの公園へ メインの出入り口
工事中の柵 ついに舗装の工事が始まったようだ 1990年の花の万博から
22年がたっている あちこちにくぼみもあり見栄えもよくない
どのように変わるのか楽しみです
さらに奥へと足を延ばすと 大池にはゆりかもめ、数は少し少ないですが
カルガモ 常連のはと わんさかいました
かもめが舞い上がると怖いですね 頭の上1~2m位を飛んでいきます
コントロールの悪いのがおれば ぶつかりそう 少し恐怖でした
大池の向こうに世界平和を祈る 赤い屋根の鐘楼がくっきりと
周りの木立が すっきりしており よく見えた
その後、花の谷、さらに奥へ行くとポプラ並木が 黄色くなっていました
花の谷の紅葉(モミジ)
ポプラの黄葉
ポプラ並木
空が一段と青かった 寒いはずです 向かい風のときなど
ちょっと大変 寒い 寒い・・・・・・・(>。<)
大川の天満橋と銀橋の間にある歩道専用橋 大阪橋 初めて渡った。
一見吊り橋風で 揺れるか と思いきや 全く関係なかったね
北区と中央区を結ぶ 歩道 自転車も利用していますね
京阪電車側は自転車にはちょっときつい感じ 急こう配の
坂道押して上り下りですよ・・・・
大阪橋は誤り 正しくは 大坂橋でした すみません
テレビ大阪 日経新聞社が見える
京阪特急も見えます
京阪電車頑張ってますね 昔はこの右手の天満橋駅が京都 三条駅への出発点
大阪~京都38分だったかな32分だったかな 看板が目立っていましたね
このころの特急は早いのはいいのですが 左右によく揺れましたね
また、今の京橋シャトーあたりの京阪京橋駅の混雑は大変なもの あれでよく事故が起きなかったものですね 今からは想像もできないところです
今では淀屋橋~出待柳間何分かかるのだろう
25日は本当に素晴らしい青空 天気が良いから 次から次へと
紅葉をもとめて大阪市内をウロウロ ついに天満橋までやってきた
江戸時代 この場所には八軒家と呼ばれる宿場町(八軒の宿屋が
あったので八軒家の名称になったとか・・・・わかりやすい)
熊野へ、 京へ、瀬戸内への海の玄関だったそうで 最近では
川の駅とも言われています
舟の出入りが多く 夜間も使用されたのか 常夜灯が必要に
なったのでしょうね
灯台の役目もしていたのでは、再現されていました
右手にはOBP(オオサカビジネスパーク)が見えています
左手は桜の紅葉で 青空 いいでしょ
常夜灯とOBPの間にあるので天満橋 谷街筋が天満橋で
途切れていましたが、いつの間にか(昭和45年(1970年)今から
42年も前のこと) このころ谷街筋は交通渋滞の激しいところ
また、この年には大阪 万国博覧会も開催されることもあって 、
昔の天満橋の上に 谷街筋用の天満橋が架かっています
眼鏡橋とも言われているところです
駅の中から見える 大川と紅葉 偶然 水上バイクが
ガラス越しに見る紅葉は また一段と色が濃く 素晴らしい眺めでした
大阪府が力を入れ 水の都大阪再生の核となる取り組みとして
水上交通の拠点となる船着き場が八軒家に完成し、
往時の華やかな水上ターミナルの役目は現代にも引き継がれている
と書かれていました。