昨年の朝ドラの「加賀美屋」 のおよそ60畳の広さを誇る大広間の写真です。
(実存する建築物は 東京都文京区関口二丁目:蕉雨園 ※旧田中光顕伯爵の邸宅、建物は非公開)
小沢邸新年会に150人参加 政権獲得視野に入った影響か
今年の元旦も、東京・深沢の小沢一郎民主党代表の私邸で、恒例の新年会が開催された。今年は解散総選挙による政権交代の可能性も出てきたこともあって例年以上に大盛況で、民主党議員や関係者、OBを含む担当記者ら約150人が集まった。
新年会の会場は小沢邸の2階の50畳ほどの部屋で行われ、おせち料理と小沢氏お気に入りのにごり酒など各種のお酒がふるまわれる。小沢氏のあいさつの後は無礼講となり、小沢氏の周りには入れ代わり立ち代わり、人が集まり、小沢氏と意見交換をし、会場は大にぎわいとなる。今年も午後1時から始まり、宴は4時すぎまで続いた。
小沢氏は竹下登内閣で官房副長官を務めていた昭和63年から毎年、この新年会を開催、私も小沢氏担当になった平成5年以来、毎年出席している。政治部記者になった2年から数年後までは、閣僚級や自民党の派閥幹部クラスのいわゆる大物政治家の多くは、こうした新年会を自宅で催していた。政治部記者の元旦の仕事は、親しい政治家の新年会をはしごすることで、重要な取材の場だった。
一方、政治家にとっても新年会にどれほどの国会議員、官僚、記者が集まるかが求心力のバロメーターだった。同時に、そこに姿を見せるかどうかで自分への忠誠心をはかることができた。 しかし、平成に入って年を重ねるごとに、そうした新年会を催す政治家は一気に減っていき、今やこれを開くのは小沢氏1人になってしまった。
毎年、新年会を開いている小沢氏だが、5年以降では1度だけ、1階の応接間でこぢんまりと非公式に新年会を開いたことがある。新進党が崩壊し、自由党を結成した直後の10年のことだ。
この時は集まった記者は10人程度、あいさつにきた国会議員もわずかだった。「新進党崩壊で小沢氏の政治生命も終わった」と思われたかもしれないが、その後、小沢氏は11年に自民党との連立政権を樹立し、数々の成果を上げた後、連立を解消、その後は民主党と合併し、現在に至るまで政界を動かす主人公の一人であり続けた。
小沢氏だけが新年会を開いている現状は、見方を変えればそれだけの求心力をもった政治家が小沢氏だけで、他は小粒になってしまったという永田町の現実を物語っているのかもしれない。しかし、政治をダイナミックに展開させるためには、盛大な新年会を開けるだけの政治家があと何人かは現れてほしい。
早いものでもう二月も後1週間ほどになったが、元旦には写真のような広間で忠誠を誓い「私を是非大臣にお願いします・・・・・」 のシーンが繰り広げられたことであろう。
自宅の2階に50畳ほどの広間があるとか、いろいろと弱者が喜びそうなことを発言しているが現実は大きくかけ離れた暮らしぶりである。韓国を訪問し、総理に先駆け大統領と会談したとか。会談で発言したこと(大風呂敷) が再び大連立問題の二の舞 になるだろうに 。
防衛省がまた大きな問題に、 大広間で計画をよく練りクーデターで防衛省及び政治家の改革をめざそう 。我が家は10畳二間+廊下で襖・障子を外し床に畳を敷くと33畳の大広間になるが、地球温暖化阻止 のため空調は自然のままです 。