
福井県越前町の町教委は7日、同町天王・宝泉寺にまたがる丘陵地の山頂(標高155メートル)で、5世紀中期とみられる大型前方後円墳(墳長55メートル)を発見した、と発表した。丹南地域で初めて「円筒埴輪(はにわ)」と古墳を覆う「葺石(ふきいし)」が同時に見つかるなど同地域を治めた首長級の人物で一時、越の国の盟主と同じレベルの権力を持った人物が埋葬された可能性があるとして注目される。
この古墳は帆立貝形の「番城谷山(ばんじょうだにやま)5号墳」で、県内での主要古墳の発見は、1990年の免鳥長山古墳(福井市)以来、20年ぶり。昨年5月からの同町文化財分布調査の一環で周辺の古墳群を調査していた際、5号墳から新たに5世紀中期の埴輪が出土するなどして年代や規模が判明した。
県内には4世紀末に築造され、越の国の盟主を埋葬したとされる北陸最大の前方後円墳である六呂瀬山1号墳(坂井市丸岡町、墳長140メートル)などがある。しかし古墳は年代を追って小型化しており、番城谷山5号墳は5世紀中期ごろの古墳の中では県内最大級。
調査に当たった越前町教委の堀大介学芸員は「古墳を覆う葺石は11万個と試算される。石を山に運ぶ労働力や築造の技術力の高さがうかがえ、埋葬されている人物の権力の強さを示す」と話している、と福井新聞のニュース。
○○のひとつ覚え「前方後円墳」、この単語はたぶん小学校の社会の授業で習ったと記憶にある。それが私には土地勘のある、隣の町それも天王・宝泉寺(てんのう・ほうせんじ)一帯で発見されたとか。今から50年以上も前、半世紀前のことだからどの先生に教えられたかはわからないし、ほとんどの先生があの世にいらっしゃるのではないだろうか。昨年は中学の担任だった佐々木先生が亡くなったようであるが、その先生は天王に住んでおられた。森下・森下・三田村・竹内さんは宝泉寺に住んでいる。自治会館・集落センター・公民館と呼称は違っても各集落にはあるものだが天王・宝泉寺には「陣屋の里会館」という名称だと思うのだがあるはずだ。
