逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



この所、秋から冬へと向かう準備やら、お遊び、、、、で忙しいのを理由にブログをサボっていた。忙しさの理由の一つだった、芥川の「庭」の案内板の除幕式の様子が市民タイムスに掲載されたので、記録の為、ブログにUPしておく。

 

追記:11/24にMGプレスにも記事が掲載されたので、記録の為にUPしておく。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




洗馬歴史同好会で洗馬宿を取り囲んで流れている宿場用水が洗馬宿を出てからどのように流れ、利用されているか、歩いて探検してみようという企画があり、参加した。
宿場の終わり、中山道と善光寺街道が分岐する、分されの農協と中央線の間を流れる山側宿場用水から出発。用水は手前、北東へと流れている。(地図の青線部分を歩く)


肘掛松の手前で中山道をくぐり、段丘を少し下る。その後、等高線に沿って、段丘の縁を北へと辿り、幾つかの田を潤していく。


やがて西に方向を転じた水路、善光寺街道とぶつかって、10数m善光寺街道を南に戻る。


もどった理由はこれ、向こう側、南から北に流れてきた川側の宿場用水とここで合流する。


その後、何枚かの田畑を潤し、


宿場外の家々の先を複雑に行き交い、


第二段丘の斜面へと続いていく。


第二段丘の斜面を流れ落ち、


仁科街道(県道293号)を横切った用水路は、



南西側の奈良井川に向かって流れていく。


途中で奈良井川右岸の花見から流れてきた小さな用水(地図の黄緑線)と合流/分岐(地図の赤線)する複雑な合流点。主たる流れは奈良井川方向に流れ、飯米場の水田を潤している。


水田に水が要らない時、余水は奈良井川に流れ落ちていたと思われる。


一方、合流/分岐点から流れ出たもう一本の水路(地図の赤い線)はもと来た経路をほぼ引き返す北方向に流れ、


再度仁科街道の横を流れる。


やがて、この赤線の水路は、奈良井川より取水したより大きな水路:金渕堰用水(地図の水色)に合流して終わる。


洗馬宿の用水路がどう流れ、どこに続いているかを歩いて探検してわかったこと。
①尾沢上流から取水された洗馬宿用水は中山道の両側に連なった住居に生活用水を供給することが第一の目的であったが、
②宿場外の住居や田畑にも用水を供給していたらしい。
③使い終わった?余剰?の用水は所々に作られた水田と、宿場へのコメを供給した飯米場の水田群の灌漑にも使われていた。
その為、宿場を流れる時は単純に南東から北西に中山道に沿って一直線に流れていたものが、宿場を出ると複雑に方向を変え、利用されていたことが解かった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1ヶ月前くらいに取材を受けた信毎に、ようやく芥川の「庭」の記事が載った。
身バレ、年齢バレになる部分を削除して、記録の為、ブログに掲載しておく。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




地方の小都市にもかかわらず、塩尻市の図書館では本の寺子屋等、色々と意欲的な講演会や展示会をやっていて、時々参加している。今日は特に我家の「庭」が話題になると言うので、熱心に参加した。


信越放送でおなじみの堀井正子さんの講演は今まで知らなかったことや、新しい発見もあり、面白い講演であった。
講演後、著書購入、サインを頂く。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




画家の小穴隆一が親友の芥川に、自分の育った家の庭のことを話したことをきっかけに、芥川が作った小説に「庭」がある。
0

現在の我家に、その庭の一部が残されている。近所の歴史愛好家十数名が上の絵の痕跡を見たいと言うので、ご案内した。


皆さん熱心に庭を見ていただき、庭に残る「閑園神霊」の碑が小穴隆一の絵にも描かれている等と言う発見もあった。


付録: お盆の大雨で庭の窪地、かって心の字池のあった辺りに水が貯まり、小さな池が出現した。元の大きさの数分の一ではあろうが、心の字の形をしているようにも見える。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




近所の歴史、文学好きの元教師の方からお願いされて、一回り上の高校の先輩方に我家の庭を公開した。


残念ながらもう紅葉はほぼ散ってしまっていたが、洗馬宿400年の歴史や、我家の庭が舞台となった芥川龍之介の小説などを肴に、お茶飲み話をして歓談していただくことができた。


東京からもわざわざ来ていただいた方も居て、寒いものの、雨が降らなくてよかった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




一年前の7/25に塩尻にUターンしてきた。この日は芥川龍之介の命日、河童忌である。

我家の庭を題材とした、芥川龍之介の短編、「庭」(青空文庫のリンクはここ)の地に、河童忌に引っ越してきたのも、何かの因縁だなと思っていた。この短編は庭の荒廃と一家消滅を描いた、隠滅な小説であるので、私としてはあまりこの作品に掛かづらおうとは思っていなかった。しかも、7年前、庭の杉の木を切っていて、数m転落、九死に一生を得た私なので、この庭は、大事にしなければいけないと思う一方、何か厄払いも必要ではないかと思っていたのである。

先月来、地元の歴史愛好家からの紹介で、SBCの「武田徹のつれづれ散歩道」関係者から取材を受け、3週間ほど前から、井上井月関連で「庭」が番組で紹介された。そうする内に、今度は地元紙の市民タイムスから3時間位の取材を受けた。

今日、河童忌を前に、下記の記事が塩尻版の一面に掲載された。


まあ、「庭」に取りつかれることもなく、適度の距離を置きながら、折角だから「芥庭」(Acty)とでも名付け、少しずつ、できる範囲で、庭の手入れもしていこうと思う今日この頃。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


   次ページ »