逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



夏の暑い夜、今まで我が家では網戸を付けた窓を開け放って寝ていた。蚊に襲撃されることは少なく、夜中に2回、30分ほど蚊取り線香をタイマーでONにすることで安眠できていた。冬の寒さで蚊が越冬できないこと、周りに水たまりが無く、ボウフラも湧きにくいので、蚊の総数が少ないことが原因かと思っていた。ところが最近、温暖化の影響か?蚊に襲われて目が覚めることが数回続いた。夏の暑い間、網戸の無い離れの窓を開け放っていることが原因かもと考え、離れの南側の網戸を一枚製作した。
まずはナンチャッテ丸鋸盤で30X40の杉材を寸法に切断して、


次に丸鋸をテーブルソーに固定して、寸法に合わせてガイド板を治具に固定、上側の桟を凸形に加工する。


続いて下側の桟には2本溝を入れ、


トリマーを最低速度にして、下桟に溝を手掘りし、窓レールを跨がせる溝を刻む。


網戸枠をコースレッド12本で固定し、枠に網戸をタッカーで張る。秘密基地の作業台がもう少し大きければ作業が楽なのだが、、、、


設計通りの寸法、合わせ加工なしで、離れの南側出窓にうまいこと網戸が嵌った。


雨戸も閉められるし、ガラス戸も閉めて鍵も掛けられる。ガラス戸を明け放しておいても、南側にはゴウヤが茂っているので、強い雨が降っても雨が吹き込んでくる心配はなさそう。



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午前中Zoom会議、その後雨の降る中、秘密基地で工作。午後3時ころ雨が上がっていてしかも気温が25℃しかないことに気付く。雨雲レーダーを覗くと1時間ほどは雨は無し。ならばとサンスターで走り出す。
空には一面低い雲、でもおかげで気温はサイクリング日和、風を切ればルンルンだ。


途中からストラバでGPXを取りながら走行。河岸段丘の急な坂のみ電池アシストを使って、それなりに脚に負荷がかかるように走る。桔梗が原まで登り、平出歴史公園へ。


ここまで来たら、きつい坂の上にある、この集落の源、平出の泉の池に登りましょう。


前夜の風で湖面に枯れ葉が浮いていて、透明感のある水の色にはならなかったが、またその内来てみよう。
走ったのはたった10数kmだったが、急坂を登る時以外は重量22kgの電チャリをアシストなしで漕いだので、少しは運動になったかなぁ?



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いよいよ夏日になって、我が家でもエアコンを1,2時間つけねばいけない事態になりつつある。そんな事態を何とか打開すべく、ウッドデッキ上にプールを試作してみた。


直径1.6mくらい、水深は30cmくらいだろうか?水の重量は数百kgもあるが、デッキの基礎に異常は無し。足を伸ばして全身を水に浸せば、体中の汗が引いていく。


それもそのはず、上流に人家の無い山中から引いてきている宿場用水の水は25℃。



少し涼しすぎるので、サマーベッドを放り込み、体が半分水に浸るようにすると、きわめて気持ちよく寝っ転がることができる。


そんな所に珍客到来。


今回は試作なので、小さく作ってみたが、漏水もないし、基礎もOKなので、孫が来るお盆までにはもう一回り大きいプールを作ってみたい。



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7/27㈯、歴史同好会8名で長野県立歴史館へ木曽義仲展を見学に行った。


今回は展示を見るだけでなく、富山大学の長村さんの講演があるというので、8名で出かけたのであった。


一応講演の1時間前の12時半に到着して、展示を見てから講演を聞くべぇと思っていたのだが、歴史館に入ったらすでに講演を待つ人の長蛇の列。


やばやば!会場のキャパが220名なので、まだ前半組ではあるものの、やはり講演の直前には入場できなかった人も多数出たようだった。(実は、パンフを読むと、「ながの電子申請サービスを使って事前登録をせよ」と書いてあった。一応事前登録はしてあったのだが、このシステム、あまりユーザーフレンドリーでなく、本当に8名の事前申請ができているのか不安だったのだ。)


席を確保して、駆け足で一通り展示を見て、その後、講演で義仲と頼朝の対比を聞き、もう一度展示を見て帰宅。一日がかりだったが、良い見学旅行ができた。

 



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午後から雷雨の恐れもある7/26㈮、ロードのCayoちゃんで近場を走ろうと出発。先日の本洗馬の歴史講義で聞いた870年に設置された槻井泉神社へ。


少しは涼しいだろうと、朝日の谷を遡る。途中工事中で引き返しはあったものの、ラベンダーが数kmに渡って植えられている広い道路をさわやかな香りを楽しみながら登る。


標高900mとはいえ、朝日プライムスキー場近くのアジサイもさすがにもう終わりを迎えている。


野俣沢キャンプ場到着、


10km登って火照った体を冷やすべく、水冷ジャージの製作。冷て~ぇ。


水冷ジャージを着こみ、長い緩やかな坂を下れば、気温は30℃越えだけれど、湿度が低いので、体は冷え冷え。


谷を出て、遠く松本市街、松本平を眺める。


今日のランチは水舎で500円でどうずらのヤマッチ蕎麦。シコシコの日本蕎麦に山形村特産の長いも千切り、生わさび、カツブシのかかった冷たい蕎麦。


昼過ぎてさすがに暑くなってきたので、ダイソーで買い物して帰宅。
走ったのはこんなコース40km。

 



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梅雨が明けて1週間、ところが晴れたと思ったら、雷雨。気温は高くなったものの、一向に晴れ上がってくれない。
本来は外干しで水分を飛ばすのが常道なのだが、うっかりしていると雨に濡れてしまう。
サンルームのドアを開け、通風を良くして乾燥中。


おいしい梅干しになってほしい。



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絶滅危惧種、毎年値上がりで我が家の食卓から遠ざかりつつある、例のヤツ、
卵からの完全養殖のニュースも飛び込んできているので、あと数年すると値段も安くなるかもしれないことに期待している。
年金生活者も二階から飛び降りるつもりで、今日もなんとかありつき、数分で完食。



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我が家の農業用の水は裏の宿場用水を使っているので、水道代を気にしなくてもよいのだが、難点は落差が2mしかないので、ホースから流れる水に勢いがなく、チョロチョロとしか流れない。なので、30分とか1時間散水しっぱなしにすることが多い。止めるのを忘れると洪水になってしまうので、散水タイマーを使っているのだが、この所、調子が悪く、水が止まってくれない。
早速分解して、時計部分の軸受けにごく微量のスピンドル油を注油。


さらにタイマー部分をよく観察すると、タイマーの底板が規定位置からずれていて、これが水が止まらない原因だった。正規位置に戻し、黒いボッチが外れないよう、ホットメルトで黒ボッチの上に抜け止めを接着。


これで、直った! うまく時間通り動作してくれている。



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ラズベリーが最盛期を迎え、実が鈴なりとなり、2,3日に一回はボール一杯に採れる。



そのまま冷凍しても良いのだが、どうせジャムやジュースにするだろうから、ミキサーで粉砕。



かなり濃い、血の色のようなジュースができた。


ペットボトルに詰め替えて、さて、冷蔵か冷凍か??まあ頑張って飲みましょうか。



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7/18㈭、今日も上高地バスターミナル駐輪場に一台も自転車は無し。パニアバックから靴とザックを取り出し、いざ上高地散歩へ。もうすぐハイシーズンなのだが、平日ということもあり、河童橋周辺も人をかき分けてといったような超混雑状態ではなかった。


過去のハイキングで涼し気だった岳沢湿原でランチをと考え河童橋を渡り梓川右岸を遡る。岳沢湿原到着。あれぇ?イメージしていたのと違う。水辺はあるが、ランチを広げる場所が無いよ。


過去の上高地ハイキングの記録をブログでチェックすると、私がイメージしていたのは田代池であることが判明。仕方ない、来た道を戻りますか。
右岸を下り、ウェストン碑まで来ました。田代池まではもう少し。



で、田代湿原到着。


多くの観光客は大正池方面から森の中を歩いてきて、田代湿原で視界が開け、目前に穂高が見えると、その光景に見とれ、木道を先に急ぐ。なので、盲腸の様に田代湿原から少し横に入った、ここ田代池に来る観光客は1/10位の穴場なのだ。予想通り、湖畔には今日も誰も居ない。



穂高は見えないのだが、霞沢岳に降った雨が湧き出してできた田代池、今日はここでランチとする。アルコールストーブでお湯を沸かし、ラーメンとおにぎりでランチ。


お昼時だけれど、幸い、ここ田代池まではほとんど観光客が入ってこない。


極上の上高地ランチ。一大観光地なのに、田代池にいるのは、ランチ中の私と、もう一匹のランチ中の鴨のみ。


涼しい風、水の音、至福のランチの後にさらにスタバのコーヒーで一服。
1時間弱も田代池でのんびりしただろうか?その内、陽気な米国人団体客が登場、ここを潮時と田代池を撤収したのであった。
湿原を抜け、


梓川左岸を辿って、バスターミナルへ。


天気予報と異なり、天候に恵まれた一日、自転車でバスターミナルを後にし、最後に大正池で焼岳を眺めて今日のサイクリング&ハイクはおしまい。


あぁ楽しかった! GPSをONにするのを忘れたりしていて不完全だが、今日のログ記録は下図。



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7/18㈭、雨もぱらつくかもとの前日の天気予報だったのでご近所ポタでもと思っていたのだが、朝起きると空の色が違う、真っ青だ。これはもう夏空、ならば今日は上高地へと方針変更する。車で30km、1時間の所に住んでいる特権だ。荷物を纏めて、ロードスターに自転車を括り付けて、やってきました焼岳登山口駐車場。


上高地に向かう前の前菜に安房峠へ200m登り、岐阜県境へ。あの向こうの乗鞍スカイラインが通れるようになるのは何時の事か?


振り返れば、安房峠からの定番、穂高連峰を間近に望む。


しばし景色を楽しんだ後、穂高を前に眺めながら、上高地に下りましょう。


林間に穂高をチラ見しながら、車の少ない旧道を下る快楽。


安房峠から400m下ってから、釜トンネルに突入。気温19℃、綺麗な路面、車はあまり通らない傾斜11%のトンネルを淡々と登る。


上高地が見えてきた。霞沢発電所取水口にて、


数日前の雨雲がウソのような抜けるような空の色。そして、透き通った大正池。


上高地バスターミナル到着。今日も駐輪場には一台も自転車は居ない。靴を履き替え、ザックを背負って、上高地ランチに出発!
極上の上高地ランチの記事はまた明日UPするとして、走ったのはこんなコース。



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少し早いかもしれないが、梅雨が明け気温が上昇する前に、白菜の種まき。


冷蔵庫保管の前の年の種だが、ポットに3粒も播けば、一つくらいは発芽、生育してくれるだろう。


写真は撮り忘れているが、その他にも、我が家にはなかった、ルピナスの白の種まき、葉ボタンの追加種まきも実施。

一方、Win11PC=HP EliteDesk 800 G4 SFを4ヶ月前に導入したので不要となったWin10PC= SatelliteB552、自分のファイルは残し、システムを初期化/ソフトをアンインストールした後、必要ソフトを再インストールし、さらにWin10をアップデートし、バックアップPCとして保管することにした。



Win7⇒Win10のアップデートや度重なる改造で、動作が鈍くなっていたSatelliteも初期化したら、それなりにキビキビ動くPCになったので、Win10はもうすぐUpdateやサポートがされなくなるが、持ち出しPCとして、モスボール保管しておくことにした。



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すでに1週間前に約半分を収穫してあったジャガイモ。夏の暑い日差しを避け、梅雨の曇り時7/15㈪に残りの半分の収穫を行った。
今年は少し木々の陰になる東側が植え付け場所であったことと、雑草取りを少しさぼった為に去年よりは収穫量は少なかった。左からきたあかり、メイクイーン、男爵。


でもこれでも多分2人では食べきれないと思う。


畑その1の1/3を使って作ったジャガイモ、秋の野菜作りに備えて、大量の堆肥と米ぬかを播き、


数回管理機を走らせ、堆肥をすきこんだ。


ついでに、葉物野菜をそだてていたものの、ほぼ収穫が終わった西側の畑にも堆肥と米ぬかを入れて、耕耘。


汗をたっぷりかいたが、気温が30℃以下の時にやっておけて良かった。



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7/14(日)、亀山郁夫さんの講演会の後は、ちょうど夏祭りをやっている阿礼神社へ。



まだ境内にお神輿/舞台は引き込まれていないので、太鼓や笛の音のする場所を求めてうろうろ。出会えました、中町のお神輿。


阿礼神社中町神輿 VID 20240714 165008


めでたいことのあった家まで狭い道を物ともせず、お祝いに駆けつける。


なんとか雨も上がり、舞台も見られたので、大満足。



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7/14㈰、塩尻図書館での本の寺子屋:亀山郁夫講演会「ドストエフスキーとロシア的悲劇の根源」を聞きに行った。


とっつきにくいドストエフスキーの話を聞きたいというより、ロシア/ウクライナ戦争に関する考察を聞きたかったからだ。亀山氏の戦争に関する発言の要旨を纏めると、
① グローバリズムの覇者であるアメリカは、敗者であるロシアを追い詰めすぎた。
② 原因は、2014年にある。ロシアは2月ソチ冬季五輪にてロシアの再生、疑似「民主主義」国家入りを描いたのに、オリンピックに合わせるように、ウクライナでは西側のサポートもあったマイダン革命が起こされ、大ロシア圏再生を目指していたプーチンの夢、誇りが踏みにじられた。⇒プーチンのルサンチマン、世界への仲間入りから新ユーラシア主義へ
③ それがロシアによる3月のクリミア併合、ドンバス戦争の激化、7月のマレーシア航空機撃墜へとつながり、ロシア、ウクライナ双方が引き返すことのできない戦争になだれ込んでしまう原因となった。
④ カラマーゾフの兄弟に出てくる、「神がなければ、すべては許される」というアナーキーな考えがロシアの中にあり、プーチンは「すべてが許される」戦争へと突き進んでいる。これはドストエフスキーの言う、「ベッソフシチナ(悪魔付き)」の状態である。

------------- ここからは、亀山氏の発言ではなく、私の推論 ----------------

この戦争はまだ続く。残念ながら双方ともまだ流す血の量が臨界点に達していない。
①まだましなケース:戦争は一進一退、朝鮮戦争のように、多数の戦死者を出しても終わらず、膠着、長い休戦状態になる。
②ひどいケース:ロシアが戦術核兵器を使用。それに対し、すでに半ば公言されているように、米国が参加しようがしまいがNATOが通常戦力でロシアを全力で攻撃。さらにその後は、グチャグチャになり誰も分からない五里霧中へ。



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