逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



1974年の年の暮れ、新宿模索舎で買った、たった700枚しかプレスされなかった、「チャーリー・フロイドのように」というレコードを持って、5/27㈪田中研二さんの松本でのコンサートに出かけた。



今、彼はシドニーに住んでいるので、数年に一度しか日本でのコンサートは聞くことができない。数年前の辰野のオーリアッドでのコンサートは信州への引っ越しのどさくさで聞くことができず。今回は初めて彼のコンサートを聴くことができた。レコードを買ってから実に50年振りだ。



松本は田中研二さんの第二の故郷、1970年の前後に大学の裏表8年をやった場所であり、私の高校時代と東京に出た大学時代と重なる頃の歌、コンサートでも歌われた「すすき川の流れるところ」は、♪さようなら人混みの本町通り、よっぱらいのよろめく裏通り♪、、と松本の街の描写から始まる。
田中研二@松本 V 20240527 210140 vHDR Auto

歌は5番目の歌詞で、♪それともチャーリー・フロイドのように、はみかみ屋の泥棒になろうか、流れる流れるあの川は今も僕のどこかに流れる。もうずい分遠く来てしまたのに、すすき川の流れるところから♪ と終わる。すすき川が作った扇状地上にある故郷を離れていた50年の間、ほろ苦い青春時代の思い出と共に、この歌がふいに頭の中を流れることが時々あったんだ。

今回、黒のジャケットにサインできるよう、白のサインペンを持参して、「チャーリー・フロイドから50年」とサインをいただいた。



そして、田中研二さんの他の音源も含む、ほぼ全トラック集のUSBを買わせていただいた。その解説が下記である。



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5/25㈭午後、友人が企画し、別の友人が製作したフランス様式のハープシコード/チェンバロ/クラヴサンを使ったコンサートが日比谷図書文化館であったので、信州から出かけた。
まずは、日比谷図書館に保管されている1600年代に出版された本を眺める、というか、400年も前の貴重な本を手に取ってページをめくる。日本の地理案内とか、ドン・キホーテとか、ザビエルの本もあり、ずっと見ていても飽きないが、本題はコンサート。


使用楽器は1600年代に製作されたフルート。もちろん木製で7つしか穴がない。


これも改造はされているが、1600年代のビオラダガンバ。4弦のビオラと違って、弦が7本もある。


そして、これが友人のY君が製作したフランス様式のクラヴサン。


これだけは、最近作られたものだが、1600年代のリヨンの工房で作られたものを再現したものだ。友人のY君はこれを鍵盤の部品から手作りしている。


響板に描かれた草花もさりげないが美しい。
さて、コンサートを無心になって聞いていて、良いビデオを撮れなかったのだが、アンコールでY君も参加して演奏された1小節をビデオでどうぞ。

ハープシコード演奏会


9/1に、次回のコンサートが計画されているらしいので、興味のある方は是非参加してみてください。



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とうとう70歳、古希になってしまった。

かって1/18の誕生日は、同級生が集まって、デモで祝ってくれていたが、今年の誕生日はコロナの中で静かに、深く沈潜していく。

70歳と言えば思い出すのはサイモン&ガーファンクルの Old Friends。 アルバム Book Ends に入っている名曲だ。

♪ Sat on their park bench like bookend.....
♪ .........
♪ Can you imagine us years from today
♪ Sharing a park bech quietly
♪ How terribly strange to be seventy


50年前、この曲を聞いた時、70歳になることなんて到底想像できない、そんな酷いことが我が身に起こるのかと思っていたのだが、、、、

あらためて、歌詞付きのUチューブを聞き直し、70歳になった意味を噛みしめててみた。



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「クリスマスの約束」、2年前、もうマンネリかもとか呟いたけれど、、、、2017年はエンディングのThe Flagが実に印象的だった。
去年が無かったので、二年振りとなる小田和正の「クリスマスの約束2019」を録画しておき見た。



収穫はちょっと変わった感じのこの娘、松崎ナオ。爆笑問題の太田光みたいな喋り方をするなと思っていたが、演奏を聴いていたら、聴きなれたこの曲、NHKのドキュメント72時間のエンディング曲「川べりの家」が流れてきた。
ぜんぜん知らなかったがこんな娘がオリジナルを歌っているんだ。

歳を取って、音楽シーンには益々疎くなっているが、知らない良い歌が、沢山転がっていますね。



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芸術の秋?にかこつけて、松本へお出かけ。普段は車なのだが、今日は松本マラソンもあり、交通規制が厳しいと聞いていたので、電車で。
脚も治りつつあり、リハビリを兼ねて松本の街をぶらつく。市街中心地の商業地区で50年前の私の記憶に残っている建物、風景は殆ど無く、寂しい限り。
高校3年の時、学校をサボって入り浸っていたジャン荘。誰かからの連絡があり、下に補導の警官が居たとの通報で、6階から階段で逃げ降りた、山本ビルの跡には、信毎メディアガーデンが建っている。伊勢町通りも拡幅され、かってのデパートはPARCOになっている。


近くのバーで、昼時だけ出しているラーメンを食べてから、午後のひと時、先ずは松本演劇祭。
  


経帷子の演ずる寺山修司を描いた「田園に死す」をメディアガーデンで見る。私的には実験劇の要素が強すぎて、若干消化不良だった。


続いて、夜は本日Openの「松本ロフト」のこけら落とし公演、中川五郎ライブへ。


中川五郎は去年の6月、家の売却/引越で忙しい中、辰野のオーリアッドで聴いて以来、1年振り。相変わらず、私より一歳年上とは思えない力強いパーフォーマンスだった。ジャニス・ジョップリンが49年前の10/4に亡くなったということで、”Me and Bobby McGee”を歌ってくれたのは意外だった。
特に印象に残ったのは安倍晋三のオリンピック招致演説に触発されて作られた"Sports for tomorrow" そして、いつもの「腰まで泥まみれ」かな。


開店記念ということで、豪華な2次会も準備されていたようだが、酒も飲めないし、電車の都合もあるので、CDを買って、おとなしく帰宅。



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地方紙の隅に小さくコンサートの載った告知記事を見て、もう1週間前の4/16、松本の信濃ギャラリーで豊田勇造のライブを聴いた。コンサート後は、頭の中で、彼の詩の幾つかを何回も反芻していたこの数日、なかなか記事をUPできなかったが、ようやく記事を書く気になった。

豊田勇造を初めて聞いたのは、多分50年ほど前の深夜放送、ライブも野音あたりで聴いたと思う。
その後、サラリーマンに成りたての45年前、この豊田勇造の自主製作レコード「さあ、もういっぺん」を新宿の模索舎で買い、カセットにコピーして繰り返し聞いていた。


60年代後半の高揚/祝祭の時代が終わり、それでもまだ何か面白い事が起こるのではないかとの期待を持ちながら、74年にサラリーマン生活を始めた私にとって、行方不知の♬残り火には水がうたれ 何もかもが終わったのに まだ物欲しそうな顔で 何かを待ってる俺 ♪ はまさに、その通りの歌であった。

今日は45年前に買ったLPレコードを持って、松本の会場、信濃ギャラリーに向かった。



会場の受付をしている方に、45年振りで聞くので、レコードを持ってきたと話すと、それは良いと言う事で、ステージにレコードを飾ってくれた。


豊田勇造さんも私がレコードを持ってきてくれたのに少し感激して?握手をしてくれたり、演奏に熱が入ったり?してくれたようだ。
もう今年で70歳になる豊田さんのライブなので、懐かしさで(つまり、それほど期待せずに)聞くつもりであったのだが、声も良く出ていて、感激するパーフォーマンスであった。特に私が感動したのは、チラッとしか聞いたことのなかった、数年前の鶴見俊輔さんを追悼する曲「道しるべ」。集会などで鶴見さんを遠くから見かけることはあっても、話すことなどなかった私だが、涙をこらえるのに苦労してしまった。

そして、もう一つの感動が、アルバムのタイトルとなった、「さあ、もういっぺん」の歌詞が何度も印象的にでてくる「大文字」の曲。なんと中学2年生のブルースハープ奏者(The Kohling Stones)の伴奏で演奏され、しかもその控えめなブルースハープが「大文字」にぴったり合っていて、若い世代の力を感じる演奏であった。


ライブの一部、二部は大変満足のいくものだったのだが、残念ながら、車は昼に連れ合いが乗って帰ってしまい、私は電車で帰らねばならない。
♪「終電車に乗って帰れよ 待つ奴も無い部屋へ  それは確かにブルーズ だがまだ何かがあるようだ 」♪ という歌詞もある行方不知の曲は第三部=打ち上げ懇親会にとっておかれたようで、聞くことができなかった。中締め時にさあもういっぺんのアルバムにサインをしてもらい、



さらに、新たに買い求めた拾得でのライブCDにも50年振りのXXさんへのサインをもらい、



中津川行の最終電車で帰ってきたのであった。
「振り返るには早すぎる」かもしれないが、つい50年前のことを思い出したライブだった。





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今年は小田和正の年末恒例番組、「クリスマスの約束」が無く、ちょっと寂しかった。
70歳を超え、毎年レベルの高い番組を作るのも大変だからねと思っていたら、3月末に別特番「風のようにうたが流れていた」をやると言うので録画して観た。

出だしは一昨年末のエンドロール曲「フラッグ」の雰囲気を引きずった「この道を」で始まったので、期待したのだが、小田和正の曲オンパレードではなく、若いアーティスト優先/他人の曲中心のコンサートであった。


会場は母校の聖光学園。山手の山の上にある高校だ。良く本牧から自転車でアメリカ坂を登って付近を走ったことや、50年前、浪人していた時、下宿で一緒だった聖光出身の彼は広島でまだ医者をしているのだろうか?とか、色んなことを思い出させる番組だった。



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もう10何年も続いている小田和正の「クリスマスの約束」、最初の頃の新鮮さが薄れ、すこしマンネリになったなと思いつつ、録画したビデオを眺めていた。
エンドロールに重なる最後の曲、珍しく小田和正の声が乱れ、おや?どうしたのかな?と思った曲はthe Flagだった。

==引用== 小田和正 The Flag ==

  JASRACかどうかは分からないが、どこからかクレームがついて、
 
ブログ運営会社が公表停止したようなので、歌詞引用を削除。

 
== 引用終り ==

この曲は今年亡くなった、永岡宏紹氏にささげられて演奏されたとのこと。その間の状況はこのリンクに詳しい。

>やがていつの日か XXXXXXXを、僕らが XXXXX 変えてゆくんだったよね
 (ここまで伏字にすれば、引用とは言い難いでしょう! でもこれは文化的粛清ではないか?)

団塊世代ど真ん中、小田和正は「この国を少しは変えられた」のかも知れない。翻って、私はどうだろうか??「旗はまだ風の中で揺れているのだろうか?」

 



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市立図書館で半年前に予約したブルース・スプリングスティーンの自伝、Born to Run 上下2冊がようやく回ってきたので読むことが出来た。


この2週間、Bruceの1975-85の3CD組ライブとか、Uチューブを見ながら読むという、スプリングスティーン漬けだった。年齢が近いこと、80年代にLAに住んでいたころ、片道80kmの車通勤の間にラジオから始終流れていたこと。東海岸に旅行した時、Asbury Parkまで遠回りして、ストーン・ポニーを見に行ったのも良い思い出だ。

想い出と言えば、70年代初めはヴェトナム戦争が泥沼化していて、同世代の米国人はクラスに何人かの戦死者、戦傷者を抱えていた。一緒に卒論を書いた海軍士官学校出のSC氏は空母ミッドウェーでヴェトナム沖に居たし、プラセリータキャニオンに住んでいたN村さんは日本人であったにも拘わらず、米国統治下の沖縄からヴェトナムに従軍し、アメリカ市民権を取っていた。その頃、私は入試中止で上の学年が居ない大学で、新入生だけでベ平連を作り、まったく授業に出なかったので、基礎的知識が身に付いていないことが今となっては、チョット残念だったなぁ、、、 

ライブでRiverを演奏する前のMCで、スプリングスティーンが徴兵検査に不合格になったことを父に告げた時、父が「そりゃ良かった」と言われたことを話していたのだが、その間の事情なども分かって、読み応えがあるとともに、70年代、80年代の色んな想い出が湧き上がってくる読書だった。

でも、Baby, we were born to run !! だぜ。


と言う訳で、読み終わった本を次の人に回すべく図書館に向かった。春の陽気の中、桜の下で宴会をする人々もチラホラなのだが、肝心の桜はいつ咲くのだろう?


あ、それから、ディランが4/1にストックホルムでノーベル賞受賞コンサートをやるらしい。エイプリルフールでなければよいのだが。



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金曜日の筋トレクラス。体育館で速足で歩いてみると、やはり骨折した右足でパタン、パタンと音を立てて歩くことになってしまう。普通のスピードで歩いている時は気にならないのだが、速足だと踵が床についてすぐに足先が床につき、パタンと音がしてしまう。右足の筋肉強化が必要だ。

さて、家の中の整理計画は遅々としてすすまないが、、、



4月に10数年ぶりに来日コンサートがあるというボブディラン、もうCDがあるので、こちらも十数年聞いていない、45年前のカセットテープ。いろいろな想い出は詰まっているけれど、捨てましょう。



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セットリストのような物は昨日の記事へ、ここをダブルクリック

バレンタインのお返しも兼ねて、2/15のBryan Adams東京公演に連れ合いと出かけた。
七年前も武道館で一緒に見たのだが、今回で武道館は21回目だよとブライアンが言って
いた。

早めに仕事を切り上げて、場内入場。半年前に買ったチケットは一階席の東側A列。
自分達の前に人がおらず、ステージを斜め上から見下ろす好位置だ。60を過ぎて、さすがに
コンサートの間、立ちっぱなしで見るのは辛い。座ったまま見られるので、アリーナ席より
嬉しいくらいだ。噂では、多量の無料チケットが配られただとか、当日も当日売りのチケット
が売られていたりとかだったが、時間前には武道館はほぼ埋めつくされた。
前方のスクリーンは会場内からのツィートが前方スクリーンに映し出され、テンションが上がっていく。。

最初にステージに上がった時は、7年ぶりということもあり、50を過ぎたブライアンは、さすがに老けて見えた。ベジタリアンであったり、コーカシアンであることも影響しているのだろうか?

連続3日目のコンサートで、ブライアン他の疲れが心配だった。最初の数曲は微妙に高音がでていなかったりで、あれ、今回は外れかなと思う場面もあった。でも7曲目のI'm readyあたりから、いい感じになっていく。10曲目の18 till I die ではステージ背面の巨大スクリーンに歌詞の一部が落ちてくる感じで投影され、もうすぐ55歳になるBryanは
18 til I die - gonna be 18 til I die
it sure feels good to be alive
someday I'll be 18 goin' on 55! - 18 til I die
をどんな思いで歌ったのだろう。

さて、私の中で一番好きなBryanの曲はSummer of 69で、この曲は12番目に登場。
詩はブライアンではなく、私と同年代のJim Vallanceによるものだ。高校を卒業
して、永遠の愛と友情を誓い合った仲間がバラバラになっていく過程を歌っている。
1969年に高校を卒業した私としては、胸に迫るものがある曲なんだ。

♪ 初めての安物ギターを手に入れて、ジムやジョディーとバンドを組んださ
♪ 死に物狂いで練習した69年の夏、永遠に続くと思ったあの夏に返って見たい

♪ Standin' on your mama's porch, You told me that you'd wait forever
♪ Oh and when you held my hand, I knew that it was now or never
♪ Those were the best days of my life

でもね、1969年の夏にはにブライアンはまだ9歳なんだよね。


で、ここから後は、私も少しハイになり、本当にいい感じのコンサートに。
会場の年齢層が私より少し若いものの、80年代にロックを聞いていたファンが多いと見え、
I do it for youとかバラード調の曲で、ブライアンが会場に歌うのを促すと、多数の観客
がちゃんと歌っている。皆さん歌詞をちゃんと知っているんだ。

まあ、半分やらせ、事前選択もあるのだろうが、恒例の会場から女性を選んでデュエットを
歌う場面でも、セミプロ?ピアニストの女性の歌の上手かったこと。

そして、Heaven

やっぱり名曲。ブライアンのバラードはたまんないね。
というわけで、2時間休みナシ、ぶっ続けで20数曲を演奏。

その後、数曲のアンコールをブライアンのソロでやって、コンサートはお開き。

7年前のコンサートが新リリースのRoom Serviceのプロモーション色もあり、新しい
曲と80年代の曲のミックスだったのに、今回は80年代ものの、それもラブソングの
名曲が大部分の楽しいコンサートだった。



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2012-2/15のブライアン・アダムス武道館公演に行ってきた。Bryan Adamsのコア
なファンではないので、間違っているかもしれないけれど、明日の第二回公演にいく
かもしれない人の為に、セットリストをUPしておきます。
この人がUPした大阪公演のセットリストとほぼ同じとおもわれるが、ほんの一部
違っているみたい。

コンサートの感想はまた明日。

黒字部分が大阪公演のリスト、赤字部分が私の加筆
01.House Arrest  ( 1991" Waking Up The Neighbours ")
02.Somebody  ( 1984" Reckless ")
03.Here I Am  ( 2002" Spirit: Stallion of the Cimarron "[Soundtrack] )
04.All I Want Is You ( 1991" Waking Up The Neighbours ")
05.Can't Stop This Thing We Started  ( 1991" Waking Up The Neighbours ")
06.Thought I'd Died And Gone To Heaven  ( 1991" Waking Up The Neighbours")
07.I'm Ready  ( 1983" Cuts Like A Knife ")
08.Hearts On Fire  (1987" Into The Fire " )
09.Do I Have to Say the Words  ( 1991" Waking Up The Neighbours ")
   あ、これ Rescue meがタイトルだと思ってた、違ったっけ?
10.18 'til I Die  ( 1996" 18 Till I Die ")
11.Back to You  ( 1997" MTV Unplugged ")
12.Summer of '69  ( 1984" Reckless ")
13. If You Wanna Leave Me (Can I Come Too?)/ Touch The Hand
      ( 1991" Waking Up The Neighbours ")
14.(Everything I Do) I Do It for You   ( 1991" Waking Up The Neighbours ")
15.Cuts Like a Knife  ( 1983" Cuts Like A Knife ")
16.It's Only Love  ( 1984" Reckless ")
     (Bryan Adams & Tina Turner cover)

ここで違った曲登場、 Please foregive me ですね。

17.When You're Gone  ( 1998" On A Day Like Today ")
これを何時もの公演の時の様に会場から選んだピアニストの女性と歌う。
この女性の歌、めちゃウマ


18.Heaven  ( 1984" Reckless ")
19.The Only Thing That Looks Good on Me Is You  ( 1996" 18 Till I Die ")
20.Cloud #9  ( 1998" On A Day Like Today ")
21.Run to You  ( 1984" Reckless ")

会場の女性のプラカードリクエストに応えて One night love afair を演奏。
その代り、22番はナシ
22.There Will Never Be Another Tonight  ( 1991" Waking Up The Neighbours ")
23.The Way You Make Me Feel
      ( 2000  (Ronan Keating song)  written by Phil Thornalley, Bryan Adams)
24.Straight from the Heart  ( 1983" Cuts Like A Knife ")
25.All for Love  ( 1994" Three Musketeers "[Soundtrack] )

と2時間半、ぶっ通し、密度の高い公演だった。
コンサートの感想へのリンクはここをダブルクリック



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オバマ大統領が Japanese people "are not alone." と演説したそうだ。


2週間前のEaglesのコンサートで聴けなかったこの曲、

You are not alone がふと浮かんできた、
♪♪
I know sometimes you feel so helpless
Sometimes you feel like you can't win
Sometimes you feel so isolated
You'll never have to feel that way again

You are not alone
You're not alone

Never thought I'd find the road to freedom
Never thought I'd see you smile again
Never thought I'd have the chance to tell you
That I will always be your friend

You are not alone
You're not alone  
♪♪

そう、 Yes, we are not alone



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定年後初のドサ回りは、「単独出張なので呑気に」なんて甘く考えていたら、かの地の洗礼、
強烈な下痢に襲われてしまった。一泊×万円の高級ホテルで、泊まった日もインドネシア
のスルタン一族とおsぼしき集団が泊まっているホテルなのでOKだろうと気を許したのが
まずかったのか、2時間毎にトイレ直行の毎日であった。

しかし、今回は何としても用件を完了させ、帰国するつもりであった。
なんとか面会先3社を駆け足でまわり、用件完了、最後にTV会議で東京と協議して、
夜行便で早朝成田に降り立った。


意地でも帰国して行きたかったのはこれ、The Eaglesの東京公演。

前回の2004年秋の公演も半年前に券を押さえてあったのに、一人中国に残ることになり、
前売り券をパーにしてしまった。今回はもうこれでイーグルスを見られるのは最後になるだ
ろうという予感もあり、万難を排して見たかったのだ。

自分が南カリフォルニアに住む夢を見始めたきっかけを作ってくれたバンドを、連れ合い
と一緒に無事40年後に見られ、下痢と肩痛の二重苦で体力的、気力的にはヨレヨレでは
あったが好きなドンヘンリー(とは言っても随分太ったな)を生でみられて感無量であった。

コンサートの内容、感想はまた後で。  私の個人的な感想は下記。

6日に演奏されたのは全27曲。
1. Seven bridges road
 ライブアルバムに入っていた、確かEagles作ではないこの曲でスタート。
 バックのインストも少なく、コーラスバンドたるイーグルスの本領発揮。

2. How long
3. I don't want to hear
4. Hotel Calfornia
 四番目にこの曲が来た。
 良く知られているように、メロディーの美しさで大いに売れたのだが、裏には鋭い
 寓意がこめられた曲。
 We haven't had that spirit here since 1969.  ですから。

5. Peaceful easy feeling
 30台の前半、モハーベ砂漠の端っこの発電所建設現場で事務所のドアを閉め、
 満天の星以外、人明かりの無い中、車まで歩いていくと
 I wana sleep with you in the desert tonight, with a billion stars all around
 てこんな感じなのかと、思ったりしていた。

6. I can't tell you why
7. Witch woman
 リンダ・ロンシュタットのことを歌った?曲だよね。

8. Lyin' eyes
 なんか、ハリウッドを感じさせる曲だね。

9. Boys of summer
 2004年コンサートも見た連れ合いに寄ると、あの時はステージバックの投射映像は無かった
 らしいのだが、今回は色々な映像が投射され、この曲ではベニスビーチかサンタモニカ辺り
 の昔のビーチ風景とか、P コーストハイウェイから見下ろしたマリブのビーチパーティーとか、
 なつかしい風景をバックにドン・ヘンリーが歌ってくれた。
 マスタングでマリブまで行き、全くできなかった秋の中間試験を忘れようと、海に沈む夕日
 をぽけ~と眺めていたのを思い出させてくれる曲だ。

10. In the city 
 ジョー・ウォルシュの曲。NYの風景がフラッシュバックされていて、彼の青春時代を歌った
 曲であることにやっと気づいた次第。

11. The long run

休憩

12. No more walks in the wood
13. Waiting in the weeds
 2年前に書いたコメント から一度は脱出したつもりだが、60過ぎるとやっぱりメゲル。

14. No more cloudy days
 Edenからの曲を連続

15. Love will keep us alive
 この曲も好きだな、ティモシーの状態がもっと良い時聞ければ最高だったのだが。

16. Best of my love
17. Take it to the limit
 これも夕暮れの歌、でも前向きな所がイーグルスっぽい。

18. Long road out of Eden
19. Walk away
20. One of these kights
21. Life's been good
 この辺りは、ジョー・ウォルシュ大爆発という感じ

22. Dirty laundry
23. Funk49
24. Heartache tonight
25. Life in the fast lane

アンコールは
26. Take it easy
27. Desperado
このおなじみの初期の曲でおしまい。

ああ、でも、僕の中で一番の曲、アルバム ホテルカリフォルニアの最後を飾る
The last resort は演奏してくれなかった。それから ドン・ヘンリーの
The heart of the matter もなし。
これは聞きたかったのだが、残念。 



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今日は、牛に引かれて善光寺、、、、
奥さんにNHKホールに拉致され、山下達郎の35周年コンサートを聞きに行ってきた。このコンサートのチケットは結構入手難だそうで、本日の公演はほとんどがファンクラブ会員への販売らしい。会場も満杯fだ。


山下達郎、まあ日曜のFMのDJはたまに聞くけど、ボクは積極的なファンというわけでもない。今日は多分なんと37か36年振りの山下達郎のコンサートだ。あまり記憶は定かではないが、学生時代だから、1973か74年に、日比谷野音のコンサートで聞いて以来だ。
あ、でも、その頃は日本のロックも良く聞いていたから、今では貴重な?シュガーベーブのLPもちゃんと家の棚にあるのだ。(えへん)

あれ、でも今日は山下達郎の35周年コンサートと言うらしい。なにか私の記憶が違っているのか?もう35年前だもんな。
と思ったら、35周年というのはレコードデビューつまり、このアルバムが出た1975年から数えてなのだと、コンサートのMCで言われ、あ~そ~か、、、


達郎がコンサートのMC中で、シュガーペイブの頃は、日本のロックシーンはブルースやハードロック全盛で、日比谷野音で「帰れ~」とか「乗れねーぞ」とか、ひどい時には物が飛んできたのは今でもトラウマだと語っていたが、う~ん、そんなことしたかな?

36年前のことは記憶を辿ってもほとんど出てこない。たしかコンサートの日は曇った寒い日で、野音の2/3位しか観客が居ず、私は後ろのほうで、ぽつんと一人聞いていたような覚えがある。
それに私にとってのシュガーベイブの印象は山下達郎より大貫妙子だった。今でも、
 きっと諦められるは、今、今な~ら ♪
 何も、無くしたものは、一つないし ♪
とかが浮かぶのだ。

36年ぶりに聞く山下達郎は、もうすぐ60とは思えない、3時間近くのパーフォーマンス。
大満足のコンサートであった。

あ、それから、ヤビツしまだ組には、達郎の最初のヒット Ride On Time もやってくれたことを報告しておきます。

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