逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



U田さんの作ったFBのグループ「鶴見川でサイクリング」のトップ画面に載っている鶴見川0kmのポストが気になっていた。鶴見川の源流とか、その源流の源流とかは何回も行っているのだが、河口の0kmポストに行って写真を撮った記憶がない。今週末にはまた雪が降って走れなくなる可能性大なので、今日ポタモードで行って見ましょう。まずは鴨池人道橋を渡って、左岸へ。


第二京浜まで下り、右岸に移り、京急を潜り、第一京浜へ。いつも走っている鶴見川CRはここで終わり。いつもここからUターンするか、第一京浜で横浜へ抜けていた。



ここが2kmポストだから、0kmポストまではもうちょい。、、、カモメさんにご挨拶して、、、


通勤で25年間つまり、1万回以上は通っていた、鶴見線の下で記念写真を撮っていたら、ちょうど黄色の電車がきた。



さらに進むと、有史以前から採り続けられた貝の剝き殻で一面白くなった浜に出た。


鶴見川河口干潟の看板があり、ここが0kmであることが示されている。そう、地図上ではさらに鶴見川が続くように見えるが、ここから先の大黒町とか末広町とかは皆埋め立て地、なのでここが本当の河口なのだ。


だがしかし、FBの写真で見慣れた0kmポストが無い。う~ん、右岸ではなく左岸にありそうだね。と言うことで、左岸に移ってもう一度河口へ。


ありました、0kmポスト。先ほどから一緒のTrek乗りの方もこれを目指していたらしい。
周りをよく見回すと、国道駅の横に花月園の丘が間近に見える。道が曲がりくねっているので、遠く感じるが、鶴見や生麦はすぐそこなんだね。



さて、今日の目的、鶴見川の原点探しは達成。そろそろ昼時でお腹も空いた。せっかくこの辺りまで来たのだから、沖縄料理に行きましょう。
鶴見仲通りの沖縄県人会館横にある「おきつる食堂」発見。まだ開店して2ヶ月ちょい、平日なのに結構さかっている。



ここはベーシックメニューの沖縄そば、550円を行って見ましょう。分厚い角煮が載っていて、美味しかったです。



ブログに写真UPのOK貰ったので、調子に乗って、おねえさんの写真もリクエストしたら、カウンターの奥に引っ込まれてしまった。こちらは年金生活者で安全牌なのに。



あ、でも、お父さんがどうも私と同じ職場だったようなので、また来て話してみよう。
そうだ、私の職業の原点である旧職場も近いので、せっかくだから寄っていきましょうか。
着きました、新芝浦駅。



う~ん、以前より警戒が厳重になった感じ。駅の前に、チェックポイントが出来ている。入社した45年ほど前は、この駅、日本で一番お酒が売れると言う都市伝説があったハチャメチャなキオスクがあった場所である。JFEが移転し、いすずのエンジン工場がなくなり、T社の従業員も少なくなり、ホームや電車内で酒盛りなどしていると、どこかに投書される、、、と言った時代の変化により、従業員のささやかな楽しみ、酒盛りセンター=駅キオスクも20年ほど前に無くなってしまった。

かって宴会が繰り広げられていたホームに自転車とともに上がったら、ちょうど1時間に一本の電車が来た。


それでも10数人の乗車客がいたので、会社も色々とあるが、それなりになんとかやっているようで、安心した。


さて、鶴見川の河口=原点、つでに私の就職原点に来ることが出来たので、今日の散歩は終わりにして、帰ろう。

あ、そうそう、来る時は左岸を通ったが、帰りは右岸を走ってみた。小机のマンション北側の雪道もすっかり解けて、快調に走れた。

走ったのはこんなコース。おきつる食堂で、休んだ時、GPSの記録再開をし忘れて、帰りのコース記録は無いが、60km位のポタだった。Wadachi で作ったGoogleマップは下記をダブルクリックで。


 



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昨日の富士山登山、2万6千歩で疲れたし、寒いので家に籠もっていたのだが、午後4時前に散歩に出かけた。8千歩歩いて、こんなもんで良いやと、家に戻ったら、直前で電線に止まった渡り鳥群から直撃。顔からは逸れてくれたが、服にウンコが付いてしまった。幸い防水のパーカーを着ていたので、汚れは簡単に落ちた。

ウン=運が服=福に付く⇒福に運が付く⇒多分良いことがありそうな、予感。



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路肩の雪がなかなか解けないので、自転車は封印して今日は徒歩で、厳冬期の富士山登山にチャレンジすることにした。無論、富士山登山と言っても、写真の白い峰に登るのは無謀だ、そんな訳はない。

以前、鶴見川の向こう、池辺周辺の富士山登山をしたり、ご近所を自転車で走って、その幾つかは回っていた。ただ、江戸時代に盛んに行われていたと言う、菅田村(今の区割りだと神奈川、緑、保土ヶ谷に跨がる)の7富士山巡りを完全には制覇してなかったので、今日完全制覇を目指したのだ。厳冬期なので、寒くならないように、アンダーアーマーのフリースを着て、徒歩で近所の富士山ポイントへ。



一番目の目標は、東本郷富士。明治時代の古い地図によると、この辺りなのだが、、、立派な住宅街に変貌している。第一の富士山はあえなく登頂不可能でまず一敗。



ただ、社を無くしてしまうのは恐れ多いので、20mほど離れた、北斜面に富士山の描かれた碑と共に社は配置されている。


二番目の目標の小机富士に行く途中で立寄った本郷神社も言われ書きを読むと、昭和初期にこの辺りの幾つかの神社を統合して、本郷神社としたらしい。


さて、小机富士、どう登るのかが事前調査では余り判っていなかった。小机城址の側には無く、第三京浜よりも山側のようなのだが。ひょっとして、あの赤い鳥居か?


以前新米を買った農家の庭先の細い道を登って、これかな?でも富士浅間は周辺より高い位置に有るはずなのだが、さらに上には墓地があるし、ちょっとおかしい。



本来の道に戻り少し進むと、富士浅間ではなく、富士仙元は右への標識。



ありました、小机の富士仙元。山の上にさらに土盛りして、富士山のような形をした富士塚≒古墳をつくってある。無事山頂にて、お参りをして、これで、富士山登山は1勝1敗。



辺りが林で覆われているので、眺望は望めないが、少し歩くと、この眺望。富士塚が出来た頃は、煙のたなびく富士山が見えたはずだ。



さて、三番目の富士山は菅田は中村の富士山。谷を一つ越えて、市営菅田団地を横切り、菅田公園へ。冠雪して、富士山らしい山容で、螺旋状に登る登山道も見える。


ただ、この富士浅間は完全に囲われていて登頂することができない。残念、登頂は1勝2敗。



で、さらに野越え、山越え次の下菅田の富士山を目指す。
最勝寺に着いたが、境内に富士山らしきものが無い。周りを見回して、山の上の方を見ると、、、あ、あそこだ。



菅田の富士塚群の中では最大級と言うように、江戸時代の沢山の石碑が富士山のそこかしこに林立している。



自然の地形ではありえない、斜度の急な山肌をジグザグに付けられた登山道を登り、山頂におわす仏様にご挨拶する。



これで、登頂は2勝2敗。一度下山して、ぐるっと回ると以前発見した水道道へ出る。
ならば、神明社にもお参りしていきましょう。


さて、5番目はおなじみの羽沢の富士山。道路に左側の裾野が削られてしまっている。



でも、この方角から見れば、完全な富士山形だ。


横にある平成の碑を見ると、ここに登れば月山、湯殿山、羽黒山に登ったことになるのかもしれない。


これで富士登山は3勝2敗。さて、次は未知の西谷の富士山を目指す。
梅の木近くの住宅地の急登を登れば、富士山神社の立派な鳥居とお社。



お社の向こうには富士山が見えるはず。



だが、残念ながら、西谷の新幹線の向こうに見えるのは大山まで。午後になったら富士山は隠れてしまった。



これで、富士山登山は4勝2敗。さあ、家に戻りましょう。戻る途中に有るのが、上菅田の富士山。
以前はこの辺りの小高い場所にあったはずで、



電信柱にも富士見の名前が書かれているのだが、



今は住宅の隅に追いやられている。ただ、誰かがお参りをするのか、しめ縄だけは掛けられている。



碑文を見ると、小御嶽。富士山への登頂はかなわなかったが、御嶽山を拝むことはできたのかもしれない。




と言う訳で、厳冬期の富士山登山は4勝3敗。縄文のはるか昔、煙たなびく富士山を望む丘に古墳が作られたり、江戸時代には盛んに火を噴いていた富士山、浅間山、御嶽山、、、を畏怖し、祭ったのだろう。さらには、その富士浅間を巡るレジャーが盛んで、これら7富士も盛んに訪れられていたのだろうが、今となっては、半分忘れ去られたものや、一方盛んに参拝されている富士山神社のようなものまで、色々な富士浅間があるようだ。

ネットを見ても菅田7富士塚の正確な位置が良く判らないものが多い。今日歩いたのは16km、2万6千歩あまり。下図はWadachiで作った、実際に歩いたルートと実走時間。7富士塚は青い色のマーカー、他の場所は赤で示してある。7富士巡りをしてみたいと思われる方はGoogleマップ形式で表示されるので、ダブルクリックして、拡大して、位置を確認してほしい。



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自作核シェルターに保管するラジオとして、比較的新しいデジタル選局のSonyの小さなラジオと50年前の東芝のFM7を保管しておくことにした。Sonyのラジオは小さくて感度もそれなりなのだが、LSI仕立ての最新のものなので、EMP攻撃での動作不良とか、長期保管時の性能保持に心配がある。そこで、50年前の個別半導体とバリコンでできていて、しかもまだよく聞こえている東芝のFM7を準備した。これなら、多少のEMPがあっても壊れないだろう。


一方、携帯が登場する20年ほど前に買って、連れ合いとの連絡や、海外サイクリング時の連絡に便利に使っていた430MHz帯、230mWの無線機も保管しておくことにした。出力が230mWと小さいアマチュア無線用のトランシーバーなので、レピーターを使わないとせいぜい数kmしか飛ばないが、受信は可能だし、もしも携帯電話網がダウンした時の連絡用としては重宝するはず。


乾電池は長期保管できないので、一本100円なれど、日本製(多分FDK製)のイケアのNi-MH蓄電池を保管した。
プラバックに入れ、防湿剤を入れて、それをEMP対策のブリキ缶に入れて、万一の時もきちんと動作するよう保管した。



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月曜日の降雪以来、寒いのと道路の凍結で自転車はおろか散歩もままならない。体を動かしたのは金曜日の筋トレ教室のみ。水泳でもと思ったら、都築プールは改修で2月上旬まで休業。体がジリジリしている。
いくら何でも、今日になれば、解けているだろうと35CブロックタイヤのGreatジジチャリで買い物にでかけた。日陰で若干の雪は残っていても、大したことは無いだろうと、鶴見川CR右岸を下る。まあ、この程度は予想の内、35Cのブロックタイヤなら平気だ。



しかし、しばらく進んで、マンション群の影になっている所に出たら、カチンかちんに凍っている。ビンディングシューズを外し、黒光りする部分を避けて、まだ雪が白い部分を進むのだが、ブロックタイヤでも、固く凍っているデコボコの雪にハンドルを取られそうだし、転んで骨折は嫌なので、おとなしく、降りて進む。


新横浜のダイソーで目的の物をゲットして、帰りは左岸で。
左岸はすっかり雪も解けて、ピッカピカ。結構な数の自転車も走っていた。



中山にも用があったので、恩田川CR右岸に移ったが、やはりこちらもマンション影と、橋のアンダーパス部分で凍っている所があり、注意必要。



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私の誕生日の1/18にピーター・メイルが亡くなったのだそうだ。
早速、読み残してあった彼の本を図書館から借りてきた。


数年前の南仏自転車旅行では本の表紙にも描かれているポピーも印象に強く残っているのだが、


読み進むにつれ、のんびりと時間が流れて行く、田舎のこと、とりわけ、コレンズで泊まったオーベルジュのことが思い出された。



部屋が3部屋もあり、キッチンまでついていたのだが、留まったのはたったの12時間。ピーター・メイルのように数十年とは言わないが、こんな所でせめて1週間位は過ごしたいものだ。



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なんちゃって自作核シェルターには、調理を必要としない、乾パンとかラスク風のイタリアパンとか、パンの缶詰などが備蓄してある。でも時には暖かい食事もしたい。しかし狭い密室でご飯を炊くのに、普通の炊き方をすると、HEPAフィルターを通した空気流通量がそれほど無いので酸欠の恐れもある。チョットネットをチェックしたら、お米を数分鍋で煮た後、サーモス保温ジャーに30分入れご飯を炊く方法が載っていた。やってみると、加熱する時間は10分程度なので、酸欠にもならない。

その応用でパスタを15分煮る代わりに、保温ジャーで料理してみた。



先ずパスタがギリギリ浸るくらいの少量の水を入れ、沸騰するまで煮る。


煮汁のみを一度サーモス保温ジャーに入れ、ジャーの温度を上げる。


ジャーが温まった後、再度煮汁を鍋に戻し、再沸騰させた後、サーモスに戻す。この状態では、パスタは煮汁に浸っている。



保温ジャーに入れたままにして、パスタを煮る指定時間の15分待つ。



すると、煮汁はほとんどパスタに吸収され、つやつやの茹で立てパスタになっている。


鍋にオイルツナを入れ、加熱しながらパスタを絡めていく。



塩、胡椒で味を調えて、出来上がり。


普通なら20分はコンロで加熱が必要な、暖かなツナパスタが5分ほどの加熱で出来上がった。これなら狭いシェルター内が水蒸気で一杯になることも、酸欠も避けて、暖かい食事をすることができた。



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足指骨折前日に新宿区内の漱石山房を見学した時、山手線の外側の落合にも文化人の足跡が色々とあることを知った。今日も連れ合いに引率されて、林芙美子、佐伯祐三、中村彝の旧宅巡りの散歩に出かけた。


最初に林芙美子記念館。去年の初夏、尾道をサイクリングで訪れた折に、芙美子の女学生時代に住んでいたみすぼらしい町家と比べると、天国と地獄の差。資材の乏しかった第二次大戦中に、筆一本でよくこれだけの家を作ったものだ。



南側の日差しが入り込む広い縁側。そして、夏は南から北へと風が通る涼しげな部屋。ここは初めは納戸として設計されていたのだが、居心地が良くて、仕事部屋になったとか。



林芙美子、あまり読んだことは無いが、そのうち真面目に読まねば。



続いて、15分ほど目白方向に歩いて、佐伯祐三のアトリエへ。



北側に大きく広がった窓が高校の美術室を思い出させる。

さらに数分歩いて、中村彝(つね)のアトリエへ。



漆喰壁と板の間がレトロな感じで良い味を出している。塩尻の67年前の洋間もこんな感じに出来ればよいのだが。


最後に目白でお茶を飲んで帰宅。1万5千歩の東京プチ散歩だった。



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気温も少し上がり、日差しが出てきたので、11時頃ようやくカヨちゃんで出走。鶴見川CR右岸を下る。しかし、空の右半分、鶴見や横浜方面の上には雪雲があり、日差しがなさそう。


新横のスタジアムまで来たら、完全に日差しが無くなってしまった。


今日は目的地を決めて走り出した訳ではないので、ここは率直にUターンでしょう。
北側の山、町田方面はほら、青空が広がっている。



鶴見川CR、川和高校の上流辺りから、左岸の舗装がだいぶ荒れているので右岸で北上。いつもの寺家ふるさと村で一休み。


図師でCRを離れ、山登り後、いつもの山崎団地脇にでてから恩田川CRを目指す。
雲が太陽を隠そうとするのに負けまいと、恩田川CRを急いだら、疲れたので小休止。


なんとか、常に日差しのある場所を走り続けて、鴨居まで帰ってきた。


と今日は短く50km。いつもの鶴見川、恩田川CRだった。Wadachi で作ったマップは下記。



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65歳から参加している筋トレ教室、平均年齢は70数歳、中には80歳台の方も混じっている。私でも若い方から2,3番目などだが、本気でやるとサイクリングや水泳では動かさない筋肉も動かすので重宝している。
地区センターでの教室の初回が始まったので参加した。



年々健康維持や筋トレに対する関心が高まっている中、U先生の指導が上手なこともあり、今回の申し込みは受付開始2時間ほどで満杯になったようだ。私も申し込み開始直後に申し込んだのだが、10番目位であったので、次回からは受付開始時に並ばないとダメかもしれない。



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気温が高く晴れる予報だったので、急遽カヨちゃんで出走。目指したのはここ吾妻山。


昨日の雨でまだ道が濡れている部分があるのと、昨日の疲れが残っているので、20km巡行で走りだす。天気予報は晴れなのだが、空は残念ながら雲に覆われている。最初の休憩場所、鷺舞橋でも青空はごくわずか。


天気予報が良い方に外れることを期待したのだが、逆に悪い方向か。サザンCでも烏帽子岩や江ノ島は見えるし、水平線方向は光っているのだが、空には厚い雲。



コンビニでサンドイッチを買い込み、自転車を厳重に鉄棒に縛り付けて、登山開始。



120mも登れば吾妻山山頂。明るい黄色が眼前に広がり、甘い菜の花の香りに包まれるも、視線の先に富士山は見えない。



まあ、真鶴半島は見えるけど、伊豆半島や大島が見えないのだから、見えるはずがないか。


サンドイッチをつまんで、しばし日向ぼっこをして、さあ、帰りましょう。

もと来た道をひたすら戻って、白旗休憩所に来たら、また会いました、旧職場のKさん。今日も境川40km往復をやってるらしい。あ、サドルがママチャリからBSのクロスバイク用に変わってる。



後は淡々と家まで走ってちょうど100km。吾妻山で菜の花と富士山の両方に会えたのは一回しかないが、まあ、またそのうちに会えるでしょう。走ったのはこんなコース。



あ、そうそう、今日で67歳になってしまった。いつまで100km走っていられるかな?



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1/16 風も無く、日差しがあり暖か。自転車日和なのだが、昨日60km走っているので、散歩に出かけた。日当たりの良い場所では、気の早い梅がほぼ満開。心地よいほのかな梅の香りが漂っている。


明けて1/17曇天で午後から雨予報なので、今年初めての泳ぎに出かける。流し運転で、1km+1km=2kmを1時間20分で泳ぐ。プール横の食堂で、いつものドリンク付きランチ720円。


お風呂でゆっくりして、外に出て見たら、雨が降りはじめていた。幌の窓から後ろが見えにくくなる本降りにならない内に帰ろう。



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午前中の野暮用を済ませて、昼過ぎに出走。風は強いが気温がこの時期としては高めなので走りだす。
3回の七福神巡りに使っていた35Cの巨爺号から重量比60%のカヨちゃんに乗り換えたら、軽いこと軽いこと。先日の七福神の帰りを辿って、新羽から綱島、日吉、武蔵小杉と辿って、久し振りの多摩川右岸CRへ。


向かい風だが漕いでいれば体は暖かい。ニケ領用水の取水口で一休み。



さらに、上流にももう一つ堰がある。こちらは上河原堰と言うらしい。



この辺り、CRが途切れて、地理不案内だが、上流に向かえば知っている所にでるだろうと走り続ければ見覚えのある是政橋が見えてきた。



日も傾いてきたので、この辺りから帰りましょう。尾根幹線を経て、若葉台から柿生へと抜け、後はいつもの鶴見川CRで鴨居帰着。富士山はあまりよく見えない。



午後のみで、65km。風は強かったが、気持ち良く走れた半日だった。



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連れ合いに引率されて駒場公園へ。ここには加賀百万石の前田邸があり、映画によく使われた洋館は改修工事中で見ることできず。代わりに昭和初期建築の和館でまったり。


続いて公園の片隅にある、今日のメインの日本近代文学館へ。


展示物は撮影禁止なので、入口だけで。興味深い展示が沢山あったが、連れ合いほどは夢中になれず。



今日はセンター試験で東大駒場構内には入れないので、代わりに?駒場公園の裏にある東大生産技術研究所をぶらつく。スンゲー建物/研究設備だ。


最後に、駅の入り口から降りて、受験関係者以外の停止ラインの外側で。



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一昨日、近所の七福神中の4福神を歩きで制覇したのだが、初歩きにも拘わらず、丘に登り降りの16kmはチョットきつかった。
今日は鶴見川の北、日吉周辺のもう少し遠い3福神に行くので、GJ号(Great ジジチャリ、巨爺号)で出かけることにした。



気温は低いものの、風もなく、冬の自転車日和@鶴見川CR。



まず最初は綱島駅近くの東照寺の布袋尊。最初に裏の山に登ってしまったが、なんなく到着。


続いて、日吉の金蔵寺を目指すのだが、GPSへの目的地Inputミスで、日吉の山を登って、降りて、登って、、、、。ようやく寿老人と会うことができた。


最後の興禅寺も無駄に丘を登って降りて、、、、。事前にきちんと平坦地を走るコースを検討しておくべきだった。
で、興禅寺は福禄寿さん。



これで、港北七福神はコンプリート。松の内を過ぎると、開扉されておらず、七福神さんのお顔を拝むことができなかった場所もあったのだが、この興禅寺の山門には、立派な七福神の木彫があったので、こちらをもう一回拝んで、完全コンプリートということにしよう。


走ったコースはこんな感じ。無駄な登り降りが多かったが、一昨日よりは疲れなかった、32kmだった。



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