逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



2/2㈰は節分。この時期としては珍しく、ほとんど雪が無い冬。裏日本では大雪で困っているが、北アルプスが雪雲を押しとどめ、松本平では積雪が無い。
そんな中、節分の豆まき。かってはバラで豆まきをしていたが、後の掃除が大変だ。なので、最近は袋ごと撒き、あとで回収。


この歳になると、福豆を年齢の数だけ食べるのも大変だ。

さて、ぐずぐず引き延ばしてきた確定申告、やる気を注入して、一日で完成。やればできるじゃん。私のスマホはNFC不対応なので、郵便で出すついでに、高校の150周年への寄付も振込の為に郵便局へ。



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1/30㈭、25年間所属していた事業所の同窓会が開かれた。かっては正規従業員だけで数千人、全体では1万人以上いた事業所も正規従業員は二千人程度に縮小されている。同窓会に先立つ工場見学で、1時間半ほど工場内を歩き回ったのだが、かって主力であった火力用の蒸気タービン、発電機があまり見受けられない一方、大型モーターや超電導コイルの製造現場が忙しそうに稼働していた。また、数十年間使われ続けていた数m角の部品を加工する自社製の五軸NC加工機や戦前に輸入された十数mの主軸を加工する旋盤などが廃止され、新型機械に置き換わっているのも、寂しい一方、今後の光明となる発見であった。
私の出身の水力部門も、奥只見発電所などの数十トンの取替部品や新規発電所向けの機器が現場に散見されたので、一安心であった。現役世代に話を聞くと、人が減らされた分、増々忙しく働いているようだった。
今日は冬晴れ、工場の食堂前から、東京湾の向こうに富士山が良く見える。



工場の同窓会に会費を払って登録している人は千人余り、もう高い会費を払っていない人も数千人は居るのだろう。今までは、これらの会員に郵送で案内状を送り、見学会や同窓会の会場を設定し、会食の場を提供するのを、工場の総務部門が僅かの実費負担+会社経費でやっていた。だが時代の趨勢から、そのようなことを継続するのは無理であり、今までの形態での同窓会は今回が最後のものとなった。そんなことを予知したのか、出席者は二百人余りに昇り、懇親会も座りきれないほどの盛況であった。


まだ部門毎の私的に組織された同窓会は続くであろうが、今回は他部門でお世話になった何人かの先輩方に、今まで受けたご厚情に感謝し、私のしでかしたご迷惑へのお許しをお願いできて、本当に有意義だった最後の同窓会であった。

付録
BSで鶴見線の車窓風景番組をやっていた。工場の現場事務所からの風景。海芝浦駅の向こうにつばさ橋と遠く横浜ベイブリッジ。入社まもなく、この海を眺める事務所の3階で執務していた。工場内からこの風景を眺めることは叶わなくなりそうだが、海芝浦駅が廃止されず、駅から海が眺められる日が続くことを願う。(とは言え、線路はJRへの貸与であり、海に面していて、線路や護岸の維持には多額の金が必要なので、このご時世ではいつ廃止になってもおかしくない)




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夜の寒い時間帯、気温は零下だけれど、1/25㈯一日限りのイベント、「平出遺跡を彩る光の旅」を覗いてきた。


遺跡公園全体に点灯した灯篭が飾られている。この寒さにも関わらず、観客は数十人は居そう、思ったより若い人や家族連れが多い。


竪穴式住居の屋根を利用したプロジェクション。


しかし、厚着をしてきたのだが、ご老体には寒さがきつ過ぎる。


20分ほどぶらついただけで、撤退してきた。



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市民タイムスの分厚い元旦号を覗いていたら、気になる広告記事を見つけた。


まだ小学校の低学年だった頃、叔母が婦長を務めていたので、皮膚病の治療で通った丸の内病院の記事だ。温泉街にあった我が家から頻繁に出ていたバスに一人で乗り、松本城の前にあった病院に数回通っていた。その病院の沿革を見ると、

  • 1944年 - 石川島芝浦タービン松本工場診療所として開院
  • 1945年 - 現在のテレビ信州松本総局(旧本社)に、石川島芝浦タービン株式会社付属丸の内病院として開設
  • 1968年 - 田町小学校跡地に、病院新築移転(地籍は松本市開智)

石川島芝浦タービンとは、私が数十年勤めていた東芝京浜事業所にあった会社だ。東芝が70年代に資本をIHIに譲渡したので資本的にはIHIになったのだが、元は京浜事業所の蒸気タービンの部品の疎開工場として、南松本に工場を作ったのが始まりの会社が作った病院だったわけだ。

病院開設者として土光さんの名前が挙がっているが、仕事に飽きた時、資料調査の名目で、工場の図書室(誰も来ないので、休憩に最適!)の収蔵庫に籠り、土光さんの手書きの米国出張報告とかを読んだり、仕事上の選択肢に迷った週末、鎌倉の土光さんのお墓参りをしたことなどが思い出されたのだった。


松本平には、石川島芝浦タービンの名残のものや、子会社、孫会社が幾つかあるので、その内、痕跡を辿ってみようかな?

 



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1/2㈭は牛伏寺に初もうでに出かけた。


何気に厄年の表を見ると、


63歳以降は厄年は無いのね。高齢者には災難は降りかからないのか?そんなことはあるまい、病気に怪我、事故は高齢者には付き物のはず。それとも、高齢者は厄除けをしても効き目が無いのか??
ならば、自分で厄除けをしておこう。鐘を力強く突いて、今年の厄除けにしておいた。



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先輩はもとより、友人、知人にも別れを告げねばならない年であった2024年を何とか乗りきって、2025年に何とか突入することができた。年齢的にはもうそろそろ人生の幕引きを考えねばならない歳なのだが、まだやりたい事は山積している。皆さんも健康に留意して、楽しい人生を送られることを祈念しております。

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年末のブログパトロールをしていたら、ブログ友のsaayananodaさんが、こんな「一年の計」をUPしていた。この所、「言わざるぅ、言わざる卯」と一年の反省と一年の計を封印していたのだが、


やはりブログに書いておけば、反省もするし、少しは実現に近づくこともできるかもしれないので、一年の計を復活させる。


【サイクリング、体力維持、トレーニング系】
 e-Bikeでのヒルクラ三昧をもう少し続ける。歩きの方も、もう少し。
 車載輪行だけでなく、列車輪行も交えて、もう少し遠い所もトライしたい。
 70も半ばになると、健康が何より。去年は体が思うように動かなくなったら
 精神的にもダメージが大きすぎることを実感したので、健康第一で。

【旅行、ドライブ系】
 去年は佐渡、北欧と旅行できた。今年もどこかに旅行したいが、、、

【DIY、園芸系】
 「芥川の庭」の整備計画はそれなりに進んでいる。 農機具小屋も建てなければ。
 それから洗馬宿、芥川の庭のデジタルアーカイブ化も推進したい。

【知的活動】
 新たに始めた古文書読解講座受講、何とか続けて少しは古文書を読めるようになりたい。
 塩尻図書館のRenewalも終わるので、「本の寺子屋」への参加とか、読書量も落とさない
 ようにしたい。



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急に寒くなって冬の足音が聞えてきた今日この頃、幸い、11/23㈯は日差しもあり、屋外作業もはかどりそうなので、少し早いが車のタイヤを冬用に交換。


夏タイヤを高圧洗浄機で洗って、乾かし保管。


冬タイヤの空気圧を正常にして、


車の洗浄後に高圧洗浄機の水を抜き、スプレーガンにはCRC5-56を吹き込んで、スプレーガン内の可動部品が錆びないようにして保管。信州では使ったままの高圧洗浄機を凍らせ、たった1シーズンで壊してしまう人が居るけど、我が家の高圧洗浄機はもう10年選手だ。
コンプレッサーも出したので、宿場用水を引き込むためのホース配管もエアーパージして来春まで閉鎖。今後水やりや洗車はバケツで水汲みだ。
続いて、浴室およびリビングの出窓の内側にハモニカーボの内窓取付け。


勤労感謝の日に大いに働いてしまい、疲れたベーの一日だった。



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長い夏が続き、ようやく屋外活動日和の秋が来たと思っていたのだが、11/8朝の冷え込みは強烈だった。朝方、たまらずストーブを点火、おかげで八時半までぐっすり眠る。
ベランダに出てみれば、ジョロの中に氷。


さらに雨水の貯まった箱も凍っている。


プランターには霜柱。


水分の多いペチュニアはぐったり。


急遽、サンルームの日除けになっていた朝顔を取り除き、外周をビニールシートで囲う。


散歩に出れば、穂高連峰も薄っすらと雪化粧をしている。


来週はまた暖かくなると言うが、体がついて行けない。さてどうなることやら。



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先週は大学卒業50周年の懇親会を幹事として推進したものの、不満の残る行事であった。今日10/27㈰は松本で高校卒業55周年の同期会があったので出席した。

その前に、半世紀前の8mm映画を集めて作られた地域映画の2作目、「まつもと日和2」を信毎メディアガーデンで見た。上映時間の私の把握に若干問題があり、目標に出かけた13時半の上演は「まつもと日和」で目的の「日和2」の方は15:30からの上演。15:10頃の入場で席はもう半分埋まっており、開演時には満席。


今回の目的であった半世紀以上前の西穂高独標山岳遭難事故の記録部分とその後の同級生の姿の部分まで見て、上映会場を16:40に途中脱出。16:47のバスで同期会会場に一人遅れて参加。

同期会は53人の参加、広い会場で2時間着席パーティーと、大勢の人と懇談する機会に恵まれた良い同期会であった。唯一残念だったのは、日和2に出演し、男泣きしていたS君を冷やかそうと思ったら、欠席だったことくらいか?


とは言え、10年前の45周年同期会と比べれば、私も含めて、皆さん年をとりましたねぇ。
10年前の松本および箱根の同期会記事のリンク



実家が徒歩10分の所にあるのだが、帰りの電車に乗り遅れないよう、20:07のバスで会場離脱。



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あまり政治的なことは書かない当ブログではあるが、、、、

入学式、卒業式の無かった1974年卒業組としては、入ったこともない安田講堂で大学主催の周年祝賀式典が行われるというので参加した。
総長の祝辞/話は味気ないもので、研究、教育の中でSDGsとか、ダイバーシティ、インクルーシブネスを対話を通じて実現していくというような話であったが、うわべだけで、あまり内実の伴っていないような気がした。
①今年話題になっている授業料値上げの話はほとんどなし。
②卒業50周年生を代表して答辞を述べた人物の選定がどうなされたのか?少なくとも50周年生を取りまとめた、懇親会幹事に事前相談や通知があってもよさそうなものだが。
③式典の様子は写真撮影や録画禁止だそうだでブログに載せることもできないし、、、、
在校生や将来の入学者に代わって、50年前のように「授業料値上げ反対」と叫びたい衝動を、大人の判断で抑え込んだのであった。
新聞報道によれば、大学当局は値上げに関する「話し合い、ヒアリング」を1回だけ形式的に行ったようだが、学生からの反発が地下でくすぶっているようだ。学生にも知恵ものが居るのだろう。こんな看板が講堂の前には立っていた。


ご丁寧に看板には撤去の警告が張られている。


引き続いて行われた、私も幹事を務めた卒業50周年記念懇親会のほうは盛大に完了。50年振りに会うクラスメートも居て、半年間の準備が実り感慨深いものであった。2時間の立食宴会の最後まで残った出席者で集合写真を撮影して、会合は終わり。


しかし、みんな老けたなぁ!2時間立ち続けられず、帰ったのも居たなぁ。それに女性が少ないなぁ!3000人卒業して、集まったのはこれだけかぁ。爺さんに連れられて三田会に行ったことがあるけど、人数の差にビックリだね。

-------------  追記 -----------------
チキンな私と違って、撮影禁止など無視して、講堂内部を撮影し、私に送ってくれた友人がいたので、式典時の写真をUPしておく。




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秋分の頃、村の秋祭りが行われる。朝6時の神社の清掃に引き続き、家の周りにしめ縄、提灯、紙垂を飾る。


かっては大賑わいだったろう村の秋祭り、今では唯一の行事?は神楽の舞。


それが終われば、子供らの声もあまり聞こえない、静かなお祭りの夜が更けてゆく。



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お盆過ぎに上京して会社の水車部門の同窓会に参加した。
台風の影響も心配したので、朝一番の電車で上京。立川から南武線で50年前に住んでいた武蔵中原を通過。富士通の中原工場の裏に住んでいたのだが、富士通を含め、あたりの風景は一変、認識できるものは何一つない。
川崎の会場なので、駅前で時間をつぶすことにする。入社した50年前にはすごい速さと轟音の中で電球や蛍光灯を作っていた堀川町工場も2000年に閉鎖され、その後作られたラゾーナ東芝ビルで会社人生の最後の数年を過ごした。
かっての通勤経路を歩いていくとこの掲示。


そう、ラゾーナ東芝ビルに併設されていた東芝科学館が6月で閉鎖されたんだったね。お客さんを案内したり、考えが煮詰まった時、展示を見に行ったりしたんだが、子供から大人まで広く、深い展示内容だっただけに、惜しいけど、これも会社が縮小する中、仕方ないことだね。
毎日新聞にこんな記事が出ていた。
“夏休みの宿題の味方”東芝科学館が63年の歴史に幕 響いた経営難 | 毎日新聞 (mainichi.jp)



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お盆期間中、VIPの滞在があり、書きたいこと、書くべきことはたくさんあれどもブログの更新ならず。


その後、上京しての、同窓会出席、友人との会合などもあり、筆が進まず。


そろそろ日常生活に戻りつつあるので、ブログも再開しなくては。



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横浜に居た時から、七夕は7/7に行っていた。こちらに帰省してからも7月7日に飾り付けをしていた。7/7だとまだ梅雨の最中で天の川が見えにくいこと、この辺りでは七夕は旧暦というか月遅れの8/7に飾り付けをする方が多い。
なので我が家も去年から七夕飾りは8月上旬に行うことにしていた。8/7が近づいてきたので慌てて竹を採り、短冊を書いて飾り付け。


飾り雛もつるして、これで多分晴れるだろう8/7を迎えられると思う。



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7/14(日)、亀山郁夫さんの講演会の後は、ちょうど夏祭りをやっている阿礼神社へ。



まだ境内にお神輿/舞台は引き込まれていないので、太鼓や笛の音のする場所を求めてうろうろ。出会えました、中町のお神輿。


阿礼神社中町神輿 VID 20240714 165008


めでたいことのあった家まで狭い道を物ともせず、お祝いに駆けつける。


なんとか雨も上がり、舞台も見られたので、大満足。



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