昨日の記事で江戸時代には毎日数百人が宿泊し、数千人が通過するという大繁栄からはだいぶ衰退したものの、戦後まもなくから高度成長期の中山道洗馬宿には数十軒の商店や医院、郵便局、駐在所と千人以上の乗降客がいた洗馬駅がありそれなりに繁栄していた。ところが現在はそのすべての商店が消え去り、乗降客も100名程度に寂れていることを嘆いた。
ちょっと気になって、45年前住んでいたオーストラリアのうらぶれた町、イェーロングピリーの事を調べて、ビックリした。
下の写真は1979年に1年半住んでいた4 Stamford Str, Yeerongpilly, Brisbeneのアパート前にて。多分この時点でアパートは築15年ほど。
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9年後の1988年に再訪した時の同じアパート。頭の上、三階の隅の2LDKの部屋に住んでいた。
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アパートはYeerongpilly駅から数十mの場所。Yeerongpilly駅はBribane都心まで電車で20分ほどの所とは言え、1988年の時点でも、皆さん車で通勤するので、うらぶれた田舎の駅を通勤に使う人などほとんど居らず、一回の乗降客は数人、列車も1時間に2本程度だった。
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Google Street Viewで確認すると、駅前には45年前にもあった小さな雑貨屋とポストがまだ残る、鄙びた駅だ。
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所が、マップをよく見ていたら駅の反対側、かってはBrisbane川の氾濫で牧場にしか使えていなかった所に、10階建??の市役所支所、テニスコート、スポーツクラブ、そしてショッピングセンターの中心にはスーパーのWoolworthsが今年開業しているではないか。
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将来的には隣の区画のYG=Yeerongpilly Greenにオフィスやコンドミニアム群が建設され、在住人口も数千人の繁華街になるらしい。
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昔私が住んでいた築60年?のアパートもしっかりリノベされ、
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一ヶ月なら20万円ほどの家賃になっているらしい。
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さらに調べると、駅は現在改築中、隣のコンドミニアム群と連携して、モダンな駅になるのだとか。電車も一時間に数本出ており、その内の半分は市内の反対側の国際空港まで乗り入れている。
こんな姿を見ると、45年前に私もそのほんの一部をお手伝いしていた、数十km上流のWivenhoe Dam Project のおかげで、Brisbane River の氾濫の可能性が低下し、打ち捨てられていた土地が再開発され、見直された公共交通とともに町が蘇るのを見ると、感慨深いものがある。
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中央線の駅があることで、何とか命脈をたもっていた町が、モータリゼーションの進展で、賑わいが無くなり、商店が一掃されてしまった洗馬宿にも、中央線の再活性化とか、高速道路網への接続とかで町が活性化する、うまい話しは無いのだろうか?
多分無いね~ぇ。