経営コンサルタント日野眞明のmoreな「ひとりごと」

「商売繁盛」「ビジネス(創業、起業、経営革新)」など更新中!(2022年5月引越)

子供が親を助ける

2007-04-21 10:06:12 | 鈴木敏文
サウスランド社(アメリカのセブンイレブンの会社)から
「当社の経営を引き受けてもらえないか」
支援要請を受けたのが1990年。

実は1980年代にアメリカへ視察へ行った際に当時のセブンイレブンの店舗はかなり荒れていたことが強烈に記憶が残っている。
当時はKマートがディスカウント戦略で抜群の強さを発揮しており、それにウォルマートがひたひたと追い上げていた状況だったと思う。

日本でのセブンイレブンは調子がいいけれど、こんなお店ではセブンイレブンはチョッとヤバイなぁ~と直感的に感じたのです。
それが現実となったのが1990年と言うことです。

そして、「日本企業による戦後最大のアメリカ企業再建劇」が始まった。
ハリケーン・スズキ」がやってきたとマスコミで言われた。何もかも今までやってきたことすべてを壊さなければならなかった。
血液を入れ替えるほどの意識改革が必要だった。

見事3年目で黒字転換、2000年にニューヨーク証券取引所へ再上場。
カッコいい!!!


単品管理は「タンピンカンリ」か「TK」の略称で定着した。

その「TK」や「業革」を最もタイムリーに現場で体験したノウハウは今も決して色褪せていない。

日本初

2007-04-17 10:52:34 | 鈴木敏文
売り手発想から「買い手の時代へ」

創業当時一店舗への納品車両は一日70台にも上った。

これは小売店を経営している人ならすぐに感じると思うがそれにいちいち検品や応対をしていたらそれこそお客様を相手することなんてできやしない。
そこで鈴木氏は担当メーカーが他社製品も混載する「共同配送」を提案した。
同業他社の製品を納品するなんて“常識を破る素人発想”で猛反発を食らう。

さまざまな店舗での実験結果などを経て1980年日本の流通史上初の(牛乳の)共同配送がスタートする。その半年後には各社の配送経費が三分の一に低減をして販売量も増加した。一日の納品台数は9台までに削減された。

コンビニの定番である「おにぎり」も
「そういうものは家で作るのが常識だから売れるわけがない」と反対された。
同様に「おでん」「調理麺」「浅漬け」なども今や“定番商品”担っているのはご存知のとおりですね。

新しい需要はお店の中ではなくにあるものだ。』

この言葉から出来上がったの「仮説と検証」である。
それを可能にしたのが1978年、セブンイレブンが着手した情報システムだった。

1983年にIYに入社したときはこれをモデルにした様々な「流通業の非常識」に取り組んでいた時期であった。新入社員の時に当たり前のように学んだ「仮説′沛リ」は今ではどんな業界のビジネスにも応用され役立っている。

思い込みによる「できない理由」は早めに捨ててしまうことだ!

涙する

2007-04-16 07:59:09 | 鈴木敏文
今では成長する経営基本的なキーワードにもなっている言葉が並ぶ。

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「業界の常識を破らない限り明日はない。」
ドミナント(高密度多店舗出店)戦略は地域での認知度を高めるが、物流面でも小口配送が実現しやすくなる。」
「枠を外せばになる。」
原則は崩さない。」
「決めた戦略は徹底する。」
「これから先500店、1000店に増えたらどうするか。」
「初めから仕組みを作るべきで、困難でも取引先と交渉させた。」
「僕らはもともと素人集団だ。原点だけは見失わずにいよう。」

100店舗達成記念式典で加盟店オーナーと家族の前で挨拶に立ち
感きわまり、言葉に詰まって、思わずがこぼれた。」
「何とか自信めいたものを持てたのが100店舗目だった。」

「後にも先にもこのとき以外、仕事で涙したことはない。」

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仕事をしていて感極まって涙することがあるだろうか?
そこまでの情熱と合わせた努力や困難を乗り越えていることがあるだろうか?

グチグチ言っている場合でも、むやみやたらに不安がっているのとは訳が違う。
まだまだ、やれることはたくさんありますね。

開店の前の気持ち

2007-04-15 11:47:33 | 鈴木敏文
アメリカでの研修3日目でマニュアルが使えないと感じてサウスランド社に怒りをぶつけてみたものの後の祭りだった・・。

採用活動でも苦労し求人をするが小売業経験者はいなく素人集団でスタートした。結局自分たちで作り上げることになる。
「素人が日本初の本格的コンビにチェーンに挑戦する」

・・・っと覚悟した時に酒販店経営者から加盟希望の手紙が来た。
74年の正月に初めて会い(後5月15日開店)熱意にひかれ「ぜひ一緒にやりましょう。三年後に失敗していたら責任を持って元通りにします」と決めた。
三千品目の選定、冷蔵庫の改良など何もかも初めて、開店前夜は店の二階に泊り込んだ。
早朝の雨の中開店。男性客はカウンター横の¥800のサングラスを買った。

「第一号のお客は今も忘れない。」

お客様がお店に来て商品を買っていただいて初めて商売になる。
今でこそ1万2000店舗の世界一のチェーンであるが、日々商売に改良に改良を重ねてきた結果でしかない。

その表面だけ見ないでしっかりと自分の商売を見つめるしかないでしょう。

セブンイレブン

2007-04-14 08:08:20 | 鈴木敏文
アメリカのサウスランド社との交渉は困難を極めた。
それでも持ち前の粘り強い交渉力で相手の譲歩を引き出し契約をした。
(後にサウスランド社は経営破綻をする)

しかし、鈴木敏文氏が実際に研修に言ってみると「失敗した」と感じたそうだ。やっと契約までして、さぁこれからだと言う時に・・・。それを社内では猛反対に合っていたために誰にも言えず「悶々としていた」と言う。

そのあたりの裏話は以前から知っていたが、現在のセブンイレブンの実力は最初からあったわけではないと改めて知ることができる。

どんな企業だって最初はひよっこだ。
そこからどうやって一人前になるように努力するかだ!